第94話 「本接触前夜」
嵐は、
吹き始める前が一番静かだ。
だから人は、
その静けさを覚えておかなければならない。
《オルビタ》の観測ドームには、重い静けさが漂っていた。
最初の接触点での偵察から、すでに十数時間が経過している。
だが、誰一人として気を緩めてはいなかった。
モニターには、外縁宙域の位相分布が映し出されている。
星の配置。
重力波。
そして、見えない境界の揺らぎ。
「……動いてる。」
レイが、小さく言った。
ヒナタが、すぐに画面へ視線を向ける。
「……どこ?」
レイは、指先で三箇所を示す。
「……ここ。」
「……それと……ここ。」
「……あと……ここ。」
チサが、眉をしかめる。
「……三方向。」
主任研究員が、急いで計算を走らせる。
表示された結果に、誰もが息を呑んだ。
「……侵入予測……三点同時。」
ヒナタが、静かに息を吸う。
「……来るね。」
チサが、椅子にもたれたまま言う。
「……偵察の次は……本番か。」
レイは、ゆっくりと頷く。
「……はい。」
「……測定は……終わりました。」
モニターの波形が、わずかに変化する。
それは歪みではない。
整列だった。
「……向こう……準備してる。」
レイが、低く言う。
ヒナタは、腕を組んだ。
境界を守る。
言葉では簡単だ。
だが、侵入が三箇所同時なら話は違う。
「……三人。」
ヒナタが、ぽつりと言う。
チサが、笑う。
「……ちょうどいいじゃねえか。」
レイが、ヒナタを見る。
「……分担しますか。」
ヒナタは、少し考えた。
それから、首を振る。
「……違う。」
チサが、眉を上げる。
「……何が?」
ヒナタは、モニターを指さす。
「……三つあるけど……本当は一つ。」
主任研究員が、振り向く。
「……どういう意味だ?」
ヒナタは、ゆっくり説明する。
「……向こうは……侵入してくるんじゃない。」
「……境界を……押し広げる。」
モニターのデータを重ねると、確かに見えてくる。
三つの侵入点は、線で繋がっている。
レイが、目を見開いた。
「……位相拡張。」
チサが、低く唸る。
「……面で来る気か。」
主任研究員が、息を呑む。
「……そんな規模の接触は……記録にない。」
ヒナタは、はっきりと言った。
「……でも……理屈は同じ。」
「……境界は……押されると広がる。」
「……でも……押し返せば……戻る。」
チサが、口元を歪める。
「……シンプルだな。」
レイが、小さく笑う。
「……はい。」
「……ヒナタらしいです。」
管制の警告音が、ゆっくり鳴り始める。
緊急ではない。
だが、確実に迫っている音だった。
「……侵入予測……残り二時間。」
ドームの空気が、さらに重くなる。
ヒナタは、境界モニターを見つめる。
恐怖はある。
だが、逃げる選択肢はない。
「……守ろう。」
チサが、椅子から立ち上がる。
「……ああ。」
レイも、ゆっくり立ち上がる。
まだ体は完全ではない。
それでも、視線は真っ直ぐだった。
「……三人で。」
モニターの波形が、ゆっくりと大きくなる。
宇宙の静けさが、わずかに歪む。
本接触まで、あと二時間。
それは、
世界が境界を守れるかどうかを試す、
最初の本当の夜だった。
偵察の次に来るのは、本接触。
第三勢力は三点同時侵入という新しい方式を準備していた。
それは単なる突破ではなく、境界そのものを押し広げる試み。
ヒナタは、その構造を見抜く。
三つの侵入点は、実際には一つの面。
守るべきは点ではなく、境界そのものだ。
本接触まで、残り二時間。
三人の責任主体としての戦いが、いよいよ始まろうとしている。




