ギルドの矜持と静かな通告
巨体のまま静かに静止するバハムートとヨルハ。その身から、淡く揺らぐ影がふたつ――やがて現れたのは、少女の姿をしたクロと、小さな黒い狼のクレアだった。クレアはふわりと宙を泳ぐように舞い、慣れた調子でクロの右肩へと跳び乗る。
「……行こう」
クロがそう呟くと、空間が柔らかく揺らぎ、ふたりの姿は一瞬にして掻き消えた。転移の先は、ギルドの屋根裏――これから“いつもの帰還ルート”になる予定の場所だ。そのまま階段を下り、カウンター前へと向かう。その途中、怒号が飛び込んできた。
「てめぇら、ふざけてんのか! ギルドにケンカ売るつもりかよ!? どこに、お前たちの資材だって証拠がある!」
受付前で、筋骨隆々の男が巨体を揺らしながら怒声を叩きつける。グレゴだった。
「証拠はあんのか!? ねぇだろうが! だいたいな――てめぇらが動かねぇから、こっちは仕方なくやってんだよ! 違うってんなら、動いてみろや、このバカ野郎がッ!」
その怒声は、空気を震わせ、場にいた全員の口をつぐませた。どこか芝居じみた騒ぎではない。筋の通らぬことを真正面からぶつける、熱のこもった本気の怒りだった。
クロが階段を下り、カウンターに目を向けると――受付前のグレゴが、通信端末に向かって怒声を叩きつけていた。
「フロティアン軍の輸送艦だぁ? 証拠はどこだ! IDも違ぇし、乗組員もいなかったよなぁ? なら運航計画書でも見せてみろや、あるならな!」
声音に込められた圧は、もはや怒りというより“通告”だった。
「ねぇんだろうが……中佐、これが最後の忠告だ。二度とギルドを敵に回すな」
言葉の端々ににじむのは、凄みと、揺るがぬ自信。それは、ヤクザにも似た威圧と、物語に登場する“敵側の強キャラ”を思わせる異様な圧力だった。通信越しであるにもかかわらず、グレゴの“本気”は、確かに相手に届いていた。
「次、何かあれば本部が動く。その意味……お前は、判ってるよな? なあ、中佐さんよぉ」
静まり返った空間のなか、通信相手が何かを言いかけたその瞬間――グレゴは容赦なく通信を切り捨て、一言、吐き捨てた。
「俺たちを舐めるな、屑が」
ギルド内の空気が凍りつくなか、クロは静かにカウンターへと歩み寄った。誰もが遠巻きに様子を見守るなか、その少女はいつもと変わらぬ調子で、平然と報告を口にする。
「……怒ってますね。狩ってきました」
短く、あまりに淡々としたその一言に、グレゴはじろりと睨みを向けた。だが、クロの変わらぬ表情に毒気を抜かれたのか――しばしの沈黙ののち、大きくため息をつく。
「……お前のせいなんだがな。お前のおかげでもあるってのが、ほんとにもう、めちゃくちゃ複雑なんだよ」
言いながら、いつものようにカウンターの端を指差した。“端末を置け”という合図だ。
クロは素直に腰から端末を取り出し、静かに所定の場所へと置く。
「ちなみに――」
続けた声も、やはり冷静だった。
「通信音声、残してあります。軍と犯罪組織が繋がっていたことを認める内容です」
クロの報告に、グレゴは無言のままイヤホンを手に取り、端末へと接続する。耳にあてた瞬間から、その表情が徐々に険しさを増していく。眉間の皺が深く刻まれ、両腕の筋肉が音もなく盛り上がった。
「……あまり怒ると、体に悪いですよ」
いつもの調子でクロが添えた言葉に、グレゴは「お前が言うな」と喉まで出かかったが――どうにか飲み込み、代わりに低く問いかけた。
「この国の名前、知ってるな?」
「はい。フロティアン国ですよね」
「そうだ。で、今の政治体制には……興味あるか?」
「ありません」
あっさり返されたその答えに、グレゴはひとつ息を吐く。
「だろうな。……まあ聞け。今の政治は、軍部がほぼ握ってる。文民統制なんざあってないようなもんだ」
そこで言葉を切り、グレゴは静かにクロへ視線を向けた。
「この前の誘拐事件――あの依頼の調査で、このコロニーのトップが逮捕されたって言ったな。あれも元軍属だった。そして今、後任に就いてる奴も……やっぱり軍上がりだ」
「汚職がはびこってますね」
クロの淡々とした一言に、グレゴは鼻を鳴らしながら頷いた。
「ああ。だが、お前の持ってきた音声証言と拠点の調査次第じゃ、さらにでかいものが出るかもしれん。……クロ、拠点の場所を教えろ。信頼できる奴を送る」
「………………」
クロは、わずかに俯きながら沈黙した。
「……クロ?」
訝しむようにグレゴが声をかける。
「……ました……」
その小さな呟きは、かろうじて耳に届くかどうかのものだった。
「聞こえねぇよ。クロ、正直に言え。努力はする――なるべく怒らねぇようにな」
「……消滅しました」
言った直後、グレゴのこめかみに明確な脈動が浮かぶ。だが彼は、全力で何かを飲み込むように、深く息を吐いた。