ノアの歩み
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転移の揺らぎが収まると、アヤコはクロの肩から手を離し、ふっと息をつく。
「さて、倉庫に行こうか」
軽やかな声を残して歩き出すアヤコの背を追い、クロも静かに後をついていく。
ジャンクショップの倉庫――そこには、大小さまざまなパーツが山のように積まれ、それぞれ分類された箱に収められていた。だが、最奥の壁際にはぽっかりと空いたスペースがひとつ、整然と空間を保っていた。
「……ここならちょうどいいかも。スペースもあるし、荷物の出し入れもしやすい」
壁を見上げながら、アヤコがそう呟く。即座に設置場所として決定したようだった。
「クロ、脚立と工具、取ってきて」
「はい」
頷いたクロは手早く脚立と工具を準備し、アヤコはシャッター設置に向けて手順を整える。
クロが脚立に乗り、別空間から取り出したシャッターを軽々と持ち上げる。それをアヤコが慎重に固定していき、ふたりの連携は迷いがなかった。
やがて設置が完了し、クロは通信端末を開いてシゲルに連絡を入れる。
「設置が終わりました。いったん、そちらのシャッターを閉じてください」
『おう、わかった』
数秒後、目の前の黒いシャッターがひとりでに下りていく。連動して動いている証だった。
「……ちゃんと動作してますね。では、開けてみてください」
再びシャッターがゆっくりと上がると、その先に現れたのは、無重力空間に浮かぶシゲルとクレア、そしてノアの姿だった。
ジャンクショップ側は通常重力下――そのため、シャッターを挟んで空間の性質が明確に分かれていた。
クロは静かに通信を切り、淡々と注意を促す。
「重力が異なるため、境目での移動には注意してください。足を地面につけた状態で、ゆっくりと入ってきてください」
扉一枚を越えるだけで、場所も重力も異なる空間へとつながる。その不思議な光景を、クロはどこか当たり前のように受け止めていた。
先に口火を切ったのはシゲルだった。ジャンクショップ側の床に足をしっかりつけ、慎重に一歩を踏み出す。
「……気持ち悪っ。でも、楽だな。明日からの移動、これなら断然スムーズになるわ」
言いながらも、その表情はどこか感心している様子だった。
続いて、ノアもシャッターの縁に立ち、そっと足を出す。ゆっくりと重心を移しながら、まるで水の温度を確かめるような動きで境界を越えてくる。
「重力と無重力の切り替え、確かに一瞬で切り替わるのは……変な感じですね」
感覚のずれに驚いたような声を漏らしながらも、なんとか姿勢を保って中に入る。
その直後だった。
「レッド君、進行開始です!」
クレアの声と共に、レッド君がシャッターをくぐろうとした――が、その体が境界を越えた瞬間、バランスを崩して床にごろんと倒れ込んだ。
「きゃっ! うぅ……」
宙に浮いていたクレアも、レッド君の転倒に引きずられるように、頭からストンと落ちる。
「レッド君っ! クロ様の言うことを、どうして聞いてなかったんですかっ!」
クレアは慌てて身を起こし、怒りの矛先をレッド君へと向けるが――その場にいた全員が、しばし沈黙する。
そして、静かな声がその場に落ちた。
「……いえ、クレア。あなたが『そのまま進め』って指示を出してましたよね?」
クロの淡々としたツッコミに、クレアはぴたりと動きを止めた。
そして数秒後、恥ずかしさを押し殺すように小さな声で呟いた。
「……すみませんでした」
その声は、どこか床に吸い込まれていくように小さかった。
一日の作業を終え、夕食も済んだ夜。リビングには、ほんのりと落ち着いた空気が漂っていた。シゲルはソファにもたれ、片手に缶ビール、もう片手には熱々のソーセージを持ちながら、ゆったりとした時間を楽しんでいた。
「ほら、クレア。おまえの分も作ってやったぞ」
根負けしたようにそう言うと、シゲルは調理器から構成した焼きたてのソーセージをプレートのまま差し出す。
「ありがとうございます、お父さんっ」
クレアはクロの肩から降りテーブルの上に乗り、目を輝かせながらソーセージにかじりついた。
その様子をちらりと見て、シゲルはビールを一口あおる。
「明日からは俺とアヤコで十分だ。作業ロボットとドローンが組んだプログラムが今も動いているから、人手はもういらん」
「そうだね。クロも明日からハンター業に戻っていいよ。――ノアも、登録済ませておいで」
アヤコはそう言いながら、端末をテーブルに取り出した。
「これ、中古だけど、私が手を加えてある端末。クロのと似た仕様で、小型ドローンも内蔵してる」
テーブルに置かれたそれは、コンパクトながら重厚感があり、裏側には超小型ドローンが二機収納されていた。
「……いいんですか?」
驚いたように目を見開きながら、ノアはそっと端末を手に取る。
「もちろん。ただし――後できっちり請求するから、頑張って仕事して稼いでね?」
にこりと笑うアヤコに、ノアは苦笑しながら頭をかいた。
「わかりました。しっかり儲けてきます」
そう言いながら、端末の仕様を確かめるように操作を始める。
その横で、シゲルは再びソーセージをかじりつつ、低く唸るように言った。
「戸籍は明日の朝には、その端末に送っておく。処理も全部こっちで済ませておく。――でだ、機体の方だが……今は俺の名義で管理してる。その戸籍代のかわりってことでな」
「はい」
ノアは静かに顔を上げる。シゲルは缶ビールを煽りながら、視線をそらしたまま続けた。
「だがな。おまえがちゃんと稼げるようになったら――同じ値段で売ってやる。その間は、レンタルって形で貸し出しておく。……それと、これも持ってけ」
シゲルがポケットから取り出したのは、くすんだ銀色の鍵だった。
「……この鍵、なんですか?」
「昔、俺がばあさんに怒られた時に逃げ込んでた家だ。避難用の拠点ってやつだ」
「やっぱり、それか」
思わずこぼれたアヤコの言葉に、シゲルは肩をすくめて笑う。
「平屋で狭いが、一人で住むにはちょうどいい。ギルドにも近い。地図データは送っておく。自由に使え。ただし……汚ねぇぞ。掃除はしてくれ。家電はそのまま使っていい。壊れてたら――遠慮なく最新に買い替えろ」
ノアは驚きと戸惑いの入り混じった表情のまま、手のひらの上で鍵をじっと見つめ、やがて大切そうに指先で包み込んだ。
「……ありがとうございます」
それだけを、静かに口にする。
シゲルは鼻を鳴らし、手にした缶をもう一口あおった。そして、クロの方を見やりながら、言葉を継いだ。
「クロ。これはお前が下した判断でもある。もし、こいつが――間違った道を歩みそうになったら……」
その言葉に、クロはほんの少し間を置いてから、まっすぐに頷いた。
「……わかってます。責任をもって、塵にします」
その一言は、冗談めいた言葉選びでありながら――決して冗談ではなかった。声に込められた意思の重さに、その場の空気が一瞬、静かに引き締まる。
その覚悟の言葉を正面から受け止めて、ノアは背筋を正し、しっかりとクロを見た。
「……絶対に、後悔させません」
その声は、決意と、誓いのような響きを持っていた。