60. ドワーフの国の食卓
部屋の扉がノックされる音がして、アヤメとスフェーンさんが入ってきた。そして、アヤメが弾むような声で告げる。
「皆様、ご心配をおかけしました。私……スフェーンのおかげですっかり元気になりました」
その晴れやかな笑顔を見て、私は胸を撫で下ろした。
「お説教は、効いたかしら?」
「ええ……とっても」
アヤメは恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。もう、あの怯えた様子はどこにもない。私はたまらず立ち上がり、アヤメの小さな身体を胸いっぱいに抱きしめる。
「アヤメ、あなたはいつも一人で抱え込むんだから……辛い時は、スフェーンさんでも、私でも……誰でもいいから、ちゃんと頼ってちょうだい。これは、私からのお説教よ」
「はい……サクラお姉様、ありがとうございます」
アヤメは素直に返事をしてくれた。今日をきっかけに、少しでも周りを頼ることを覚えて欲しい。そんな風に思っていると、ルリが横から口を挟んだ。
「そうだよ、サクラは、すぐにわたしに甘えてくれるよ! アヤメも、そんな風にしたらいいよ」
「ちょっと……!」
ルリがそんなことを言うものだから、私は顔が熱くなるのを感じた。アヤメは小さな声でくすっと笑っていた。
「確かに、サクラ様はとても甘え上手ですね。アヤメ様も見習ったほうがいいと思います」
「もう、キウイまで……」
キウイは表情一つ変えずアヤメに諭す。そのどこまでも真剣な態度に、私はさらに羞恥心が増した。
「ふふっ……じゃあ私は、アヤメがサクラみたいに、自分からたっぷり甘えてくれるのを、とっても楽しみにしてるわ。ねぇ、アヤメ?」
「……はい。私……スフェーンにたくさん甘えてみせます」
スフェーンさんの言葉に、アヤメがはにかむような笑みを浮かべて応える。その様子に、私の恥ずかしさは最高潮に達したが、もしこのやり取りが、アヤメが一歩前に進むきっかけになるなら、それ以上の喜びはないと、私は、そう思うことにした。
その時、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
「失礼します。皆様、こちらのお部屋にお揃いだったのですね。お夕飯の準備が整ったのですが……」
フォルナ公爵はそう言うと、テーブルに置かれた空のカップを一瞥し、わずかに目を見開いた。
「あら、お湯の蛇口のことをお伝えし忘れてしまったと思っておりましたが、もう使い方がわかりましたのね」
「はい、キウイが淹れてくれましたの」
キウイの名前を出すと、フォルナ公爵は納得いったように頷いた。
「大変面白いものを見せていただきました。ありがとうございます」
「貴方は……見ただけでその蛇口のお湯の出る仕組みを解明してしまったのですね、流石です」
キウイがどこか楽しげにそんなことを言うので、フォルナ公爵は感嘆とも呆れともつかない、複雑な表情を浮かべた。
「それでは皆様、食堂にご案内しますから、付いてきてくださいな」
食堂の中央には、大きな鉄板がついたテーブルが置かれていた。鉄板の前にはエプロンをつけた、すらりと背の高いドワーフの料理人が待機している。部屋には既に、香ばしい匂いがかすかに漂っていた。
「こちら、コーグ公国での伝統的な料理の提供方法ですの。火魔法を使ってこの鉄板を温め、目の前で料理人が料理いたします」
「すごい……大迫力ですね!」
私たちは鉄板の目の前の、それぞれ用意された席に座った。料理される様子がよく見られる、特等席だ。
着席するや否や、キウイが張り詰めた声で言った。
「フォルナ公爵様、気分を害したら申し訳ないのですが……『瘴気』の溢れる国で提供される料理が、フィオーレ王国の皆様の健康にどのように影響するかが不明瞭です。まず私に、毒味……のようなことをさせていただいてもよろしいでしょうか」
キウイの発言に、私は思わず息をのんだ。
「キウイ……」
キウイは失礼とも捉えられかねないその発言を、敢えて率先して発したようだった。主である私たちに発言させるより、自分が汚れ役になろうというキウイの配慮であることは明白だ。
「ええ、その心配は当然でしょう。アンビル、まずこちらのキウイさんに串肉を一本提供してくださいな」
「はい、かしこまりました」
フォルナ公爵が鉄板の前で待機している料理人に指示すると、調理が開始された。
脇においてあった皿から、手慣れた様子で肉と茸が刺さった串を取り上げ、熱された鉄板の上に置く。じゅわ、という小気味いい音とともに、部屋には香ばしい匂いが充満した。両面が丁寧に焼き上げられ、肉はこんがりと色づき、茸からも芳醇な匂いが漂ってきた。仕上げにソースのようなものがかけられると、鉄板から取り上げられて皿に載せられた串肉が、キウイの前に提供された。
「ありがとうございます。では、いただきます」
串肉を目の前に出されたキウイは、お礼を述べると、静かに目を閉じて意識を集中させた。料理から漏れ出る『負の魔力』を、五感の全てを使って探っているようだった。小さく頷いて静かに目を開けると、串を手に取り、火傷をしないように、熱気を帯びた串肉にそっと息を吹きかけた。そして、慎重に肉を口に運ぶ。丁寧に噛み切った一口の肉を、キウイはまるで味わうように、時間をかけてゆっくりと咀嚼した。
「これは……皆様は召し上がらない方がいいかもしれません」
料理を飲み込んだあと、鋭い目でキウイの発した一言に、私たちの間には緊張の空気が漂った。しかしそれは、すぐにキウイによって覆される。
「美味しすぎて、危険ですからね。止まらなくなりますよ」
キウイが一瞬の沈黙の後、いたずらっぽく口角を上げてそんなことを言ったので、私は張り詰めていた息を静かに吐き出し、ほっと胸を撫で下ろした。
「もう……! すみません、うちのキウイがお調子者で」
「ふふ、気に入ったようなら何よりですわ。ではアンビル、他の皆様の料理の用意もお願いします」
調理されているのを眺めながら、フォルナ公爵がコーグ公国の食糧事情について語ってくれた。
「我が国では今、『瘴気』による影響か、作物は枯れ果て、家畜も育たなくなってしまいました。ですから、国から離れたところで狩猟したり、外の国から買い付けたりして、どうにか食料を確保しております。野菜や茸は、生のままだとすぐに腐敗してしまうようなので、乾燥させた状態で取引して、調理の直前に水で戻しているんです」
その話を聞いて、キウイは合点がいった顔をした。
「『瘴気』は空気によって広がる性質を持つので、それを体内に取り込む生物や植物類などには色濃く影響が出てしまうのでしょうね。しかし、生肉など、そうではないものへは影響が少ないのだと推測できます。そうであれば、茸を乾燥させると腐敗しなくなるのも説明がつきます」
キウイは淀みなく自分の予想を解説する。私はドワーフの国の厳しい食糧事情に、思わず胸を痛めながら声を出した。
「しかし……食糧事情も本当に大変そうです。一刻も早く、『瘴気』の問題を解決しないといけませんね……」
「ええ、本当に……」
私がそう言うと、フォルナ公爵は神妙な面持ちで頷いた。
そう言っている間に、私たちの分も肉が焼き上がり、提供される。口に入れた瞬間、じゅわっと肉汁が広がり、遅れて香辛料のぴりっとした辛味がやってくる。私は思わず目を閉じ、その美味しさを堪能した。噛むほどに力強い肉の旨味がじんわりと染み渡ってくる。ドワーフの鍛冶職人たちは、これを毎日食べてこそ、あの力強い金槌を振るえるのだと、そう実感した。
「わあ、お肉やわらかくて、おいしい!」
隣でルリも瞳を輝かせながら美味しそうに頬張っている。
一本食べ終わると、料理人によって、丁度いいタイミングで次の串肉が皿に載せられる。二本目以降は香辛料やソースが少し違っていて、また違った美味しさを味わうことができた。
しばらくの間、アヤメは熱々の肉を口に入れてしまい、小さな悲鳴の後に恥ずかしそうに笑みをこぼしたり、スフェーンさんは使っている香辛料について興味津々に尋ねたりと、和やかな雰囲気で食事は進んだ。
私はルリと時折言葉を交わしながら、楽しく食事をした。しかし私は徐々に、私たちの様子を眺めるフォルナ公爵の優しい視線の中に、どこか切なさや寂しさが混じっているような、複雑な感情が込められていることに気づいた。
私と目が合うと、フォルナ公爵ははっと我に返ったように、いつもの優雅な笑みを浮かべてみせる。その一瞬の、憂いを隠すような仕草に、私は何故だか胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
この美味しい食事の裏には、フォルナ公爵の、そしてこの国の、隠された複雑な事情が存在する。私はそんな予感を抱かずにはいられなかった。
キウイが肉を食べるのにセクシーみを感じますね……




