ノア・シンフォス、名を得し再生者
活動報告を更新しました。
いつも本作品を読んでいただき、本当にありがとうございます。
これからも『バハムート宇宙を行く』をよろしくお願いいたします。
ウイングは一度、小さく息を飲んだあと――胸に手を当て、ゆっくりと呟いた。
「……ノア。ノア・シンフォスでお願いしたいです」
静かに告げられたその名には、ほんのわずかな震えと、確かな決意が宿っていた。
「ノア・シンフォス、か。――いい名だな」
シゲルはそう言ってビールをひと口あおると、端末に入力を始める。
「性別は男で、年齢は……そうだな、13歳くらいにしとこう。あとは適当にAIで経歴をでっち上げて、細かいとこはあとで俺が修正しとく」
気負わず淡々と進めながら、シゲルは視線をノアに戻す。
「――で、お前。仕事はどうする?」
「仕事……ですか?」
「おう。せっかくだからハンターになっとけ。ただし、クロとは組むなよ。あいつはあいつで特異点みたいなもんだ。お前は別チームで、頑張れ」
茶化すようでいて、どこか優しい声音だった。
ノアは一瞬だけ目を見開き、それから――小さく、けれどはっきりと頷いた。
それを見たシゲルは、ふっと笑みを浮かべるとビールを置き、立ち上がりながら言う。
「よし、明後日までには戸籍、仕上げてやる。――でだ、明日は手伝え。古い輸送艦を売って、クロの輸送艦のペイントとシステムの入れ替えもやるぞ。アヤコも、クロも、クレアも……そしてノア、お前もだ」
突然の作業指示に、その場が一瞬だけ静まる。
「いいよ。システムの入れ替えは私が担当するね。ペイントはドローンに設定すればすぐ終わるし。――クロ、ロゴはレッド君でいい?」
アヤコは即座に了承し、どこか楽しげに微笑む。すでに頭の中では、作業の流れを綿密に組み立てている様子だった。
「構いません。レッド君でお願いします。……私は、何をすればいいですか?」
クロは相変わらず静かな口調で問いかける。その瞳には、わずかなやる気の色が浮かんでいた。
「お前は本体で輸送艦の入れ替えな。それと、転移を使って荷物の移動。全部まとめて頼むぞ」
「了解しました」
「クレア、お前はレッド君を使ってアヤコや俺の手伝いだ」
「はい。レッド君の操作ならお任せください」
クロは淡々と、クレアはどこか誇らしげに胸を張って応じる。その表情は自信に満ちていた。
シゲルはそれを一瞥し、ふっと笑ってからノアの方を向く。
「で、お前は――俺のサポートだ。こき使うから覚悟しろよ」
予想外の任命に、ノアは少し驚いたように目を見開き、視線をあちこちにさまよわせたあとで――
「……はいっ。僕も、やります!」
緊張と戸惑いを抱えながらも、懸命に返すその声には、ほんのりとした誇らしさが滲んでいた。“仲間として何かを任された”という実感が、胸の奥でじわりと広がっていく。
その様子に、シゲルは満足げに鼻を鳴らすと、ビール缶を手に取り再び腰を下ろす。
「よし、じゃあ明日は朝から気合い入れていくぞ。――仕事だ、仕事。お前ら全員、覚悟しとけよ」
その声に、アヤコが軽く笑いながら返す。
「じいちゃん、なんだかノリノリだね」
シゲルはにやりと口元をつり上げ、ビールを片手に得意げに言い放つ。
「そりゃあな。百年以上前のオンボロ輸送艦から、最新の――しかも軍用の大型輸送艦だぞ?」
テンションはすでに上がりきっているようだった。
「それが、ほとんどタダ同然の値段で手に入ったんだ。……いいか、クロの物は俺の物。改造するのが、今から楽しみで仕方ねえんだよ」
肩を揺らしながら笑うシゲルの横で、クロはひと言だけ。
「……所有権は一応、私のままですが」
「細かいことは気にすんな! 現場主義だ!」
すかさずシゲルが一喝し、部屋には小さな笑い声が広がった。
アヤコは空になった皿とボトルを手に取り、ソファから立ち上がる。そのままキッチンへ向かいかけたところで、ふと思い出したように振り返り、クロに声をかけた。
「そうだ、クロのアプリ、完成してるからね。あとで端末にインストールしとくよ。――請求は、100万Cでお願いね」
口調は軽やかだったが、その笑みの奥にはしっかりと“仕事としての顔”が覗いていた。クロは、いつも通りの無表情で静かに答える。
「問題ありません。今日は、お姉ちゃんのおかげで三億以上入りましたから」
「さん……三億!?」
ノアが目を見開き、椅子ごと飛び上がりそうな勢いで叫ぶ。
その反応に、アヤコはにやりと笑い、ソファーに戻る。クロは小さく首を傾げたまま、不思議そうにノアを見ていた。
シゲルは手元の端末を操作し、スクリーンに一つの艦艇データを投影する。
「――これだ。クロの輸送艦。二台確保して、そのうち一つをギルドに売ったんだよ」
表示されたのは、最新鋭の軍用大型輸送艦の設計仕様だった。
「アヤコ、最初いくらって言われたんだっけ?」
その問いに、アヤコはやれやれと肩をすくめる。
「それがね~、ひどかったんだよ。3,000万Cだよ? この最新型でそれって、ありえないでしょ?」
怒り交じりにそう言いながらも、その表情はどこか楽しげだった。
シゲルは苦虫を噛み潰したような顔をし、ビール缶をぎゅっと握る。
「……グレゴの野郎、クロがバカだからって買い叩こうとしやがって」
「ひどいよね~。ねぇ、クロ。もし私がいなかったら、頷いてたでしょ?」
アヤコに向けられた問いに、クロは首を傾け、小さくうなずいた。
「はい。面倒ですので、そのまま承諾していたと思います」
「おいおい……」
シゲルは額を押さえながら呆れたようにうめくと、指をぴしっとアヤコに向ける。
「これから買取関連は全部、アヤコが確認しろ。お前に任せる」
「了解。――その方が安心だね、ほんと」
軽やかに応じるアヤコの声に、クロはただ静かに頷いた。
その様子を見ていたノアが、ふと口を開く。
「……すごいんですね、ハンターって」
ぽつりと漏れたその言葉には、驚きと憧れが滲んでいた。
だが、その一言にシゲルが即座に返す。
「勘違いすんなよ。こいつが特別なだけだ」
ビール缶をテーブルに置きながら、視線だけでクロを指す。
「そういや、お前――こいつの正体、まだ知らねぇよな?」
「えっ……? いえ、知りませんけど?」
ノアが不安そうに眉を寄せると、シゲルは口元を吊り上げるようにして笑った。
「クロ、言ってやれ。――こいつになら話しても問題ねぇって判断して、連れて帰ったんだろ?」
その言葉に、クロは静かに頷き――手元の端末を操作する。
投影されたスクリーンには、銀と黒を基調とした重厚なデータフレームが浮かび上がった。中心には、太字の警告文のような文字列が、静かに、しかし威圧的に表示される。
『バハムート:現時点における、世界最高額の討伐対象。最高ランクのハンター部隊を壊滅。その後も、数多の挑戦者が出たが全員失敗。わずかに生還した者たちの証言は――『対処は不可能』という、ただ一つの結論に至った』
静寂が落ちた室内で、クロが淡々と口を開く。
「私は――いや、“俺”は、バハムート。ここに記されている通り、現在この世界で最も高額な懸賞金が掛けられた賞金首であり――“最強種”と分類されている存在だ」
その声音はあくまで平坦で、威嚇の色も誇示の調子もない。けれど、静かだからこそ際立つ――凄烈な現実が、淡いスクリーンの光に照らされていた。
ノアは、その光景と言葉をただ見つめたまま、呼吸を忘れていた。ようやく喉が動き、小さく息を呑む音が漏れる。
そして次の瞬間、身体の芯から冷えるような感覚とともに、彼はその場に硬直していた。