正義と力の境界線
食後の余韻が部屋を包み、空気が自然と“まったりモード”へと切り替わっていく。
「ねえクロ。今日は、何を狩ってきたの?」
アヤコがくつろいだ声で尋ねると、クロは短く頷き、端末を手に取る。
「これですね」
投影装置が起動し、室内の空間に淡く光るホログラムが浮かび上がる。そこには、ディープグラウンドの討伐履歴が明確に記録されていた。
「……これって、超ヤバい犯罪組織じゃん!」
アヤコの目が一気に見開かれる。情報量の多さと懸賞金の桁違いな額に、思わず声が跳ねた。
「そうですね。攻撃の頻度は今までで一番激しかったですが……所詮は羽虫ですから」
平然と放たれた“羽虫”発言に、アヤコは一瞬引きつる。が、それよりも映し出された懸賞金の数字に、目が釘付けになる。
その横で、ビールを手にしていたシゲルが満足そうに追加を告げた。
「しかもな、その金額は確定分だけだ。まだ査定中の分もある。こいつ、資材や物資まで根こそぎ奪ってきやがった。それだけじゃない」
言いながら、シゲルはビールをぐいっとあおる。喉を鳴らし、缶を机に置いた瞬間――声を張った。
「軍用の大型輸送艦も二隻! あれもまるごと、俺たちのもんだ!」
誇らしげに言い放ったその声に、アヤコがぽかんと口を開けたまま固まった。
「……え、軍用の大型輸送艦? 本当に? どこのメーカーの?」
興味と困惑が入り混じった声に、クロは手元の端末に軽く指を滑らせ、奪ってきた艦の詳細データを投影した。
「これです。えっと……どこの製品ですかね。……たぶん、フロティアン軍が使ってる輸送艦かと」
投影された艦の型番と製造記録を一目見た瞬間、アヤコの表情が一変する。
「――うそ、これ……帝国製じゃん」
思わず、言葉を飲み込むような声音になる。
「これ、クォンタム社のマークが入ってる……なんで? フロティアンはフォトン社の軍備で統一されてるはずなんだけど……」
「そうなんですか?」
クロが小さく首を傾げると、アヤコは画面を指差しながら説明を続けた。
「うん。前に技術系の軍事データで見たよ。フロティアンはフォトン社と軍事供給協定を結んでて、他のメーカー製は基本的に使われないって。それなのに……なんで帝国、それもクォンタム社の輸送艦が出てくるの?」
アヤコの困惑は明確だった。軍の整備方針と異なるメーカー製の艦が、敵勢力の拠点から出てくる矛盾。
その疑問に、クロはごく冷静に答えた。
「ディープグラウンド側の話によると、フロティアン軍と癒着して、資材や物資を“横流し”してもらっていたそうです。この輸送艦も、その横流しの物です。帰還時に現地の駐在軍に囲まれて――軍の所有物だ、って堂々と言われましたが」
クロの報告に、アヤコの眉がぎゅっと寄る。
「……なにそれ、最悪じゃん。完全に腐ってる」
普段とは違う鋭い声音。滲み出る怒気に、室内の空気が一瞬だけ張り詰める。
だが、その隣で――シゲルは呑気に肩を揺らして笑った。
「アヤコ、お前が怒っても何も変わらねぇよ。だったらさ、どんどん横流しさせりゃいいんだよ。クロが狩る。……それで十分だ」
あっけらかんと、冗談のような口ぶりで言い切る。
「そうすりゃ、俺たちの懐は潤うし、コロニーも潤う。悪くねぇ話だろ?」
「じいちゃん! 不謹慎にも程があるってば!」
アヤコがテーブルをばんと叩いて立ち上がる。その声は怒りよりも、呆れと悔しさが混ざっていた。
だが、シゲルはまるで風でも避けるように、平然とビールをひと口飲んだあと、ふっとため息をついた。
「……なぁ、アヤコ。お前は何に怒ってるんだ?」
静かに、けれど鋭く問いかける。
「この国が腐ってることなんて、今に始まった話じゃねぇ。いまさらそれを真っ当にしようなんて――理想論だ。夢みたいなもんだよ」
その口調に怒気はない。ただ、ひたすら現実だけを語る声音。
「だからこそ、クロが狩るんだ。腐ったやつらを、力でもって排除する。それで結果的に物資も手に入るし、コロニーの流通も回る。……理にかなってるだろ?」
言いながら、指を一本立てる。
「余った分は他のコロニーに流せばいい。ギルドには護衛依頼が増えて、若い連中が育つ。いいこと尽くめだ。……誰も損しねぇ」
アヤコは何も言い返さず、そっと視線を逸らした。けれど、頬がわずかに引きつっている。
「でも、それって……正しくないよ」
絞り出すように呟いたその声を、シゲルは軽く受け流す。手にしたビーフジャーキーを、黙ってクレアに差し出しながら言った。
「いいか。力のないやつがいくら正論を叫んだって、意味はねぇんだよ。だったら――力のある奴にやらせりゃいい」
そこでようやく、シゲルの視線がクロに向けられる。
「なぁ、クロ」
問いかけられたその瞬間、クロはふと視線を動かす。彼女の目は、ちょうどビーフジャーキーを美味しそうにかじっているクレアを見つめていた。
そして、何の感情も見せぬまま、淡々と答える。
「……そうですね。アヤコの気持ちは理解しています」
わずかに頷き、続ける言葉は静かだった。
「だから、任せてください。――一瞬で塵にします」
その言葉に、場の空気が一瞬だけ凍りつく。
何の誇張も、何の激情もない。けれどそこには、現実味のある“実行”の気配が、確かにあった。
アヤコは思わず口を開きかけ、けれど何も言えずに一拍置いて――力なく苦笑した。
「……もう。力を持ちすぎると、そういう発言になるんだね。呆れるっていうか、怖いっていうか……」
それでも最後には、アヤコがぽつりと付け加える。
「でも、塵はダメ。せめて――証拠くらいは、残して」
その言葉に反応したのは、ソファでビーフジャーキーを噛みしめていたクレアだった。
「大丈夫です。今日、クロ様はもう塵にして怒られてますから。たぶん、もう塵にはしませんよ。ね、クロ様?」
唐突な暴露に、場の空気が一瞬ぴたりと止まる。
クロは小さく瞬きをしてから、わずかに視線を逸らすようにして答えた。
「……そうですね。そう“努力”します」
その返答に、アヤコが顔をしかめる。
「いやいや、そこは“しないです”って言ってよ……!」
呆れたように言いながらも、アヤコの表情には自然と笑みが戻っていた。ソファの上には、静かに、けれど確かに、家族らしい空気が流れていた。