処刑宙域と正義の境界線
クロはアヤコと別れ、屋根裏の転移点からそっと姿を消す。瞬き一つの間に、クロとヨルハはドックへと転移し、それぞれ本体へと融合していった。
空間が軋むような微振動とともに、バハムートの双眸がゆっくりと開かれる。わずかに遅れて、伏せるように胸部へ身を寄せていたヨルハもまた、その金色の瞳を開いた。
やがて、ドックのハッチが滑らかに開く。巨大な脚がゆっくりと宇宙へと滑り出て、バハムートの巨躯は、宇宙へと出て浮上した。
ヨルハは胸部から軽やかに跳ね上がり、バハムートの右肩へと移動する。定位置に落ち着いた彼女は、背中の刃鬣を収めつつ、静かに主へ視線を向けた。
準備が出来たと判断し、双翼がひときわ強く脈動する。瞬時に背中の翼を羽ばたき一つで、バハムートはコロニー圏を後方へと遠ざけていった。
「バハムート様。今回は、何を狩るおつもりです?」
肩に捕まりながら、ヨルハが問いかける。
「まだ決めてはいない。ただ――少し、遠出をしようと思ってな」
「遠出、ですか」
「ああ。この宙域から最も近い辺境惑星。その周辺に、どうやら“ヤバい”やつが出没しているようだ」
そう応じると同時に、バハムートの双翼が紅く脈打ち、宇宙を切り裂くように速度を上げる。
「……“ヤバい”とは、どういう?」
ヨルハが静かに問いかける。
「自称・最強らしい。見たこともない型のロボットに乗って、民間船から軍艦、海賊、犯罪組織まで――手当たり次第に襲いかかり、叩き潰して、殺してまわっているそうだ」
「…………バカ、なのでしょうか」
ぽつりと零すヨルハに、バハムートは瞳を細める。そして、わずかに唇の端を持ち上げ――静かに答えた。
「そうだな。現実が見えていないバカか、ただの死にたがりか……」
語尾が消えると同時に、双翼が強く脈動する。宙域の空間が歪み、バハムートは通常艦なら数日を要する距離を、わずか数時間で飛び越えていた。
やがて、航路上に残された複数の襲撃跡の中から、最も新しい地点にたどり着く。
そこにあったのは――ただの戦闘痕とは呼べない、残虐なまでの破壊の痕跡だった。
宙域には、捨て置かれた戦艦が浮かんでいた。艦体は刃物で“試し切り”でもされたように、綺麗に両断されている。装甲の厚さなど意味をなさないほど深く、鋭く。
周囲には、弾痕で蜂の巣にされた機体が漂っていた。明らかにオーバーキル――致命部以外を執拗に撃ち抜かれた、苛烈な痕。
さらに、奇妙な違和感をまとった機体もあった。コックピット以外だけを正確に壊され、まるで中身が恐怖に染まる様を見物するかのように、最後に外殻を無理やり剥がされた痕が残る。
バラバラにされた外殻、引き裂かれた支援機。切断面は熱融解ではなく、実体刃の斬撃によるもの――意図的で、悪趣味なまでに丁寧だった。
そこに漂っていたのは、戦いではなく、見せしめのために繰り返された“処刑”の連続だった。
「これは……いや、バカだな。間違いなく」
破壊の痕跡を見下ろしながら、バハムートが低く呟く。
「そうですね。意味のない行為です」
ヨルハも静かに同意する。だが、心の奥では別の声がささやいていた。
(――でも、バハムート様も以前、接戦だけって……)
思い出す言葉に、少しだけ視線を逸らす。
「俺にも、面白さを求めて戦ったことはある。だが――これは違う。これはただ、快楽をむさぼるだけの行為だ」
(っ……心の中、読まれてる!?)
肩の上で息を呑むヨルハに構わず、バハムートは視線を前へと向けた。
「俺なら、楽しむことはあっても――すべて、一撃で粉砕する。ここまでいたぶる趣味はない」
その声音は静かだった。だが、そこに込められた意志は、鋼よりも重く、冷たく響いていた。
「そうですね……バハムート様の場合、すべてが“一瞬”でしたから」
ヨルハが肩の上で呟くように応じる。
「悪党に慈悲は必要ない。だが――これは、やり過ぎだ」
バハムートの瞳が細められる。その先にあるのは、暴力の果てで“快楽”だけを貪る、歪んだ何か。それを容赦なく切り捨てる意志が、確かにそこにあった。