神の指示と贈り物
「神、ね……まあ、そういう話になるか」
シゲルが腕を組んだまま、やけに堂々と宣言する。
「――だがな。この家の中では俺が神だ。だから、許可する。でっかいのを一セット、作れ」
「じいちゃん、それ言っちゃうの……」
呆れたようにアヤコがぼやくが、クロは珍しく口元を緩め、肩をすくめるように微笑んだ。
「……了解しました。神の指示であれば、仕方ありませんね。一セットだけ、作るとしましょう」
クロが静かにそう告げると、シゲルは満足げに頷き、再び作業モードに入る。
最初に彼が向かったのは、バハムートの右腕部分だった。
「――こいつが、ノアの機体だな」
握られているストームシュトルムを見上げながら、シゲルは振り返らずに指示を飛ばす。
「アヤコ、清掃ドローンをコックピットに回せ。内部の掃除とスキャンもな。クロ、お前は右手、少し緩められるか?」
「了解しました」
クロが頷き、本体の右手に静かに触れる。次の瞬間、巨躯の指がゆっくりと開かれ、ストームシュトルムをそっと放した。
「ドローン起動。コックピット、清掃ルート確立。ロック解除確認――開始」
アヤコは端末を操りながら、淡々と報告を入れる。小型の清掃ドローンが音もなく起動し、機体の内部へと滑り込んでいった。
同時に、シゲルも端末を操作。大型の搬送ドローンがゆっくりと接近し、解放された機体をしっかりと掴んで固定する。
そして――
バハムートの右腕から切断されたストームシュトルムの腕部が、無重力の空間にふわりと浮かび上がった。
その様子を追いながら、シゲルはゆっくりと近づき、切断面や内部構造を観察する。
「……綺麗に切断されてやがる。けど、こいつ……見たことねぇフレームだな」
スキャン装置を起動し、内部構造を確認するも――
「データベースにも該当なし。マジかよ……これ、ほんとにワンオフか?」
シゲルは苦々しく息を吐き、アヤコに問いかける。
「アヤコ、システムの解析はどうだ?」
「スキャンしてるけど、わかんない。思考検知型のコックピットってのは確かなんだけど……使ってるOSとか通信プロトコルが、どこの系統にも属してないのよね。調べるなら時間、かかるよ」
「チッ、まあいい。今日はそっちが本命じゃねぇ」
ひとまず優先順位を切り替えたシゲルは、手早く指示を出す。
「アヤコ、この右腕もドローンで吊って保管しとけ。クロとクレアは――融合して準備しろ。俺たちは先にエレベーターで俺のドックに向かう」
それぞれが頷き、手分けして作業に取りかかる。
アヤコたちがエレベーターで離脱したことを確認したクロとクレアは、バハムートの本体へと向かう。
「……ん?」
クロが立ち止まり、首元を見上げる。
バハムートの首と胸の部分に、これまでなかった小さな隆起が現れていた。その中央には、開閉式の装甲パーツが付けられている。
一方、ヨルハにも同様の変化が起きていた。頭部後方に、鬣のような突起が一つ増え、そこにも同じ形状の開閉式の装甲パーツが追加されている。
「クロ様! わ、私の頭部に変化が!」
興奮気味に報告するクレア。その反応にクロは無言で頷き、バハムートの胸部に埋め込まれたパーツへと手を伸ばす。
軽く触れた瞬間、装甲が静かに開き、その中には――人型に凹んだモノリス。そして、そこには一枚の手書きメモが丁寧に挟まれていた。
『取り外し可能な疑似コックピットです。分身体が起きたまま融合できるようにしておきました。貴方の母より。P.S. ヨルハちゃんの頭部にも、将来のために同様のモノリスを用意してあります。』
優しい丸文字で綴られたその手紙に、クロはしばし視線を落としたまま黙り込む。
「……女神の仕業か……確かに俺の“生みの親”ではあるが」
その呟きは、自嘲にも懐古にも似て、どこか遠い記憶をなぞるように漏れた。
クレアは、クロの様子にわずかな違和感を覚え、そっと顔を覗き込む。
「クロ様……」
呼びかける声には、不安と気遣いが滲んでいた。
クロはゆっくりと瞬きをひとつ挟み、彼女の瞳を真っ直ぐに見返す。
「……いや、大丈夫だ。驚いただけだ」
そう言って、微かに口元をほころばせながら、優しくクレアの頭を撫でる。
「どうやら、女神からの“贈り物”らしい。……この世界に、俺たちが少しでも馴染めるようにと設けた――“疑似コックピット”だそうだ」
クロはそう口にすると、胸部に現れた開閉パーツへと手を伸ばし、静かにその蓋を開いた。
「クレアも、同じようにやってみろ。お前の場合は、本体の頭部――ガラスのような部分に触れてみてくれ」
淡々とした口調ながらも、その指示にはいつも以上に丁寧さがあった。
クロが指先でパーツを押し開くと、内部には光を帯びた“モノリス”が現れる。人の形を模した、その凹みに自分の体を滑らせるように収める。
「クレア、その人型のモノリスに、自分の体を合わせてみてくれ。クレアの形には合わないが、体をつけるように」
「……はい、やってみます」
クレアも同様に頭部へ前足を添え、モノリスへと身体を重ねていく。クロも重ねると、コックピットのモノリスが変形を始め、まるで人を迎えるかのように椅子のような形へと変わっていく。
その瞬間、視界がわずかに震え――本体と分身体がぴたりと繋がった。
感覚が、滑らかに重なり合っていく。
「なるほど……こうやって、“一緒に動く”のか」
クロとバハムート――ふたつの声が同時に響いた。声色に違いはあるのに、不思議と一体の存在に感じられる。
「……面白い感覚だな。意識を一瞬で切り替えられる。これなら、いちいち体内に空間を作って端末を操作する手間も省ける」
クロはそう言いながら、視界を切り替える。バハムートの視界、クロの視界それぞれの切り替えが軽やかに出来た。
「ヨルハはどうだ?」
クロが問いかけると、通信先からヨルハの冷静な声が返ってくる。
「驚きました。意識の切り替えは興味深いですが……戦闘中に対応できるかどうか、少し不安です」
「真面目だな。だが、大丈夫だろう。お前なら問題ない」
クロは僅かに笑みを浮かべると、端末を操作してドックの空気を抜き、次いでドックのゲートを開いた。
「行くぞ、ヨルハ。あまり遅くなると、お父さんがうるさいからな」
「はい。バハムート様」
宇宙に出る彼らの背を、ドックの灯が淡く照らす。
その静謐さを破るかのように、クロはふと小さく呟いた。
「……まあ、どうせ遅れたら、いつものように怒られるんだろうけどな」
皮肉めいたその声に、肩のヨルハがくすりと笑う気配を返す。
そう――シゲルに怒られる。けれどそれも、今ではすっかり“日常”の一部になっていた。