79. 再開の約束と共に、安堵の帰路へ
「うーん、やっぱ、ダメかぁ」
コーグ公国の城壁前で、ビュラン伯爵は心底残念そうな顔で溜め息をついた。その周囲では、私たちフィオーレ王国一行が乗る馬車の準備が慌ただしく進められている。
「ビュラン伯爵、私としても、長い間無理をさせてしまったあなたの気持ちをなるべく尊重したい気持ちはあるのですけれど。さすがに公爵と三人の伯爵しかいない議会の構成員の一人が急にいなくなるというのは、公国として困りますわ」
溢れ出る「瘴気」と、暴走するイグニス・コア。二つの問題を解決した私たちは、もう一泊の誘いを断り、その日のうちにフィオーレ王国へ帰国する準備を進めていた。
フォルナ公爵は「もう一日ぐらいゆっくりして行ってもよろしいのでは」と穏やかに勧めてくれたが、キウイの「早く私をチェリーさんに会わせてください」という切実な要望もあり、私たちは早々に帰国することになったのだ。
私たちの帰国に合わせて、ビュラン伯爵が「あたしも一緒に行っちゃダメかな?」と半ば衝動的に言い出したのだが、フォルナ公爵が首を縦に振ることはなかった。
ビュラン伯爵も、この突拍子もない要望が通るとは、当然思ってはいなかったようで、肩をすくめ、苦い顔をして笑っていた。だが、わずかながらでも「もしかしたら」ぐらいの気持ちはあったのか、その瞳には、隠しきれないほどの未練が宿っていた。
「ビュラン、あなた、ちゃんと公国での身を落ち着けてから来なさいな。大丈夫、アヤメはどこにも逃げないんだから。ちゃんと待っていてくれるわ」
スフェーンさんが呆れながらビュラン伯爵を諌めると、隣に立っていたアヤメも微笑みながら言葉を続けた。
「ビュラン、また会いに来ますわ。コーグ公国とこれから大切に進めていく取引、溶岩の買い付けの話も進めないといけませんし」
その言葉に、ビュラン伯爵は未練を振り切るように、俯けていた顔をしっかり上げ、アヤメとスフェーンさんに力強く頷いた。
「アヤメ……スフェーンも、ありがとう。あたし、ちゃんと最後まで頑張るよ」
互いを思いやり、絆を確かめあった三人の様子に、フォルナ公爵は目を細め、優しい笑みで応えた。
「私としても、愛し合う二人を引き裂く気はありませんの。なるべく早く、ビュラン伯爵の移住を叶えられるように努力しますわ」
その言葉に安堵したアヤメとビュラン伯爵は、顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。二人はフォルナ公爵に改めて深く感謝を伝えると、ようやく心置きなく別れの挨拶をすませた。
「アヤメ、あなた……惚れっぽいのかしら?」
私が思わずそんなことを言うと、アヤメは純粋な笑みを浮かべて、首を横に振った。
「違うのです、サクラお姉様。私、誰でもいいわけではありませんの。スフェーンとビュランだからこそ……ですわ」
そう言っているアヤメの瞳はどこまでもまっすぐで、曇りが一つもなかった。私はその胸のうちに秘めている愛情の清らかさとまっすぐさを、確信を持って実感した。
「そうね……アヤメが幸せなら、言うことはないわ」
私がそう言うと、アヤメは心の底から満足そうに微笑んだ。
私がルリと一緒に馬車が準備される様子を眺めていると、不意に、少し遠巻きに私たちの様子を窺う視線を感じた。
その視線の主――マレット伯爵は、何かを言いたそうに、しかし踏み出すのを躊躇うように、私たちから少し離れた場所に立っていた。
私よりも先にその視線に気づいたルリは、人間社会の遠慮など知らないように、迷うことなくまっすぐにマレット伯爵の方を向いて、声をかけた。
「マレット……えっと、伯爵様。なにか、ごようですか?」
まさかこちらから声をかけられるとは思っていなかったようで、マレット伯爵は意表を突かれたように、肩をびくっと跳ねさせた。
マレット伯爵は、俯き、絞り出すように言葉を続けた。
「……っ、ルリ様、それにサクラ様……。私は皆様にとても失礼な態度を取ってしまいました。大変申し訳ありませんでした……っ」
マレット伯爵は、私たちがコーグ公国に入国した時の、私たちを拒絶するような態度を詫びた。
「あなたは、ただ、この国がしんぱいだったんでしょう? サクラも気にしてないよね?」
ルリが純粋な瞳で私の顔を覗き込む。正直、ルリに対してのあからさまに強い態度を思い出せば、許せるものではない。しかし、当の愛しいルリが気にしないと言うのなら、私もそれに従うしかなかった。
「またルリに非礼を働くなら話は別ですけど……」
そう言って、釘を刺すようにマレット伯爵に視線を向けながら、私は続けた。
「もう反省していらっしゃるのでしょう? でしたら、過去をいつまでも責めるつもりはありません」
「だよね! なので、わたしたち、だいじょうぶです!」
マレット伯爵は、ルリが太陽のように屈託のない笑顔で放った言葉に、ただただ、まぶしそうな顔をした。
「でも、私、償いを……っ」
謝罪の言葉ばかり繰り返すマレット伯爵に、ルリは少し困ったような顔をした。
「むむむ……あっ!」
ルリはきらきらした顔でそう言うと、明るい声を上げた。
「じゃあ、わたしのおともだちになってほしいですっ」
ルリは迷いなく、優しく手を差し出して、続けた。
「わたし、ずっと海にいたから、陸におともだちがいなくて……。アヤメやキウイやチェリーはいるけど、みんなかぞくだし……。だから、おともだちがほしいなって、ずっと思ってたの」
思いがけない言葉に、マレット伯爵は一瞬驚いたような顔をしたが、その表情はすぐに安堵と喜びに変わった。そのまま、ルリの差し出した手を強く握り返した。
「……ええ、いいでしょう。私のことはマレットと、そうお呼びくださいな」
「マレット! よろしくね、わたしはルリ、人魚のルリです!」
ルリは無邪気に弾んだ声でそう返すと、差し出した手を離さずマレット伯爵と強く握りあった。
嬉しそうに手を握り合う二人の様子を見て、私も心底から心が温かくなった。愛しいルリの、純粋でかわいらしい願いが叶ったことに、胸が熱くなるのを感じた。
「皆様、馬車の準備が整いましたよ。さあ、フィオーレ王国に帰りましょう」
私たちは、そわそわするキウイに急かされるようにして馬車に乗り込んだ。
後ろを振り返ると、フォルナ公爵をはじめ、ビュラン伯爵やマレット伯爵、そしてカナ伯爵が、私たちに深々と頭を下げて見送ってくれていた。
そして、私たちが乗った馬車は、ゆっくりと、フィオーレ王国に向けて出発した。
四章はもう一話ありますが、ドワーフの国での出来事はこれが最後になります。
お付き合いいただきありがとうございました。
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