不機嫌な報酬と、仕方ない現実
シゲルは手を止めることなく作業を続けながら、ぼそりと呟く。
「とりあえず、そいつが起きないと話にならん。お前は一旦ギルドで金、もらってこい」
取り外したパーツを手早く洗浄液に浸け、丁寧に汚れを落とす。その手つきは、どこか楽しげですらあった。
「わかりました」
短く答えたクロは、静かに転移の構えを取る。微かな光とともに、その姿が作業場から消えた。
シゲルはその残像を目で追いながら、ぽつりと呟く。
「あいつが来てから、儲かって仕方がない……それに――」
言葉の続きを飲み込むように、シゲルはパーツをそっと置いた。作業場を出て、静かな通路を抜ける。
ふと足を止め、アヤコのいるカウンターを覗き込む。
作業台に向かう彼女は、夢中でプログラムを書き込んでいた。真剣な横顔に浮かぶその微かな笑みが、今の彼には何よりの報酬だった。
「……いい方向になってきたな。アヤコの笑顔が――増えてくれたのは、いいことだ」
その声は誰に向けたわけでもない。ただ、独り言のようにこぼれた言葉には、静かな安堵と、少しの照れくささが滲んでいた。
ギルドの屋根裏に転移したクロは、一歩足を踏み出して目の前の光景に思わず目を見開いた。
そこには、ベッドに眠るギールの姿。その周囲には、裁縫道具やミシン、大量の布が散らかっており、ひと目で混沌と分かる有様だった。床には切り取られた布とともに、クロが渡したあの麻袋も転がっている。どうやら、それに合わせて寸法を測り、何かを縫おうとしていたらしい。
「袋の袋を縫う……いや、それ以前に裁縫道具が山のようにあるな。趣味なのかな」
ぽつりと呟いてから、クロはあまり深入りせずに視線を引き、静かに踵を返す。そして、足音を立てぬように一階のカウンターへと向かった。
階段を降り、カウンターを覗くと、そこにはやけに不機嫌そうなグレゴの姿があった。重たい腕を組み、額に皺を寄せたまま、何かを噛み締めているような顔つき。
クロの姿を見つけるなり、グレゴはズンと視線をぶつけてくる。その目に宿った怒気は、ほとんど爆発寸前だった。
「どうしました?」
クロが静かに問いかけると、グレゴは唇をひくつかせ、言葉を絞り出すように返した。
「ああ――どっかの誰かのせいでな。格安で手に入るはずだった輸送艦が……最高買取価格になっちまったんだよ!」
拳をぎゅっと握り、肩を震わせながら、グレゴは怒りを飲み込みながら、どうにか理性を保っていた。とはいえ、その怒りの矛先が誰なのかは、見ればすぐに分かる。“誰とは言わんが”とでも言いたげな態度で、彼の視線はじっとクロを捉えて離さない。
クロはそんな視線にも動じることなく、わずかに首を傾げた。
「……それは、私のせいではなく――お姉ちゃんに言ってください。もしくは、父さんですね」
いつも通りの平坦な声音だったが、言葉選びは意図的だった。少なくとも、自分が当事者でないことを明確にするために。
グレゴは顔をしかめ、額に皺を刻んだまま、苦々しげに口を開いた。
「連れてきたのは――お前だよな」
じっとりとした声色には、苛立ちと諦めがない交ぜになっていた。だがクロは一歩も引かない。淡々と、理を積むように返す。
「連れて行けと言ったのは、父さんです」
その即答に、グレゴはぐっと言葉を詰まらせた。拳を握り直し、奥歯を噛み締めたまま、何かを飲み込むようにして唸る。
――理屈じゃ、どうにもならん。
頭ではそう分かっていても、感情がすんなり収まるほど単純ではない。せっかくの最新の大型輸送艦が、想定外の介入で“最高買取価格”に跳ね上がってしまったのだ。それが誰のせいかといえば――もう、答えは明らかだった。
「……なら、シゲをぶん殴る!」
ようやく言葉を吐き出すように、グレゴは叫んだ。その拳には、もはや怒りというより“どこかにぶつけたい理不尽”が込められていた。
「それでいいかと」
クロはあっさりと頷いた。まるで最初からその結論を見通していたかのような、静かな受け答え。
その様子に、グレゴは深く息を吐き、肩を落とす。怒りを表に出すには、相手が理知的すぎた。かといって、このまま飲み込んで終わらせるのも癪だった。
「……くそ、腹立つなあ、ほんとに」
ぼやくように呟いたグレゴは、腕を組み直すと、ふいにクロから視線を外した。くるりと背を向け、しばらく黙り込んだまま、深く息を吐く。
その広い背中には、怒りとも諦めともつかぬ感情が漂っていた。まるで、不本意ながらも“負けを認めた男”の空気をまとって。