ハンター規約と信頼の境界
ジンはクロの問いを受け止めるように、端末を操作しながら一つの文書を投影した。スクリーンに浮かび上がったのは、淡く青い印章の入った電子署名ファイルだった。
「これが“国際中立憲章”――ギルドと各国が交わしている協定よ。内容はかなり長いけれど、要点を言うとね」
ジンは穏やかな口調のまま、視線をクロに戻す。
「ギルドは政治・経済のいかなる圧力も受けない。国家からも、企業からも。もちろん、こちらから干渉することも禁じられている。あくまで――“公平な支援基盤”として、独立して存在するの」
そう言って、ジンはさらにもう一つの署名を呼び出した。今度は、クロにも見覚えのある画面だった。
「そしてこちらが、ハンター規約の署名データ。クロも最初にサインしたわよね」
画面にはクロのコードである『個別認証コード:F18CK-F78』の文字が確認できる。
「これは簡単に言えば――ハンターは“人類の最後の砦”であることを明文化したもの。宇宙災害、未知生命体、テロリズムなどに対抗する力として認められている。ただし、同時に強く定められているのが――一般人に対する“非人道的行為や重大犯罪を犯した場合、その者は除名され、即座に賞金首として扱われる”って項目よ」
言い切ったジンの目には、一切の揺らぎがなかった。それは、長年ギルドの中枢に身を置き、国家や企業と静かに渡り合ってきた者だけが持つ、揺るぎない自信と信念の眼差しだった。
クロはしばらく黙ってから、ふと視線を落とし、ぽつりと口を開いた。
「……なるほど。では、私の場合――存在そのものは、どうなりますか?」
その問いには、自嘲でも不安でもない。ただ、規則に照らした上での確認という淡々とした響きだけがあった。
ジンは少しだけ眉を上げ、ふっと笑みを浮かべる。
「意地悪な質問ね」
そう前置きしてから、柔らかな声で静かに答える。
「本来なら、討伐懸賞金最高額のバハムート――というだけで、規則上は“罰するべき対象”になる。それが正確な運用よ。……けれど、実際はそうしない。これは、私とグレゴとギールの“総意”」
ジンは言葉を選ぶように、ひと息置いてから続けた。
「私情を込めて言うなら……私はあなたに感謝してるのよ。アヤコに笑顔が多くなったのは――間違いなく、あなたのおかげだから」
その声には、揺るぎない理と、ほんのわずかな温度が滲んでいた。静かな信頼と、確かな思い――それが、言葉の端に滲んでいた。
「それと……もしクロのハンター資格を取り上げたりなんかしたら――」
ジンはわざとらしく肩をすくめて、ふっと微笑んだ。
「ここにバハムートが現れて、ギルドごとコロニーを吹き飛ばされるかもしれないでしょ?」
互いのやり取りに、場の空気がわずかにやわらいでいく。
「さて、せっかくだから――ハンターの種類についても、簡単に説明しておこうかしら」
ジンはそう言って、端末に指を走らせる。映像が切り替わり、新たなスライドが空中に浮かび上がった。そこには、三種類のハンター分類が図示されている。
「まず一番多いのが、フリーランスのハンター。――クロも、そのひとりね」
ジンは笑みを浮かべながら、自然と視線をクロへと向ける。
「依頼の受注、賞金首の選定、宇宙生物の狩猟――全部自分で決めて、自分の判断で動くタイプ。自由度は高いけれど、同時にすべての責任も背負うことになるわ」
映像が切り替わり、今度はハンターたちの装備や移動手段が強調された図がアップになる。
「基本的には――自前の戦艦や輸送艦に乗って移動して、そこで戦ったり、戦闘機や起動兵器を使ったり。中には、自作のロボットで出撃するなんて人もいるの。まあ、“トンデモ仕様”な子も多いけどね」
ジンは苦笑交じりにそう言い、肩をすくめてみせた。
「基本的には、チームでの行動が前提になるわ。その組み合わせは千差万別。戦艦を旗艦に据えてる人、起動兵器を中心に据えてる人、果ては“ほぼパワードスーツ”で戦う人もいるわ。自由だからこそ――その個性が色濃く出るのが、このタイプの特徴ね」
ジンの声はあくまで穏やかで、どこか誇らしげでもあった。クロの立ち位置が、この“自由な戦力”という枠に確かに含まれていることを、映像が静かに裏付けていた。
ジンは再び画面を操作し、別の分類を投影する。
「そして、もうひとつが“企業ハンター”。文字通り、企業と契約して活動するハンターね」
画面には、企業ロゴの入った戦闘機や制服姿のハンターたちの姿が映し出される。
「討伐任務も一応できるけれど、基本は企業の方針に従って動くことが多いの。たとえば、輸送艦の護衛、試作機のテスト運用、企業施設の防衛――そういった任務が中心ね」
ジンは指先でいくつかのデータを呼び出しながら、やや表情を緩める。
「ただし、その分制約も多いの。企業所属の機体しか使えなかったり、戦艦が貸与制だったり、制服やロゴの着用義務がある場合もあるわ。でも――収入はかなり良いし、勤務日数や休暇も明確。いわば、“安定重視型のハンター”ね」
クロが映像に見入る中、ジンは最後のスライドへと切り替えた。
「そして最後は――“副業型ハンター”。これは、本業を持ちながら副業として簡単な依頼を受けている人たちのことよ」
画面には、工具を手にした整備士や商店主風の人物たちが、携帯型装備で依頼をこなしている姿が描かれていた。
「戦艦や専用装備は基本持たず、必要最低限の携帯武装だけ。活動範囲もコロニー内や周辺に限られていて、住民からの依頼――小規模な修理や護衛、モンスターの駆除なんかが主な仕事ね」
ジンはひと息つき、クロへと目をやる。
「以上が、今のギルドで主流のハンター三分類。……もちろん例外はいるけれど、だいたいこの枠に収まるの」
そして、ジンは最後のスライドを呼び出すと、少しだけ表情を引き締めた。
「最後に――“戦争”に関する注意をしておくわ」
映像には、複数の軍用艦隊が衝突するような光景が、淡くモノトーンで描かれていた。
「さっきも言ったように、ギルドは戦争には絶対に干渉しない。どんな国家間の紛争であれ、中立の立場を貫く。それがギルドの存在意義だから」
ジンの声は変わらず静かだったが、その奥には確かな強さが宿っていた。
「でも――ハンターは別。個人として、自分の故郷や友人のために戦争に参加することは、禁止されていないわ」
そこで一拍置いて、ジンはクロをまっすぐに見つめる。
「ただし、ギルドはそこに一切の支援をしない。武器も艦も補給も、何ひとつ。そして――もしその戦争の中で、非人道的な行為や重大な犯罪を犯した場合は」
言葉を区切り、明確に告げる。
「その瞬間、ハンター資格は剥奪。即座に賞金首として登録されることになるわ」
ジンは一転して柔らかな口調に戻しながら、静かに微笑んだ。
「……要するに、すべて自己責任ってこと。自由には、責任がついて回るのよ」
すべての説明を終えたジンは、少し肩の力を抜くようにして、ふとクロを見つめた。
「でも――クロがこの国のトップになるために、国を潰すって言うなら……」
わざとらしく声を落とし、微笑を浮かべる。
「私は、見て見ぬふりをしてあげるわ」
その言葉に、クロはほんのわずかに目を瞬かせたあと、ため息まじりに返す。
「……いくら腐ってても、そんなことはしませんよ。ただ――向こうから吹っかけてきたら……やるしかないですけど」
静かな声の中に、わずかな苦笑が混じる。
ふたりの間に、ほんの一瞬の沈黙が流れたが、すぐにどちらともなく目を細めた。それがただの冗談であることは、お互いにわかっていた。だがその冗談の奥に、わずかに見え隠れする“本気の可能性”――それすらも、笑って受け流せるほどの信頼が、今ではふたりの間にあった。