無垢なる従者、無言の抱擁
しかし、完成したそれは、まだ目を閉じたまま。微動だにせず、静かにその場に立っている。
「……うそ、なにこれ……」
アヤコが、かすれた声で言う。
「マジか……お前、何でもアリかよ……」
シゲルの顔にも、さすがに言葉を失った色が浮かんでいた。
そんな二人をよそに、クロはどこか懐かしげな顔でつぶやく。
「……懐かしいですね。かつて、ダンジョンを構築するために、不眠不休で“下僕”を量産していた頃を思い出します」
ぽつりと告げたその言葉に、場の空気が凍りついた。アヤコとシゲルが、ほぼ同時にクロを見つめる。表情は――完全に引いていた。
静かな間。そして、アヤコが眉をひそめたまま、小さくつぶやく。
「……クロ、労働基準法って知ってる?」
アヤコが呆れたように問いかけると、クロはほんのわずかに考える素振りを見せ、それから真顔で首をかしげた。
「生物ではありませんから、不必要ですよ」
それは、まったくもって真剣な声だった。まるで、そこに疑問の余地など一切ないとでも言うように。
次の瞬間――
「そうじゃない!!」
アヤコの叫びが、作業場の空気を揺らすように響いた。
反射的に工具棚の端末がぴぴっと短く反応音を鳴らし、室内の空気が一瞬だけピリつく。
シゲルが驚いて工具を取り落としかけ、クロは再び不思議そうに首を傾けた。
「……法律は、生物限定なんですね?」
「そういう問題じゃないって言ってるの!!」
再び響くアヤコの声に、シゲルが肩をすくめながら、宥めるような声を出した。
「まあまあ、落ち着けアヤコ……で、クロよ。こいつは実際、何ができるんだ?」
問いかけに、クロはすぐさま答える。
「“何でも”とは言いませんが、力仕事や店舗内外の清掃、作業場の片づけや整備、棚の陳列、軽い運搬などの補助業務……そのくらいなら問題ありません」
ごく当たり前のように告げるその口調に、アヤコはこめかみを押さえながらぼそりと呟いた。
「なんかもう、説明が“求人票”っぽいんだけど……」
その言葉に対し、クロは小さく頷くと、何の含みもなく言葉を継いだ。
「それに、戦闘もできます。そこらの軍人よりは強いです。防犯にもなりますよ」
完全に追加オプションを説明する調子だった。
「いやいやいや、さらっと物騒なこと混ぜるのやめて!」
アヤコが思わず叫ぶと、シゲルが肩を揺らして笑いをこらえながら、ぽつりと漏らした。
「……おい、クロ。それ、ほんとに“マスコット”か?」
「はい。便利な“マスコット”です。試しに――抱いてみてください」
そう言って、クロは目を閉じたままのマスコットを両手で持ち上げた。
そのサイズは、ちょうどクロの上半身ほど。赤いボディに白いグローブ、小さな手足と丸いフォルムが、まるで抱かれるために存在しているかのような形をしている。
クロはそれを、ためらいなくアヤコの前に差し出した。
「騙されたと思って、ぎゅっと抱きしめてみてください」
アヤコは眉をひそめつつも、半信半疑で手を伸ばす。そして、マスコットの体に触れたその瞬間――
「……っ!」
目が、変わった。
手に伝わる生地の感触は、驚くほど滑らかで、すべすべしているのに妙な温かみがある。まるで上質なぬいぐるみに触れたときの、あの安心感。
グッと指先で押してみると、内部にはふんわりとした柔らかさと、しっかりとした弾力が共存していた。まるで、抱いた者の腕にそっと馴染んでくるような感覚。
思わず――抱きしめていた。
「……なにこれ……やば……」
抱きしめた瞬間、身体の力がふっと抜けるような、心地よいぬくもりがアヤコを包み込む。理屈ではなく、感覚が“手放したくない”と告げていた。
クロは静かに語る。
「以前、下僕たちに命じて布袋を量産させたことがありました。これは――本来、別の用途で使う予定だった試作のひとつです。けれど、結局は意味がないと判って、保管していたんです」
そう言いながら、目を細める。
「綿は、前の星で採れた特産のものを使っています。水は“聖水”。最後に“血石”を仕込めば、ひとまず土台の完成です。今回は応用的な手順を試してみましたが……うまくいってよかったです」
アヤコは、まだ腕の中にあるマスコットを抱いたまま、慎重に問いかけた。
「……じゃあ、その“本来”の作り方って、どんなの?」
クロは、少しだけ考えるように視線を外すと、何でもないことのように答えた。
「その辺の土を集めて、聖水で練ってこねます。そこに血石を入れて成形したら、はい完成です。あとはそれを量産して、ひたすら働かせるだけ」
まるで、料理のレシピでも説明するかのような淡々とした口調だった。
「彼らには、ひたすら穴を掘らせてダンジョンを拡張させたり、壁を整えさせたり、宝箱を作らせて中身を詰めさせたり……」
言葉を区切ることなく、クロは続けた。
「モンスター役として配置もしてましたね。来訪者が挑みに来たときの“養分”になるよう、訓練や罠の反応速度のデータも取ってました。……まあ、誰も来なかったんですけど」
アヤコの眉がぴくりと跳ねる。
「……誰も、来なかったの?」
「はい。なので、最終的には内部構造の自動整備と、暇つぶしに追いかけっこをさせるくらいでした」
そこに“悪意”も“皮肉”もない。ただ、事実を述べるように――静かで、どこか哀しげな声だった。
アヤコは何も言えず、マスコットを抱きしめたまま、ただ口を閉ざした。
6月9日(明日)の更新は、お休みさせていただきます。
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次回の更新は6月10日より再開いたします。
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