3話 占星魔術師
ーー翌朝。
リーミアが部屋を出て一階の広間へ向かうと、ティオロはすでに朝食を終え、いかにも落ち着きなく足を組んでいた。
「おはよう」
「お、おはよう。君、遅いね。寝坊か?」
「……少し寝坊しただけよ」
気まずそうに席につくリーミア。宿の主人が用意してくれた食事を口に運び始めると、ティオロが何気ない口調で話しかけてきた。
「今日は買い物か? それともどこか行くのか?」
「買い物というより、行きたい場所があるの」
「へえ」
ティオロはわざとらしく腕を組み、ちらりとリーミアの顔を窺う。その顔には、隠しきれない期待が浮かんでいた。
「実は僕も、ちょっとだけ行きたい所があるんだけどさ。昨日、急な入用で手持ちがなくてね」
「……いくら必要なの?」
「そうだなあ……金貨二、三枚くらいあると、すごく助かるかな」
言いながら、満面の笑みを浮かべるティオロ。
リーミアは一瞬だけ迷うそぶりを見せたが、すぐに巾着袋から金貨を三枚取り出した。
「分かったわ」
「えっ、ほんとに!? よ、よっしゃ!」
「はい」
ぽん、と手のひらに置かれたずっしりとした金貨を見て、ティオロの顔が一気に輝く。まるで、その日暮らしの自分には縁のない宝物でも見たようだ。
「助かるよ! もう君は命の恩人だ!」
「ただし、受け取るなら条件があるわ」
「条件?」
リーミアはすました顔で、静かに言い放った。
「今後、私の護衛役を務めてもらうわね」
「ああ、うん! それくらいなら全然いいよ! お安い御用だ!」
返事だけはやけに軽い。ティオロは金貨を大事そうに懐へしまうと、勢いよく椅子から立ち上がった。
「じゃあ、僕は急いで用事を済ませてくるね!」
「ええ」
「すぐ戻る……たぶん!」
そう言って、ティオロは弾けるような笑顔を残し、文字通り宿を飛び出していった。
それを見送っていた宿の主人が、やれやれと呆れたように近づいてくる。
「あいつめ、逃げやがったな」
「え……逃げたのですか?」
「十中八九な。あの顔は金が手に入った時の顔だよ」
主人は肩をすくめてため息をつく。
「手元に金が入ったから、遊びに行ったんでしょうよ。あいつ、この街じゃ義賊なんて呼ばれてるが、まあ実際はかなりいい加減だからね。遊ぶ金に困ったら、またその辺でスリをやるさ」
「むぅ……」
リーミアはむっと頬をふくらませ、ティオロが飛び出して行った扉の方をじっと見つめる。
(護衛役を頼んだのに……!)
「騙された……?」
「まあまあ。金がなくなれば、そのうち戻ってきますよ。あの気楽な義賊は、そう簡単に死にはしません」
「それでは困ります。急いで行かなければならない場所があるのに……」
不機嫌そうにため息をつきながら、リーミアは席を立った。そして、修道院から持ってきたという、古びた羊皮紙の地図を広げる。
それを見た宿の主人が、思わず目を丸くした。
「お嬢ちゃん、それ……ずいぶん珍しい地図だな」
「修道院から借りたの。旅が終わったら返すことになっているわ」
地図の上には町並みが細かく描かれており、指でなぞると場所を動かしたり拡大したりできる。普通の羊皮紙とは明らかに違う、不思議な品だった。
リーミアは地図を見つめながら、小さく呟く。
「レンティ占術師って、ご存知ですか?」
「ああ、聞いたことはあるよ」
主人は地図の一点を指差した。
「この辺だな」
「ここ……街外れの方ね」
リーミアは示された場所に指を置く。すると、小さな光の印が残り、地図を動かしてもその場所が分かるようになった。
「ここからだと、ちょっと遠そう……」
「歩くことにはなるな。まあ、変わり者で有名な婆さんだから、あんまり関わらない方がいいとは思うけど」
「祭祀様に、会うよう言われているの」
「そういう事情があるなら止めないさ」
リーミアは主人に向かって小さく微笑んだ。
「ありがとう」
そう言うと、彼女は旅装を整えるために部屋へ戻っていった。
-----酒場
一方、その頃。
まだ朝の空気が残る時間だというのに、市場の一角にある酒場はすでに開いていた。
「よお、おっちゃん! 一杯くれ!」
ティオロの顔を見るなり、店番の男は眉を上げた。
「ん? 珍しいなティオロ。どうした、真面目に働いて金でも入ったのか?」
「ちょっと違うけど、まあ副収入ってやつ?」
「お前の副収入って、ろくな響きしねえな……」
男は呆れつつも、木のジョッキに酒を注いで差し出す。ティオロは受け取るや否や、それを一気に飲み干した。
「くぅーっ! うめえ!」
「朝からそんな顔できるの、お前くらいだぞ」
そこへ、店の扉が開いた。荷物を抱えた若い女性が入ってきて、ティオロを見るなり目を丸くする。
「あら、ティオロ。どうして店にいるのよ。あんた、今までツケのまま逃げて、出入り禁止だったじゃない」
「ずいぶんな言い方だな、アンナ」
店番の男が肩をすくめる。
「副収入が入ったんだとよ」
「へえ。じゃあ今までの未払い分も払えるのかしら?」
女性――アンナはにやりと笑った。ティオロは嫌な予感しかしない。
「た、多分……?」
「ちょっと待ってて。今すぐ計算するから」
アンナは奥へ引っ込み、慣れた手つきでそろばんを弾き始めた。
しばらくして戻ってきた彼女は、一枚の紙を差し出す。
「はい、これだけ」
「……うわっ」
思わず顔が引きつるティオロ。その金額を横から見た店番の男も目をむいた。
「おいおい、さすがに多くないか、アンナ!?」
「今までの分、全部込みよ」
ティオロはしばらく黙り込んだあと、観念して懐からリーミアにもらったばかりの金貨を三枚取り出した。
「これで足りる?」
「……足りるわ。お釣りを用意する」
アンナは慌てて奥へ下がる。ティオロは椅子にもたれ、がっくりとうなだれた。
「しまったな……。もっと、五枚くらい貰っとけばよかった……」
せっかく手に入れた金貨は、借金という名の闇に、思った以上に早く消えていくのだった。
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占術師レンティの店
マネニーゼ市場 街外れ
リーミアは地図を片手に、市場の通りを歩いていた。人通りの多い大通りを抜け、地図の示す通りに、少しずつ街外れへ向かう。
そして、ある場所まで来たところで足を止めた。
「ここ……?」
目の前の建物は、周囲の家々と比べても明らかに異質だった。古びた外壁。窓辺には奇妙な装飾が吊るされ、意味の分からない術具のようなものが、あちこちにぶら下がっている。
どう見ても普通の店ではない。まるで、お化け屋敷のようだ。
「宿の人が言っていた“変わり者”って、こういう意味だったのね……」
リーミアは思わず一歩後ずさる。
「やっぱり、引き返そうかしら……」
その時だった。
「おや、うちの店に用かね?」
いきなり後ろから声がして、リーミアはびくっと肩を震わせた。
振り向くと、自分と同じくらいの背丈の老婆が立っていた。背は曲がり、杖をつき、赤茶色のフードをかぶっている。
しわだらけの顔に細い目。だが、その視線だけは妙に鋭く、ぎらりと光って見えた。
「イシシ……こんな所に立ってないで、中に入りな」
「は、はい……」
「大丈夫だよ。茶くらいは出すからさ」
老婆はそう言って、先に店の中へ入っていく。リーミアもおそるおそるその後を追った。
店内には、ますます奇妙な品々が並んでいた。怪しい装飾、用途不明の置物、どこで手に入れたのか分からない道具の数々。見ているだけで落ち着かない。
リーミアは軽く一礼した。
「はじめまして。私はリーミアと言います」
「イシシ……どうも、はじめまして。私はレンティじゃよ」
二人は向かい合って腰を下ろす。
「今日は術具を買いに来たわけではなくて……王位継承のことを知りたくて来ました」
「ほう……王位継承とな」
レンティは興味深そうに目を細める。
リーミアは少し迷ったあと、腰の短剣を静かに取り出した。
「私は修道院で育ちました。小さい頃から、他の子とは違う鍛錬や勉学を受けてきました。剣術、柔術、魔術、召喚、治癒……色々です。そして十四歳になった時、祭祀様からこれを授かって、貴女に会うよう言われたのです」
「……それを、見せてみなさい」
レンティの表情が変わった。リーミアが銀色の短剣を差し出すと、老婆の手がわずかに震える。
「さ、触ってもよいか?」
「はい」
レンティは慎重に短剣を持ち上げた。そして鞘から抜こうとするが――びくともしない。
「やはりか……」
老婆は息を呑み、短剣をリーミアへ返した。
「それはただの短剣ではない。聖魔剣に連なる神秘の剣じゃ」
「聖魔剣……?」
リーミアは思わず短剣を見つめる。昨日、ティオロに言われた「玩具」という言葉が脳裏をよぎったが、この老婆の表情は真剣そのものだ。
「見た目は短剣でも、持ち主の意思で姿を変える。魔を祓う力を持つが、同時に持ち主の命すら削りかねん危険な代物よ」
祭祀も修道院の者たちも詳しく教えてはくれなかった。だからこそ、今の言葉は重かった。
レンティは湯気の立つ茶を二人分用意しながら続ける。
「百年前、この国は魔獣の群れに襲われた。絶望の中、当時の王女『リムア姫』が聖魔剣を手にし、自らを犠牲にして国を救ったと言われておる」
「リムア姫……」
「今ではもう伝説じゃ。だが、この国に正統な王は今もおらん。いるのはあくまで代理王のみ。そして王位継承を認めるのは、神殿の大神官アルメトロスだけじゃ」
リーミアは身を乗り出した。
「では、この短剣を持って神殿へ行けば、王位継承権を得られるのですか?」
「そう簡単にはいかん」
「どうしてですか?」
レンティは苦笑した。
「毎年、王位継承を名乗る者は現れる。珍しい剣を持つ者も、お前さんだけではない。だから神殿は、試練を乗り越えた者だけを継承者として認める仕組みにしておるのじゃ」
「直接、大司教……いえ、大神官様には会えないのですか?」
「会えるなら、とうに誰かが王になっておるわい」
リーミアは言葉を失った。
そんな彼女を見ながら、レンティはさらに続ける。
「実はな、お前さんが来る少し前にも、似たような境遇の者が一人来た」
「え……?」
「その者は森で不思議な剣を見つけて、自分こそ王位継承者だと信じておる。そして今は、街の冒険者ギルドに通っておるのじゃ」
「冒険者ギルド?」
聞き慣れない言葉に、リーミアは首をかしげた。
「魔物退治や依頼を請け負う者たちの集まる場所じゃよ。そこで功績を積み、上位の称号を得れば、いずれ大神官にも会える」
「つまり……冒険者ギルドに通うのが、一番王位継承に近い道なのですね」
「そういうことじゃ」
リーミアは小さく頷いた。ようやく、自分の進むべき道が少し見えた気がした。
「では、この辺で一番近い冒険者ギルドはどこですか?」
「それなら――」
レンティは、街にあるギルドの場所をリーミアに教え始めた。




