47. ベッドメイクと誘惑
「サクラ様とルリ様のベッド……いつも思いますけど、とても気持ちよさそうですよね」
それは、二人のメイドが、主たちの私室を整えている時の他愛もない会話だった。
一人は、フィオーレ王国の姫『サクラ』の専属メイドである、チェリー。
ワインレッドの肩までの長さで切り揃え、髪を顔の低い位置でしっかりと結わえている。
同じ色のワインレッドの瞳はいつも真剣な色に染まっていて、生真面目に仕事をこなしていた。
もう一人は、サクラの妃『ルリ』の専属メイドである、キウイ。
茶色く短い髪は、無造作ながらも整えられ、清潔感がある。
緑色の瞳の中には、いつもたくさんの知的好奇心がきらめいている。
先ほどの言葉を発したのも、そんなキウイだった。
「そうですね、私たちが使っているものとは比べものにならないぐらい、質が違いますよね」
チェリーもキウイの言葉に同意する。
ベッドのふかふかさも、シーツの肌触りも、使用人用のそれとは違って、一級品だった。
「前からちょっと、使ってみたいと思っているんですが……ほら、今日は二人とも出かけていて、夕方まで帰ってこないじゃないですか。チェリーさんも、どうですか? せっかくの機会なので、ほんのちょっとだけ」
「ちょっと、仕事中ですよ」
いたって真面目な表情でそんなことを言うキウイに、チェリーが苦言を言う。
「はあ、チェリーさんはマジメですね……」
文句を言いつつも、キウイはベッドメイクの仕事を再開した。
しかし、その口角は、悪戯を思いついた子どものように、ほんの少しだけ緩んでいた。
「ふふっ、完璧なベッドメイク完了です。そして……」
キウイはそのまま、「ぼふっ」という音を立てて、ベッドメイクが完了したばかりのベッドに飛び込んだ。
「ああっ、ちょっと、キウイさん!」
「いやあ、ちょっと、足が滑ってしまいました。ああー……とっても、気持ちいいです……」
キウイは気持ちよさそうに目を細める。
ベッドメイクしたばかりのベッドは、皺だらけになってしまった。
「ほら、私が間違って転んでしまったから、もう一度ベッドメイクしないといけなくなりました。せっかくなので、チェリーさんもどうぞ」
悪戯そうな笑みを浮かべながら、キウイはベッドの上を転がって仰向けになり、チェリーを誘った。
キウイはチェリーが固唾を飲んで、少し迷っているのを見た。
その様子に満足そうに頬を緩め、もう一押しすることにした。
「ああー、極上の布団は、ふかふかすぎて、なかなか出られないなぁー」
そんな棒読みの台詞を口にする。
チェリー自身、その一級品の布団に興味がないわけではなかった。
ほんの、少しだけなら……。
そんな気持ちで、広いベッドの、キウイの横の空いたスペースに仰向けに転がった。
「……ああ、私も足が滑ってしまいました、ふふっ。たしかにこれは、気持ちがいいですね」
初めて寝転んだ高級布団は想像以上にふかふかで、まるで雲の上にいるように感じた。
チェリーはその心地よさに、思わず柔らかい笑みをこぼした。
「……ねぇ、キウイさん……ひゃっ」
チェリーがキウイの方を見やると、キウイの透き通った緑色の瞳が真っ直ぐ見ていたのに気づき、チェリーは息が止まりそうになる。
そんなチェリーと目が合って、キウイも、わずかに目を見開いた。
「な、なんですかっ」
「……っ、いえ、サボってるチェリーさん見るの、珍しいので……。よく見ておこうかと。共犯ですから」
キウイはほんの一瞬だけ動揺を見せて言葉を詰まらせたが、すぐにいつもの調子に戻る。
「わ、悪いことはしてません、私も、転んでしまったのですっ」
どきどきしているのがキウイにばれると、からかわれそうで、チェリーは火照る顔を隠すように、顔をそらした。
その時キウイも、わずかながら顔を赤らめていたことに、チェリーは気づかなかった。
「……前から思ってたんですけど、チェリーさんって、睫毛長いですよね」
キウイがチェリーの頬に手を伸ばす。
「ワインレッドの瞳も澄んでて……肌もすべすべで、綺麗です」
「もう、からかわないでくださいよ」
「……本心ですよ」
いつになく真剣な声色のキウイに、チェリーは鼓動が速くなるのを感じた。
おそるおそる横目でキウイの方を見ると、その透き通った瞳は、まっすぐにチェリーを捉えていた。
チェリーはその瞳にはいつものようにからかいの色がないことには気づいたが、その奥底にある深い感情に気づくことはなかった。
キウイは、一度だけ、深く息を吐いた。
「……チェリーさん、今からすること、嫌だったら、拒否してください」
そのまま、キウイはベッドに寝転んだままのチェリーに覆いかぶさった。
片手はチェリーの利き手の上に乗せ、ふかふかの布団に抑えつける。
もう片方の手は、チェリーの顎に触れ、くいっと持ち上げた。
「……っ」
チェリーはあまりの突然のことに、言葉を失った。
そのまま、キウイとチェリーの目が合ったまま、少しの時間が流れる。
その間、二人の荒い呼吸と、高鳴る心臓の音だけが、静かな部屋に響き渡った。
これは、自分がキウイを拒否をするための猶予の時間なんだろうと、チェリーは理解した。
利き手を抑えておいて、拒否しろだなんて、ずるいやり方だ。
でも、何故だか嫌な気はしなかった。
顎に添えられた手からわずかに感じる震えから、キウイの緊張が伝わってくるようだった。
その奥にある、深い感情に触れてみたい、その先を知りたいと、心が叫んでいる。
その衝動に従うように、チェリーはゆっくりと目を閉じた。
ふわっと、キウイの短い髪がチェリーの頬を掠める。
少しだけ、甘いインクと、古い紙のような、落ち着く香りがした。
吐息が近づいてくるのを感じたあと、唇に、想像していたよりもずっと柔らかい感触がして、そこから感じるキウイの体温が、チェリーの心を溶かすように広がっていった。
「んん……っ」
このまま目を開けたら、実はこの感触は指を当てただけで、冗談でしたなんて、からかわれたりして……。
そんなことを考えながらチェリーがゆっくりと瞼を持ち上げると、睫毛が触れそうなほど近くに、静かに目を閉じたキウイの顔があった。
その白い肌にはわずかに赤みが差していて、触れ合った唇からはキウイの熱がじんわりと伝わってくる。
これは、からかいでも冗談でもない、キウイの本心なんだとチェリーは改めて実感した。
元通りに目を閉じてしばらくすると、キウイの重みが離れていくのを感じた。
キスをされたという事実が遅れて脳に届き、途端に、心臓が爆発しそうなほど高鳴った。
自分の耳が心臓になったのかと思うほど、どくんどくんとうるさい音が直接、チェリーの脳に響いてきた。
チェリーがゆっくりと目を開けて身体を起こすと、恥ずかしそうに背を向けながらベッドの隅に座るキウイがいた。
ベッドの上に置いてあるキウイの手が、わずかに震えているように見えた。
「いつ、から……?」
「ずっと……好きです。細かいことは忘れてしまいました」
「……っ」
小難しそうな学術書の内容はたくさん記憶しているくせに、忘れてしまったなんて、キウイらしくない台詞だと、そう思った。
「……ベッドメイク、もう一度やります。立ってもらえますか?」
「……っ、はい」
そう言われて、チェリーは慌てて立ち上がった。
キウイは震えたままの手で、淡々とシーツの皺を伸ばしてゆく。
その後、二人はなんだか気恥ずかしくて、会話をすることなく、部屋の整頓の仕事を終えた。
キウイ……! このあと数話、チェリーとキウイの話が続きます。
チェリーとキウイの容姿は初出だったと思います。イメージ通りでしたでしょうか。フルーツをまんま擬人化した感じです。
新規の方がこの話から入ってこられるように、この話単体でもある程度の話がわかるように意図的に書きました。なので、突然サクラとルリの紹介が出てきたりしています。違和感を感じたらすみません。
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