裁きと再生の腕輪
「では、少ししたら作業場に転移します」
そう告げるクロに、通信の向こうでシゲルが鼻を鳴らす。
『自分の部屋にしろ! それと、靴は脱げよ!』
ぶっきらぼうな一言を残し、通信は乱暴に切られた。
その様子を見ていたウイングは、口を開けたまま何も言えなかった。自分が“生かされた”こと。その上、“戸籍”を得て、この怪物の住処に行くという事実。それは、さきほどまで“死ぬ”か“捕まる”かしかなかった自分の状況から、あまりにも急に飛躍した現実だった。
困惑の色を隠せないウイングに、クロは容赦なく次の言葉を突きつける。
「さて――次は“痕跡作り”だ。覚悟しろよ」
その言葉に、ウイングは思わず息をのむ。
クロの手が別空間に伸びる。次の瞬間、光をはらんだ銀色の輪が掌の上に現れた。
「“再生の腕輪”だ。右腕に装着して、ストームシュトルムのコックピットに乗れ」
その命令に逆らう選択肢は、なかった。
ウイングはおそるおそる腕輪を受け取り、右腕にはめる。カチリという音と共に、輪は肌へ吸い付くように固定される。冷たさはなかった。ただ、何かに取り込まれるような異質な感覚が腕を伝った。
クロの指示で、ウイングはストームシュトルムのコックピットに座る。だが次の瞬間、空気が変わる。
クロの手が再び動いた。脇のポケットから、冷たい光を帯びたビームガンを引き抜く。
「え……なんで……?」
ウイングの顔が引きつる。瞳が怯えと混乱に揺れ、裏切られた子どものように見開かれる。
クロは静かに、しかし冷ややかに言い放つ。
「言っただろ。“痕跡”を作るって」
その言葉と共に、引き金が引かれた。
一発目――腹部。
二発目――左肩。
三発目――右太もも。
四発目――左耳。
五発目――左手。
六発目――右腕。
連続して撃ち込まれるビーム。痛みと衝撃が、一瞬でウイングの全身を貫く。
「――ぎゃああああっっ!!」
悲鳴がコックピットに響き渡った。その声に情けも慈悲もなく、クロの表情は一切変わらない。
彼女の視線は、ただ“後始末”の完了だけを見据えていた。
次々に撃ち込まれたビーム。コックピットは鮮やかに血飛沫で染まり、ウイングの身体はぐったりと前に崩れ落ちる。意識は、限界を超えた痛みと出血で沈んでいた。
クロは無言のままビームガンを、脇のポケットへとそれを滑り込ませるように収納する。
そして、赤く染まった機体の中に横たわるウイングを一瞥。
「――“再生の腕輪”は発動しているな。よし」
傷口から漏れた光が、ごく微かに収縮と再生の兆しを示していた。
肩の上から覗き込んでいたクレアが、満足げに鼻を鳴らす。
「いい気味です。クロ様、もう撃たないのですか?」
「致命傷でなければ、“再生”が始まる。……だが限度はある。ここまでだ」
淡々とした言葉は、処刑にも似た冷酷さを帯びていたが、それでも確かに“命を奪う一線”だけは踏み越えていなかった。
クロは血に染まったコックピットの中、意識を失った少年を見下ろしながら、静かに呟く。
「俺は……優しくなんかない。罰は、受けなければならない」
言葉には、怒りも情けもなく、ただ冷えた判断だけが宿っていた。
「――だが、痛みもなしに償わせるには……こいつは、やりすぎた」
小さな溜息をひとつ。語尾に滲むのは、決して赦しではない。
「たとえ騙されていたとしても――それは、免罪符にはならない」
その背には、誰かを“赦す”より、“裁く”ことを選び続けた者の静かな覚悟があった。
そしてクロは、血飛沫に染まったコックピットを一瞥しながら、淡々と続ける。
「それに……これだけ血を撒けば、誰も“生きてる”とは思わないだろう」
誰に向けるでもない独白のような言葉だったが、その裏には明確な狙いがあった。
すぐにクレアが小さく頷きながら声を漏らす。
「――そこが、狙いでしたか」
クレアが静かに呟いた。鋭い洞察に裏打ちされた言葉には、クロへの揺るぎない信頼がにじんでいた。
クロはそれに短く頷き、静かに一歩前へ踏み出す。
血で濡れ、ぐったりとしたウイングの身体を両腕に抱き上げる。腕の中の少年はまだ微かに呼吸していた。命の灯は、消えてはいない。
そのまま、右手に握っていた機体――ストームシュトルムと、血飛沫がべっとりとこびりついたコックピットを端末のカメラに収める。角度を変えて、複数枚。焦点は“死の痕跡”を残すよう、徹底されていた。
すべてを記録し終えると、クロは視線を落とす。
少年の身体に目を凝らすと、裂けた傷口はゆっくりと、だが確実に塞がりつつあった。痛々しい痕は消え、ビーム痕だった部位には再生の光が走り終えていた。
「……再生、完了」
小さく呟きながら、クロは慎重にウイングの腕から再生の腕輪を取り外す。
腕輪を別空間に滑り込ませ、続けて足元に視線を落とした。
ウイングの靴を脱がせ、丁寧に手に取る。その一挙手一投足に、妙な静けさと整然とした意志が宿っていた。
「……さて。一旦、家に帰りますか」
どこか淡々としたその声に、クレアが嬉しそうに頷く。
「はい、クロ様」
クレアの声には、わずかに安堵の色が滲んでいた。血の匂いが染みついた“痕跡作り”を終え、ようやく一つの段階が幕を下ろす。
次なるは――新たな戸籍を整えるための、静かな帰路。
クロは無言のまま一歩を踏み出す。その腕には、まだ意識の戻らぬウイング――いや、“死んだ”ことにされた名を亡くし、償いを望むひとつの魂が眠っていた。
そしてふたりは、転移の光の中へと消え、“家”へと戻っていくのだった。