非業の死
僕の名前は鈴木 良太。
極々、平凡な公務員です。
百一歳の爺ちゃんの名前は又江門。今も元気で鋳造所を経営してます。創業は文明元年ですから五百年以上も続いて
いる伝統ある鋳造所です。
もちろん、初代は刀鍛冶、二代目から鉄砲鍛冶等を経て、二十代目の又江門さんの時代では
車の部品の下請けで細々と経営してます。
又江門さんには鋳造所の社長の肩書きの他にもう一つ肩書きを持っています。
それは発明家。
曾爺ちゃんは、この日本に原子力発電所が出来る前に原子力自動車と言うものを発明したそうです。
その原子力エンジンなるものの試作品をGHQ、いわゆる進駐軍に差し出し、放射性物質を分けてくれと願い出たのです。
もちろん、即却下されました。
ただ、その原子力エンジンの設計図はGHQのある機関に没収されいまだに返してもらってないという話です。
次に水で走る自動車を発明し大手自動車会社に売り込もうとしたのです。
その画期的な水力エンジンに関して、しばらくの間、会社からは何の連絡もなかったそうです。
半年後に何百万のお金でその水力エンジンの発想を買い付けに
会社の幹部の人が直々に曾じいちゃんのところに頼みに来たそうです。
まだ終戦間もないころの話です。
「このような水力エンジンができたら我々が今多額の金を掛けて
開発しているガソリンエンジンが水泡に帰してしまいます。
また、石油会社も大打撃をこうむります。これからの日本経済の発展のためにもこの水力エンジンの開発
を諦めてくれませんか」と、泣きながら訴えたそうだ。
仕方なく、曾爺ちゃんは涙を呑んで、数百万のお金を受け取った。との話。
つまり僕の曾爺ちゃんは、エジソン顔負けの発明王なのでした。
と、言いたいのですが何せこの話はじいちゃんが晩酌の酔った時に出る自慢話で、どこまで本当か
どうかわからないのが実際のところです。この噂話は僕の街界隈では法螺の都市伝説になっています。
でもその話は案外眉唾なものでない事がハッキリしました。
それが曾爺ちゃんが発明したハイパー特殊合成の繊維、これは、誰が見ても二十一世紀の大発明です。
仕事から帰った僕に曾爺ちゃんは手招きして僕を工場内に連れ込んだのです。
そうそう言い忘れました。
僕の家族は今のところ曾爺ちゃんと僕だけの二人家族です。
父親は警察官で僕が三歳の頃に殉職しました。
母親は僕が中学校の頃に再婚で、この家から出て行きました。
それ以後ほとんど会っていません。母親は母親より女を選んだんですね。別に恨んではいません。
これも人生ですから。
ただ、父親が殉職した理由がちょっと問題があって、それを物心付いた僕が知ることになり多少落ち込んだ
時がありましたが、でもその反面父親のある一面を知り救われもしました。
父親は警視庁特殊急襲部隊SATの一員で狙撃班に所属していました。
ある麻薬シンジケートのアジトで銃撃戦が始まり父親もその現場に出向きました。
父親は射撃の名手でどんなに遠いところからでも的を外さない腕を持ってました。
現場では激しい銃撃戦が行われていて、SATに出動がかかりました。
幸い、人質はいなく犯人の確保だけの捕り物だったらしいです。
父親はビルの屋上からそのアジトを狙っていました。
襲撃班が催涙ガスをアジトに撃ち込み、ドアから出てきたところを確保しようとしたのですが
出てきた麻薬組織の一味は銃を放ち、運悪くSATの一人が腹を撃たれ人質になってしまったのです。
一味の数は十人にも及んでいました。
父親は上からの命令を待ってました。
今なら人質を助け、一味を確実に狙える。
父親は、俺の腕なら全ての一味を間髪いれずに撃てると自負してたんでしょう。
だけど、連絡はまだ来ない。
人質は、大量の血を流している。
このままでは仲間が死んでしまう。と、父親は思ったはずです。
思い余って、父親は引き金を引きました。
まず、人質を捕えている男の銃を持つ手首を狙いました。
ライフル弾は男の手首を撃ち抜き、手は銃弾の勢いで引きちぎれ、銃を持ったまま地面に落ちました。
次は右にいる男三人の頭を次々と撃ち、そして唖然としている残り五人の胸めがけ弾を放ちました。
ライフルはオートマチック製。
引き金を引くたびに銃弾が装てんされるので発射時間は短縮される。
父親のすご腕でその銃撃戦は十秒で終わった。
残った麻薬一味は襲撃班のSATが確保した。
この一部始終を遠くから、テレビ局の取材員が映像で捕らえていた。
その場を離れようとした父親の周りに記者が取り囲んだ。
マスクをかぶって顔を隠している父親にテレビ局のマイクが次々と襲ってきた。
普通はそれを振り切りその場を撤収するのが常だが、どういうわけか父親はとんでもないハプニングを
おこしたのだった。
それは、マスクを脱ぎ顔をあらわにしてカメラの前で堂々と告げたのだ。
「良太、見てるか。父さんお仕事がんばったよ、誕生日おめでとう」っと言ってのけ、しかも笑顔のピースサイン。
これには、取材班も唖然として言葉を失ったらしい。
そう、その日は僕の三歳の誕生日だったのです。
父親の顔は全国に流された。もちろん麻薬組織の連中にもその顔を知られてしまった。
三ヵ月後、帰宅途中の父親は何者かによって射殺されたのです。




