帰還と、日常日常になりつつある風景
静寂が戻った宇宙に、バハムートはフレアソードを虚空へとしまい込み、ゆっくりと腕を組んだ。
(神の仕業である可能性が濃厚だが、確定ではない……)
消えたワームホールの余韻と共に、思考を巡らせていると――ヨルハが飛来してくる。
「バハムート様、お見事でした!」
その声には、心からの敬意と称賛がこもっていた。ヨルハはいつものように右肩へと収まり、誇らしげに主を見上げる。
「まあな。だが、ヨルハもなかなか見事だったぞ。今度はもう少し、こう……カッコよさをだな……」
バハムートがどこか真剣に指摘しようとしたその瞬間、ヨルハが言葉を遮るように問いを投げかける。
「それより……最後の“あの目”は、一体何だったのでしょう?」
話題を切り替えたというより、あの光景が頭から離れなかったのだろう。バハムートはしばしの沈黙の後、低く呟く。
「……わからん。ただ、あれが“災害”を引き起こしていた元凶かもしれん。だが、確証は何もない」
目の奥に宿っていた怒りと憎悪――ワームホールの崩壊と共に消えたその存在。それが何者であれ、すべてが終わったわけではない。そんな確かな予感だけが、バハムートの胸に残っていた。
けれど、今は――
「帰るか」
「はい」
短く言葉を交わし、バハムートとヨルハは転移の光に包まれる。戦場の空間から、その姿は音もなく消えていった。
そして、誰もいなくなった宙域には、静寂だけが満ちていく。
燃えかすも、破片すらも残さぬ戦いの痕に、何かが潜んでいた。無音の虚空。そのただ中で――“目”だけが、なお存在していた。
怒りでも、憎しみでもなく、ただ冷ややかに、すべてを見下すように。
だが、それもほんの一瞬。
次の瞬間、その“目”もまた、静かに、音もなく、虚空の闇に溶けて消えた。
ドックに転移したバハムートは、いつものように仰向けで鎮座していた。その疑似コックピットから、クロが現れる。
続いて、クレアもふわりと浮かび上がり、いつもの位置――クロの肩にちょこんと収まると、ふたりはギルドの屋根裏部屋へと転移した。
階段を降りてカウンターへと出ると、そこにはいつも通り、腕を組んで立つグレゴの姿。
目が合った瞬間、無言の手招き。そして、呆れを含んだ低い声が落ちてくる。
「お前……なんでも言い捨てていくよな。ギルマス、端末壊したって嘆いてたぞ」
「それは……私のせいではないのでは?」
小首をかしげながらクロが返すと、グレゴは盛大にため息をついた。
「まあな。だけどな、あんな大事な話をポンと放り投げて転移ってのは、さすがに困る。こっちは状況も掴めないだろうが」
「……ノアが説明すると思ってましたので」
目をそらしつつ、クロがぼそりと呟く。だが、グレゴの追撃は容赦ない。
「丸投げすぎだ。お前がいきなり『正体を知ってます』って一言残して消えた後、ノアと俺とジンで執務室に連行だぞ。あれ、別に今日じゃなくてもよかっただろ」
グレゴの指摘に、クロはばつが悪そうに肩をすくめる。
「ついででしたので」
「だからそれがダメなんだよ! “ついで”で済ませていい話じゃねえ!」
グレゴの説教は、もはやすっかり“いつもの光景”になりつつあった。
クロが何かしらやらかし、それにグレゴが呆れた顔で説教を始める――そんな光景は、ギルドにとってすっかり日常の一部となっていた。
「まったく……少しはこっちの苦労も考えろってんだ。誰が尻拭いしてると思ってんだ」
「……グレゴさん、怒りすぎると血管、切れますよ?」
「その原因はてめえだ!」
カウンターに響く声の応酬に、奥の居酒屋スペースからくすくすと笑いが漏れる。
「また始まったな」という顔で、常連ハンターたちが肩をすくめ、杯を傾ける。頭をかきながら笑う者、茶を吹きかける者、さらにはその騒動を肴にもう一杯頼む者まで――
そんな中、一人の若いハンターがグラスを掲げて、ひょいと声を上げた。
「はいはい、今夜も“クロタイム”のお時間でーす!」
店内に笑いが弾けた。ひとときの緊張すら忘れさせるような、穏やかなざわめきが空間を満たしていく。
バツの悪そうに頭をかいたグレゴの隣で、クロは小さく肩をすくめてぼそりと呟いた。
「……あの、なんか私、皆さんの笑いのネタになってません?」
ぼそりと呟いたクロに、グレゴは片眉を上げて笑う。
「むしろ、それが“居場所”ってやつだろ。最初を思い出してみろ」
その声には、ほんのわずかに柔らかさが混じっていた。
「敵視されてたし、警戒もされてた。今みたいに、冗談が飛び交うような空気じゃなかっただろ?」
クロはちらりと店内を見回す。笑い声と酒の匂いが混ざり合う空間の中で、自分を自然に受け入れる視線が確かにそこにあった。
「……そうですね。一部、まだ敵意のある人もいますけど」
「まあな。だがそれも、時間の問題だ」
グレゴはそう言って、背を向けた。いつも通りの店、いつも通りの喧騒。だが、その中にある“変化”は、確かに息づいていた。