交渉の火花
昨夜の「神」発言から一夜明け、クロとクレア、そしてアヤコの二人と一匹は、並んでギルドへと足を運んでいた。
「昨日ずっと考えてたんだけどさ、クロって――ある意味、神様寄りの存在だよね」
アヤコの何気ないひと言に、クロはあっさりと頷いてみせる。
「そうですね。私をこの世界に降ろしたのも、女神ですし」
「……ってことはさ、崇めた方がいいのかな?」
冗談めかした問いに、クロはほんの少し口角を上げ、静かに返す。
「やめてください。そうなったら、全力で逃げますから」
「じゃあ、これからも“妹”でよろしく!」
にっこりと笑うアヤコに、クロは素直に頷いた。容姿はまったく似ていない。けれど、並んで歩く二人と一匹の姿は、誰が見ても本物の姉妹のように映っていた。
そうして三人はギルドの扉をくぐり、カウンターに立つグレゴのもとへ向かう。
「お。クロに……アヤコちゃんもか」
重たい声で出迎えたグレゴに、クロが軽く頭を下げる。
「おはようございます。査定は、もう出てますか?」
問いかけに、グレゴは端末を操作し、ホログラムに査定結果を映し出す。
「資材と物資でまとめて500万C、輸送艦は一隻につき3,000万Cってとこだな」
前回同様、それで決まると踏んでいたグレゴ。だが――
「グレゴさん、それはさすがにちょっとひどいよ~? ね、少し腰据えて話そっか?」
にこやかな笑みを浮かべたまま、カウンター越しにじり寄るアヤコ。その背後から放たれる圧に、グレゴはわずかに眉をひそめ、舌打ちをひとつ。
「チッ……値上げ交渉のために来たな」
「クロ、ここは任せて。お仕事、行ってきていいよ」
笑顔の奥に本気の色をにじませて言うアヤコに、クロは静かに頷いた。
「わかりました。あとはお願いします」
クロはカウンターを離れ、掲示板の賞金首を一通り見渡すと、静かに階段を上がっていった。
一方その頃、アヤコは指を鳴らしながら笑顔のまま口を開く。
「さてと、グレゴさん。じっくり話そうよ。ジンさんも呼んで、ね?」
「……ジンは勘弁してくれ。あいつ、アヤコちゃんには妙に甘いんだよな」
「そこがいいんじゃん。正確なデータはジンさんのほうが早いし、説得力も倍増するし。――さ、行こ?」
ぐいっと袖を引かれたグレゴは、観念したように頭をかいた。
「くそ……! おい、誰かカウンター代わってくれ! 俺は今から――交渉地獄に突入だ!」
そう叫びながらアヤコに連れられていくグレゴの背中に、周囲のハンターたちは一様に目を丸くしていた。まるで猛獣を手懐けるかのように引っ張っていく少女の姿に、驚きと興味の視線が集まる。
そんなことは気にも留めず、アヤコは二階のデータ室の扉を軽くノックする。
「どなた?」
内側から聞こえてきたのは、ジンの少し籠った声。
「アヤコです。ジンさん、今いいですか?」
「もちろんよ。どうぞ♪」
返ってきた声には、いつも以上にやわらかな響きがあった。まるで本当の娘が訪ねてきたかのような――そんな親しみと嬉しさがにじんでいた。
扉が開くと同時に、ジンが両腕を広げてアヤコを抱きしめた。その豊かな胸に、アヤコの顔がすっぽりと埋まる。
「ジンさん、苦しいです……あと、後ろがちょっと怖いです」
小声でそう訴えると、ジンはくすりと笑いながら視線を後ろに向ける。
「グレゴ、嫉妬はダメよ。アヤコは特別なんだから」
背後で睨みを利かせていたグレゴに、さらりと釘を刺す。
グレゴは鼻を鳴らし、むすっとした表情のままぼやいた。
「クロの査定交渉だとよ。ジンを味方につけて、値をつり上げる気なんだ」
「いいじゃない。それにどうせ――また前みたいに、最安値で出してたんでしょ?」
ジンの的確な指摘に、グレゴは返す言葉もなく黙り込んだ。
データ室に入り、三人はそれぞれ椅子に腰を下ろすと、すぐに交渉の空気が立ち込めた。
「まずさ、一番納得いかないのが――輸送艦の値段。安すぎるよ!」
アヤコの声が最初に火をつける。
「妥当だ。中古で、しかも輸送艦だぞ? 戦艦じゃない。いくら大型でも、武装もシールドも無しじゃ評価は落ちる」
即座にグレゴが応じた。だがアヤコは引かない。
「でも“最新艦”だよ?」
身を乗り出すようにして、鋭くカウンターを返す。
「しかも、帝国製。クォンタム社の最新モデル! 現行価格で買ったら一隻300億Cはくだらないって知ってる? それを3,000万って、どんな値崩れなの」
畳みかけるような言葉に、ジンが思わず目を丸くする一方で、グレゴは眉ひとつ動かさず応じる。
「確かに“物”としてはな。だがあれは、犯罪組織の使用艦だった。それも、闇ルート経由の横流し品。そっちも、情報はとっくに押さえてる」
そこで一呼吸置き、冷静な声で続ける。
「存在そのものが危ないブツだ。堂々と売買できる代物じゃない。ギルドが買い取ってやるだけでも、ありがたく思ってもらいてぇくらいだな」
「でも――それにしても買いたたきすぎ!」
アヤコはむくれ顔で隣のジンに視線を向ける。
「ね、ジンさんもそう思うでしょ?」
ジンは小さく頷き、軽やかに返す。
「そうね……じゃあ、グレゴ。200億出したら?」
「ジンッ! だからお前はアヤコに甘すぎんだよ! 出せて――せいぜい3億だ!」
「ならそれで!」
アヤコは間髪入れずに即答した。
グレゴは一瞬言葉を失い、しまったという表情のまま固まる。
「……って、おい待て、それじゃ交渉になってねぇだろ!」
グレゴの叫びに、アヤコはにっこりと笑顔で返す。
「大丈夫。その分、資材と物資の査定は――そのままでいいから」
無邪気なようで計算された笑みに、グレゴは深いため息をひとつ。だがその顔には、どこか諦めにも似た苦笑が浮かんでいた。
「……ったく、やりにくいったらねぇ……」
そんなやり取りに、ジンが優しく声をかける。
「じゃあ、ちょっとお茶にしましょうか」
そう言って、ティーセットを手際よく並べ始める。
香り立つ茶葉の湯気がふわりと広がり、しばらくの間、データ室には穏やかなお茶の香りと、静かな安堵の空気が漂っていた。