54. 別れ
コンコン
木の扉を叩く軽い音。
朝日の中で寝不足の目をこすって起き上がり、左手の腕輪とログを確認。
うん、危険はなさそう。
疲れきってぐっすり眠っている温かく柔らかい身体はベッドに残したままで、一応腰にシーツだけ巻いて応対に出た。
「はい、どなた様――」
ガチャリ
って、開けたドアの先にいたのは。
「え、ひゃ、きゃ、やああっ! ごめんなさいっ!」
……って、目がまん丸――しかもガン見してるくせに真っ赤になるとかって。
面白くてちょっと笑った。
俺本人ならセクハラで訴えられそうだけど、今はエドワードなんだから別に見苦しくもないはずだし、楽しんでいただけているようでもあるし、ノックしたのはそっちとはいえ開けたのはこっちなんだから謝らなくていい。
あくびをしながら聞いた。
「メアリ? 何で君がここに――? なんか言い忘れたことでもあった? それともここの王家から言伝てでもあった?」
俺、昨夜どこに泊まってるとか言わなかったのに。ウェインかクリスが教えたのかな。
そんなことを考えながらあくびをもう一つ。
「え、あ、あの、わたし昨日ウェインさんに――あなたともう一度話して欲しいって言われたから――」
やっぱりあいつらか。
「んん~? 何を?」
寝不足の頭を振って。
あ。これって、マズいやつだ――。
って今更気がついた。
だって、俺の背後。今出てきたばっかりのベッドの中に誰がいるって……さ。
「まあ、当然っちゃ当然か……」
二十秒後、俺はくっきりと赤い手形がついているであろう左の頬をなでながら、メアリが放り投げて行った(おそらく朝食だった物の残骸入りの)バスケットを床から拾い上げた。
「ここんとこずっと禁欲生活だったんだし、優しいお姉さんと楽しむくらい、いいじゃんか――」
その夜――顔を合わせづらくはあったんだけど、あのままってのもなんかダメかなって気がしたので、俺はちゃんとお別れを言いにメアリのところに行った。
とはいえ正式な訪問ではなくて、元通りのできるだけ目立たない旅装で、夜中にメアリの部屋のバルコニーに転移したんだけど。
左手首にはお役立ちのプリシラ作の腕輪。「顔を合わせたらいろいろ言われそうだし、また作ってくれって頼みに行くのが面倒だからお前のをよこせ」でクリスから奪ったやつ。クリスにとっては好きな女からもらった物だし、ごねられるかと思ったけど意外とすんなり渡してくれて助かった。
今朝の小さな事故には触れず、世話になったお礼と謝罪だけを伝えなおす。
メアリはちょっとだけさみしそうな顔をした。
「エド――やっぱり行くのね?」
少しは惜しんでくれてるみたいなのが嬉しくて、俺も笑う。
「ああ、どうやら俺のハッピーエンドはここにはいないみたいだしね」
片目をつむってみせたらメアリがちょっとだけ怒った顔になった。
「パッピーエンドを探しているならたくさんの中の一人でいさせちゃダメでしょう?」
?
「俺が探しているのは最初から一人だけ――甘ったるい乙女ゲーを捨てて俺と一緒に別世界に行くって言ってくれる人――だぞ?」
「え?」
「『え?』って? あ、今朝のお姉さんは一応別ってことで――彼女はそれが仕事だし、俺も割り切ってるし、自分だけじゃなくてちゃんと相手にも満足してもらえるように――ってのは余計だったな。とにかく、彼女ができたら絶対その子ひとすじだって誓えるから――だけどやっぱ難しいんだろうな――なんたってここは女性たちの夢をかなえるための世界だから」
首を振りながらの情けないため息の後で「俺が男としての自我を保つためにも早く彼女になってくれる子を見つけ出してこの世界から出ないと――だけど自分の希望ばっか優先させるわけにはいかないし……」難しいんだよ、と首もう一度を振る。
「あ、そうだこれ、浮ついた手紙をくれた女性たちの証拠品――これもメアリにあげるよ。好きに使うといい」
なんだか困惑した顔のメアリに小箱を渡す。
後は大丈夫かな。
「エド――あの……本当に行くの?」
「行くよ。いつまでもここにはいられない。いい加減に連敗記録にストップをかけたいし」
「連敗記録?」
「四桁を超える失恋記録をどうにかしないと――昨夜も一個追加されたし。まあ、もう慣れたけど。ああ、それでも俺が自分から申し込んだのはメアリだけだから――アレが最初の一回、ってことにしてもいいかもな」
うん。そうだ、そうしよう。
失恋記録は一回、だ。
「じゃあ、元気で。いつか向こうで――ゲームなんかじゃない、次に何が起こるかわからない現実で会える日が来ることを願ってる――その時はまた、俺と友達になって。エドワードとは程遠いぶっさいくな男でも嫌じゃなければ、だけど」
なんだか泣きそうな顔で頷くメアリは、本当にかわいい。
流石乙女ゲーのヒロイン。
俺のヒロインはどこにいるのかな――いや、いるのかな。いやいや、いるはずだよな。俺、まさかこのまま彷徨ったりしないよな――不穏な考えを追いやって手を振り、次の国に転移する。
そして俺が消えたバルコニーでは。
「『一人増えたところでたいして変わらない』って――あの人に心変わりする人間が、って意味じゃなかったのね……ああ、本当にもったいないことしちゃった――でもダメ。今更よ。追いかけたりできない。わたしはここでこのゲームを全うする。エヴァー・アフターのハッピーエンドを迎えるわ。だけど……」
月夜の夜空を見上げて、美少女は大きく息をする。
「もうループは望まない。このゲームのエンディングを迎えたら、他のゲームに行きたいなんて願ったりしない。本当の現実で、彼に会わなきゃ。優しい作り物の世界で守られて癒されるのは楽だけど、ちゃんと帰らないと彼には会えない。友達って言われたけど、自分から申し込んだのは『わたしだけ』だって言ってたし、脈はある――ハズだから」
きゅっと両手を拳にして笑う――泣きながら。
そしてグランヴィル王国では。
「エドワード様、元気でした? ハッピーエンド、見つけてた?」
「いや、魅力的なご令嬢はいたが――フラれてたよ」
ミチカとクリス。
「えええっ!? エドワード様をフッたの――なんでっ!?」
「……いや、厳密にはフラれていなかったぞ」
ミチカの驚きにウェインが答えた。
「まあ、どういうことですの?」
優雅に紅茶を口に運びながらプリシラが聞く。
「アレは彼女の方が諦めた――ってやつだ」
「諦めた、のか? メアリ嬢が? はっきり断っていたじゃないか」
お茶受けのクッキーに手を伸ばしながらクリスが不審顔。
「アレは誤解だ。エドワードが他にも多くの女性たちを侍らせるつもりでいるのならその中の一人にはなりたくない、と――そしてあれだけの人間の前で一度断っている以上、たとえ思い違いに気づいたとしても言を翻すのは難しい。もう一度話すように勧めてはおいたが――だから諦めたんだろう」
「ああ、それであの子に兄上の宿を教えたんだ? だけど兄上はフラれたんだって思ってただろ――」
「ああそうだ。その後何も言ってこないところを見ると、結局失敗したな」
首を振りながらウェインが紅茶に手を伸ばした。
「え~~~、もったいない!」
「本当に、不器用な方ですわね」
「そうよね、あの人に口説かれたら好きにならない女なんていないのに――あ~あ、会いたかったな~!」
「まったくよね。元気でいるなら顔を出すくらいなさればいいのに。久しぶりにお姿を拝して癒されたかったわ~」
「ですよね! せっかく来たのにウェイン様とクリス様にしか会わないで行っちゃうなんて――頭をポンポンってして欲しかったのに。酷いです!」
「腕輪くらいいくらでもさし上げますのに、会いに来てもくださらないなんて……焦らしプレイかしら?」
不満たらたらの女性二人を前に、ウェインとクリスが不満顔をしつつ、エドワードを連れて帰らなかったのは正解だった、と内心で安堵の息を吐いた。
「ミチカ、それは私に対する挑戦か?」
ウェインがメガネの奥の瞳を細め、声をかすかに低くしてわずかに顎を上げ、
「いえっ! そんなことは、けっしてっ!」
びくりとしつつ、どこか嬉しそうにミチカが答える。
「プリシラ――まさか君、まだ兄上のこと――」
その隣でおろおろし始めたクリスには、
「そうね~、本当にエドワード様の『外見に極振り』の威力ってすごいのよね。盛装で仮面舞踏会だなんて――ぜひ参加したかったわ」
プリシラが艶のあるほほえみを浮かべてそう言った。クリスがあわててその手を取って睦言をささやき始める――平和だ。
そして世界のどこかではあの自称カミサマが。
「わっ! アヤノさんが浄化されてるっ!? やったー! ついに生きる気力を取り戻してくれたのねっ! これでまた私の評価もUP! ――うんうん次回はちゃんと現実の人間界に転生を希望、本当に良かった! だけどあんなに嫌がってたのに、何があったのかな~……ええっと~記録装置は――あれ!? アヤトさんじゃない。あの人まだあの国にいたのね。じゃあ二人そろってハッピーエンドに――なってないっ!? えええ? なんで――彼女ができないって言ってたから、この前のお礼を兼ねて極振り度をあげて(・・・)おいたのに――なんなの、何があって――ああああ、あの不器用アホ王子――そのままキスの一つもして口説き落として攫っちゃえばよかったのに――」
すべては俺のあずかり知らぬところでのこと。
次回から3rd storyですが、入る前に少しお休みをいただきますm(__)m