残骸の宙域と、見えざる壁
襲撃を受けた宙域には、今も宙を漂う残骸がいくつもあった。焼け焦げた戦艦の外殻。押し潰されたコックピット。漂う武装ユニットの断片。その光景は、戦闘というより“一方的な破壊”――ただの蹂躙の痕跡だった。
破片のひとつが、ゆっくりと回転しながら宙を流れていく。空間は沈黙に閉ざされていた。ただ、その静けさこそが、現場の凄惨さを際立たせていた。
バハムートの眼が淡く光を帯び、浮遊する残骸のひとつに焦点を合わせる。焼け焦げた装甲の表面に、微かに識別コードが浮かび上がっていた。
「フロティアン軍、第十八小隊……護衛艦か。IDはまだ生きているな」
淡々とした声が、漏れる。視線を滑らせるように巡らせながら、周囲の残骸を見渡す。そこにあるのは、爆裂で砕けた護衛艦の外殻と、随伴していた機体の破片だけだった。
「……護衛艦と随伴機の破壊痕はある。だが――肝心の護衛対象が、どこにもない。残骸も信号も、完全に消えているとはな」
一拍置いて、バハムートは低く呟いた。
「護衛できていないなら……それはただの目印だ」
冷たい断言だった。そこに怒りはない。失望もない。ただ、事実だけが、静かに宙を支配していた。
「ヨルハ。進化した今のお前なら……気づいているか?」
バハムートの問いかけに、肩に乗ったヨルハがぴくりと反応する。小さく鼻を動かし、匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
「この、微かな匂いのことですか?」
ヨルハの言葉に、バハムートは頷く。
「そうだ。今のお前なら、それを視覚として“見る”ことができるはずだ。……二筋の痕跡があるな?」
「はい。見えます」
すぐに返された肯定に、バハムートはしばし無言になる。そして、ごくわずかに、重たげな声で続けた。
「ここで問題なのは……どっちが襲撃犯のもので、どっちがこの護衛艦たちのものか、ということだ」
僅かに間を置き、さらに言葉を継ぐ。
「で、まあ……あまり認めたくはないんだが……俺は、たぶん、方向音痴だ」
声には微かな苦笑が滲んでいた。
「違うと信じたいが……お前から見て、どっちが襲撃者の方か、判別できるか?」
バハムートの言葉に、ヨルハの目がわずかに見開かれる。まさかこの存在が、そんなことを言うとは思ってもみなかったのだろう。けれど、驚きの裏で――ヨルハは小さく、心の中で呟く。
(バハムート様にも、弱点があるんですね……。面白い。でも、少し情けないところがあるのも、バハムート様らしいです)
「はい、わかります。星を渡る力は、失われていません。右斜めに伸びている方が、コロニー側だと判断しました。なので、左下の方角です。私がご案内します」
そう言うと、ヨルハは迷いなくバハムートの肩から跳び、宙へと飛び出した。匂いの軌道を描くように滑らかに移動し、先導を始める。その後ろを、バハムートがつぶやきながら追いかけていく。
「頼む……どうにもおかしい。確か転生前は迷わずに行けていたんだが、この世界では道を見失いやすい。いや、本当に前は迷わなかったんだが……」
どこか言い訳がましくも、妙に真剣な声だった。ヨルハの姿を目で追いながら、バハムートは大きく尾を振りながら進んでいく。
進路の先、しばらく進んだところで――ヨルハがふと、動きを止めた。
「バハムート様。この先……何か、変です」
ヨルハは足を止め、前足で前方を示す。
「空間は続いているのに、目には見えない“壁”のようなものがあります」
その声には、微かな警戒と違和感がにじんでいた。視線の先には、ただの宇宙空間が広がっている。星々が瞬き、黒の中にきらめきが溶ける。だが――明らかに“そこ”だけ、空気が違っていた。
「……ヨルハ。たぶん、それは“警戒センサー”の一種だ」
バハムートは静かに言葉を落とす。けれど、声の端にはどこか楽しげな響きが含まれていた。
「そこに触れれば、恐らく警戒されて――攻撃を受けるだろうな。さて、どうする?」
その問いかけは、まるで“立ち入り禁止”と書かれた柵を前にした悪戯好きの子どもが、友人にそっと目配せするような調子だった。真剣な状況であるはずなのに――その空気を、どこか軽やかに攪拌する。バハムートの声音には、そんな“無邪気さ”が確かにあった。