67. 人魚の熱情と、人間の身体
コンコン、と部屋の扉がノックされる音で、私は目を覚ました。ベッドから身を起こして返事をすると、キウイが静かに部屋に入ってきた。
「おはようございます。身支度のお手伝いに参りました……おや、ネグリジェにお着替えになったのですか?」
昨日、眠りの挨拶をした際に着ていた、フォルナ公爵が貸してくれたガウンではなく、持ち込んだネグリジェを身に纏っていることに、キウイはすぐに気づいたようだった。
「おはよう、キウイ。え、ええ……この国、とっても暑くて! 汗をかいてしまったから、着替えたのよ、ねえ、ルリ?」
昨夜を思い出しながら顔を真っ赤にする私に、ルリはどこか誇らしげに話し出す。
「そうだよ! ほんっとうに、あつかったんだよ〜! キウイの言うとおり、ふくをぬがなかったから! ちゃんと、ぬがずに、ふくのまま……むぐっ」
「る、ルリっ!」
放っておくと夜の子細を全て報告しそうな勢いのルリの口を、慌てて塞ぐ。恐る恐るキウイを見やると、既に全てを察したような、それでいて呆れたような目で私たちを見ていた。
キウイは静かに、ふぅっと深くため息をついた。
「まあ、私も……理性の枷を解いてしまった経験が、ないではないですし……サクラ様の魔力はルリ様に吸い取られてはいないようなので、昨夜の行いそのものに関しては、あえて何も、申し上げることはありません……」
キウイはそこまで言うと、目線を少し下げ、続きの言葉を少し言い淀んだ。しかし、意を決したように顔を上げると、言葉を続けた。
「……っ、あの、サクラ様……。すみません、使用人の分際でこのような……お二人だけの事情に口を出すべきではないのは、重々承知しているのですが……」
真剣な光と、心配するような色を帯びたキウイの視線が、私に向けられる。
「……少し、思うところが、ありまして……。このままではサクラ様のお身体が、お持ちにならなくなるようなことも……十分にあり得ます。サクラ様の御身のためにも、もう少し、ルリ様の……その、熱情を、制御する術を身につけた方がよろしいのではないかと……私は、そう思います」
キウイの言葉に、ルリは純粋に驚き、心底焦ったように言い返した。
「ええっ、わたし、サクラにひどいことなんて、してないよ!?」
しかし私は、キウイが私の身体の健康を真摯に案じていることを感じた。その真剣な視線と、ルリに振り回されている事実が重なり、私はたまらず顔を赤らめた。そして、ただ黙って頷くことしかできなかった。
「ルリ様……サクラ様は、人魚の皆様とお身体の構造が違うのです。しばらくご一緒して感じたのですが、ルリ様は、魔法の行使以外では身体的な疲労を感じられないのではありませんか? 我々人間は、激しい運動や寝不足といった生理的な要因でも多大な疲労を感じてしまいます。この点を少しご理解いただいた方が、お二人のためにもいいかもしれません」
「えっ……? そ、そうなの? サクラ?」
ルリは驚きに目を見開き、不安そうに私の方を見た。キウイの指摘は私にとっても衝撃だったが、同時に心当たりのある事実でもあった。
「……キウイの言ったことは事実だけど、少なくとも今のところは、負担に感じたことはないから、心配しなくて大丈夫よ。……キウイも、私のことを真剣に考えてくれてありがとう」
私の言葉に、ルリは心底ほっとした表情を見せた。
「ほんとう……? わたし、サクラがだいすきだから……しんぱいしたの……っ。よかったぁ……」
私たちのやり取りを見届けたキウイが、言葉を続けた。
「これは……あくまでも身近な一人の使用人としての進言でしかございません。今の発言は聞き流して、お忘れになっていただいても結構です。今後の過ごし方は……ひとえに、お二人次第です。……さあ、身支度を整えましょう」
そう言ってどこか落ち着かないようなキウイの様子は、自分の発言を後悔しているような、そんな風にも感じられた。
まだ熱が残る頬を抑えながら、私はキウイの言葉を心に深く刻みつける。
そうして私たちはキウイに促されるまま、ドレスの着付けをお願いした。
「サクラ様たちの身支度は無事に整いましたね。出発の前に、ルリ様は忘れずに、持ち込んだ海水から魔力補充を済ませておいてください」
「そうね……ありがとう、キウイ。ルリ、これを使って」
私は革製の鞄から海水の入った瓶をひとつ取り出し、ルリへと渡した。ルリは小さな音を立てて瓶の蓋を緩めると、静かに目を閉じ、瓶の口にそっと唇を触れさせる。まるで呼吸をするように、海水から清らかな魔力のみを吸い上げているようだ。
「フォルナ公爵が、朝食の準備が整い次第、お呼びにいらっしゃるそうです。では、私はアヤメ様たちの身支度の手伝いに参りますので、また後ほど」
そう告げ、キウイは静かに一礼して退室した。
「……ふぅ。これでだいじょうぶ!」
ルリは満面の笑みを浮かべ、海水の瓶をきゅっと締めた。
一瞬の安堵の後に、たちまち不安が波のように押し寄せた。これからアヤメは、あの不穏なビュラン伯爵と相対する。アヤメやルリに、もしも危険が訪れたら……この私に、皆を守り抜くことができるだろうか。そんな重い不安が、胸中をぐるぐると駆け巡る。
その私の重い不安を見透かしたように、ルリがふわっと抱きついてくる。
「サクラ、だいじょうぶ、しんぱいないよ……。きっと、ぜんぶ、うまくいくから」
「……ふふっ、ルリは私のこと、なんでもお見通しなのね。ありがとう、そうね……何事もないことを、祈っているわ」
切実な想いを込めて私がそっと呟いた、何事もない未来への祈り。
その一縷の望みを託した切なる願いがあっけなく裏切られることを、私たちはすぐ知ることになった。
服のまま、何をしたんでしょうねぇ……(すっとぼけ)




