61. 公国が抱える歪み
「あの……私、ビュラン伯爵様についてお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」
食事が一段落すると、アヤメが意を決したように、まっすぐにフォルナ公爵を見つめて問いかけた。
「私とスフェーンで色々と考えたのですけれど、もしかしたらビュラン伯爵様は、ご自身の望まない鍛冶のお仕事をしてらっしゃるのではないかと、そう思う節がありまして……」
アヤメは、スフェーンさんと一緒に導き出した予想を語った。ビュラン伯爵が作ったと思われる繊細な髪留め、そして「言われた通りに言われた物を作る便利屋じゃない」というビュラン伯爵の言葉。これらの情報から、ビュラン伯爵は望まないのに鍛冶仕事をやっているのではないかという予想だった。
「その可能性は……否定はできません」
フォルナ公爵は重々しく頷くと、ゆっくりと深く息を吐いた。
「……まず、デザートの準備をしましょう。アンビル、よろしくお願いします」
「はい、かしこまりました」
フォルナ公爵が声をかけると、鉄板の前で待機していた料理人は一礼して、部屋から出ていった。フォルナ公爵はその背中を、どこか寂しそうな目で見送る。扉が完全に閉まるのを見届けてから、フォルナ公爵は小さく呟いた。
「あの料理人……アンビルは、私の……妻です」
「えっ……」
私はその言葉の衝撃に、二の句が告げなくなった。今まで美味しい串肉を提供してくれた料理人は、当然のように使用人だと思っていた。彼女は実はフォルナ公爵の妻――公爵妃だったということだ。
「我が国では鍛冶の腕が全てとされているという話をしましたが……爵位は、あくまでも個人の功績に対してしか与えられないのです。アンビルの鍛冶の腕は、決して悪くないのです。しかし、先日の品評会で、期待したほどの評価が得られず……たとえ私の妻であったとしても、品評会で評価を得られなかった以上、彼女が爵位を持つことは許されませんでした」
フォルナ公爵は、目線を下げ、まるで何かに耐えるように続ける。
「そして……我が国では何代にも渡って守られてきたこの非情な制度により、爵位のない者には職業を選択する自由すら、与えられていないのです。公爵、伯爵の下に、百人ほどの子爵がおりますが、我が国で自分の意志で鍛冶の仕事を選択できるのは、子爵までです。残りの、爵位を持たない全ての国民の仕事は、国が滞りなく立ち行くよう、爵位を持つ者が一方的に割り当てます」
「そんな……」
私はその言葉の意味を理解して、思わず息をのんで絶句した。
「アンビルには、私の権限で我が館の料理人の仕事を与えています。そうしなければ、私の側に置いておくことができないからです。私たちは……皆様のように、一緒に食卓を囲むことすら叶いません」
私は、食事中に私たちに向けられたフォルナ公爵の切ない視線の真の理由を知り、言葉を失った。公国の統治者の妻でありながら、まるで使用人のように扱われるしかない。その非情で悲しい制度に、私の胸は強く締め付けられた。
「当然、彼女の望みは、こんなことではありません。アンビルは何よりも、鍛冶を愛しています……私も、本当なら、鍛冶仕事をさせてあげたいのです。……私はこの国の歪な制度をどうにかしたいと思っています。しかし、この歪な制度こそが、今の私の身分を保障しているのもまた事実……特に『瘴気』に襲われている今、この身分があってこそ、国民の暮らしをなんとか守ることができています。散々この制度の権威を振りかざしておいて、今更これを覆すなどと、簡単に言えるはずもなく……」
その言葉に私は、はっとして、マレット伯爵に対して、「意見を通したかったら品評会でいい評価を得ればいい」と話していたフォルナ公爵の姿を思い出した。自国を守るためとは言え、公爵という身分と、この制度利用するほかなかった場面が、どれほど多かったことだろう。フォルナ公爵の苦労を思うと、その胸の痛みは、まるで自分のことのように、深く染み込んできた。
「さて、最初の質問……ビュラン伯爵についてです」
フォルナ公爵は、静かに言葉を継いだ。
「鍛冶場の運営は、公爵と伯爵の爵位を持つ者の、最も重要な役目として課せられております。たとえ本人が望んでいなくても、鍛冶場を運営する以上、国に発注された仕事を断りなく担う義務が生じてしまうのです。もちろん、ビュラン伯爵も……この非情な義務から逃れることはできないのです」
心から愛する鍛冶の仕事ができないアンビルさん。その一方で、例え望んでいなくても、義務として鍛冶の仕事を強いられるビュラン伯爵。そのあまりに理不尽で非情な事実に、私は身を切られるように、胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。
重く、長い沈黙が、部屋を支配した。
「……フォルナ公爵様、これほどに辛いことまで詳しくお話しくださり、ありがとうございました」
アヤメはフォルナ公爵の目を見つめ、深々とお礼を述べた。
「……私、明日になったら、ビュラン伯爵様と、直接お話をしてみます。スフェーンも、この行動を許してくださいますね?」
フォルナ公爵の話を受けて、アヤメはまっすぐな目でそう言った。スフェーンさんも頷く。
「ええ……そうね、そうするしかなさそうだわ。今日とは違って、確かに突破口は明確に見えている。私から反対はしないわ」
その様子を見て、フォルナ公爵が心配そうに尋ねた。
「我々としては大変助かりますが……本当に、大丈夫なのですか? 危険な目に遭いませんか?」
フォルナ公爵は、カナ伯爵から受けた報告の、ビュラン伯爵の異常な興奮状態を気にしているようだった。その懸念に対し、アヤメは、瞳を揺らしながらも、確かな言葉を放つ。
「正直に申しますと……恐怖心がないわけではありません。でも、今、私たちには解決のための一歩が見えてきました。この機会を、絶対に無駄にはしたくないのです」
キウイは冷静な表情を保ったまま、フォルナ公爵の懸念に論理的に応じた。
「フォルナ公爵様のご懸念は、もっともです。しかし、この状況では、アヤメ様に頼る他ないという結論に、我々は至りました。幸いにも、本日ビュラン伯爵様と相対したことで、ビュラン伯爵様から漏れ出た『瘴気』は、私の結界魔法で完全に防げることが証明されました。アヤメ様が交渉に集中し、全力を発揮できるよう、その他の危険からも、この私が責任を持ってお守りいたします。どうか、ご安心ください」
私たちの決意が固いと見たのか、フォルナ公爵は苦渋に満ちた表情を引き締めた。
「そう……なのですね。その覚悟、しかと受け止めました。我が公国としても、アヤメ様を全力でサポートいたします。どうか……よろしくお願い致します」
フォルナ公爵は私たちに、改めて深々と頭を下げた。
アヤメという小さな少女の肩に、今、この国の未来と、一人のドワーフの救済が託された。その重さを、私たちは全員で支えないといけない。
私は隣に座るアヤメの横顔を見つめ、静かに覚悟を決めた。
シリアスな話なので、お口直しのnoteを置いておきます。今更ながら、人魚の里編の裏話をまとめてみました。各キャラの設定を作る過程とか載せてます。興味があれば読んでみてください!
【百合】×【王道ファンタジー】小説「人魚と姫」執筆小話 人魚の里編
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