33. 深淵の絶望の目覚め
オニキスさんとパールさんに異常事態の相談をするため、ルリと一緒に屋敷に戻ると、飛び出すような勢いで、アメジストさんが二人を連れて出てきたところだった。
「ルリ! いきなりどこかへ行ってしまって心配していたが、大丈夫そうだな? 二人がいない間にアヤメが、負の魔力の気配がすると飛び出して行ってしまって……」
「負の魔力に関しては、大丈夫そうなんです! それより……」
私は手短に、今わかっている情報をアメジストさんたちに伝えた。負の魔力が湧き出るのは止まったこと。アヤメがスフェーンさんを落ち着かせるのを目撃したこと。そして、ルリが「すごく大きい何かが、目覚めかけている」と言ったこと。
私の話を聞き終わると、オニキスさんが一瞬の沈黙のあと、短く言った。
「あれは、アビス・ゲイザーだ」
その言葉に、パールさんは合点のいった表情をする。
「なるほどぉ、ルリちゃんが言った、『すごく大きい何か』は、アビス・ゲイザーのことだったのねぇ。オニキスが封印した、巨大な鮫の魔物のことよぉ」
アメジストさんは「あいつか……」と言いながら、苦い顔をする。彼女の反応からするに、相当厄介な相手らしい。
「あの……アビス・ゲイザーというのは、どんな魔物だったのですか?」
私の問いかけに、パールさんは続けて説明してくれた。
「ちょっと前……三百年くらい前に、この辺りで暴れていたのよぅ。どうしても倒せなかったから、オニキスに眠りの魔法をかけてもらって封印したんだけどぉ……千年は眠ったままの筈だったのに、なんで封印が解けたのかしらぁ……」
そんなことを言いながら、パールさんは首を傾げた。三百年前を「ちょっと前」と表現するパールさんは気になったが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
「『負の魔力』の影響かもな」
パールさんの疑問に答えるように、オニキスさんが言った。
「あの巨体に暴れられたら、水圧で里が崩壊しちゃうわぁ。目覚める前に、対処したいところねぇ」
パールさんのその言葉にいち早く反応したのは、ルリだった。
「たいへんだ! はやく行こう! こっちだよ!」
ルリは私たちにそう告げると、迷うことなく飛び出した。
「アビス・ゲイザーについて、もっと詳しく教えていただけますか?」
これから対峙する魔物の情報を少しでも多く知りたくて、私はパールさんに尋ねた。
「そうねぇ……本当に厄介な、鮫の魔物でねぇ」
言葉を選びながら、パールさんは説明を続けた。
「まずは、とにかく身体が大きいのよぅ。並大抵の攻撃では、びくともしなかったわぁ」
パールさんは、まるで過去にアビス・ゲイザーと対峙した時のことを追体験しているかのように、少し遠くを見やりながら説明した。
「それで、やっとのことで傷を負わせても、すぐに修復されちゃうのぉ。額の核が修復の力の源ということはわかったんだけど、その核を守る結界がとても強固で、何度壊してもすぐ復活しちゃってぇ……しかも、海水から結界維持のための魔力を補充してるから、魔力を切らせることもできなくてぇ。だから、眠らせるしかなかったのよぅ」
パールさんは、当時を思い出してか、悔しそうな表情をしながら語った。
「むむむ……つよそうだね……! うーん、また眠らせるしか、ないのかな?」
ルリが難しそうな顔で唸る。私はふと、頭に浮かんだことを口にした。
「時止めの魔法をかけることができたら、結界維持のための魔力補充が止まって、核を露出させられたりしないかな……?」
ただの思いつきだったが、口に出してみると、意外と筋が通っている気がする。
「あら、サクラちゃん、そんなことができるのぉ?」
できるかどうかはやってみないとわからない。以前戦った寄生花のララ・ヴァインのように俊敏な魔物だったら、高度な集中を要する時止めの魔法のターゲットにするのは難しい。しかしそれ以上に、これは机上の空論であった。
「動くものには時止めの魔法をかけるのが難しいのもあるのですが……。実は、さっき色々あって魔力をルリに全部渡しちゃったので、私は魔力が空っぽなんです」
そう、私は今、ほとんど魔法が使えない状態だった。
「うう……ごめんよ、サクラぁ」
ルリがばつが悪そうに謝る。
「あらあらぁ。人間は、海水からの魔力補充ができないのかしらぁ?」
パールさんの問いかけに、私は首を振る。
「人魚の皆さんは、海水の魔力を『食べ』ているのですよね。私には、ちょっと想像もつかないです……」
人間が海水を食べるなど聞いたことがない。そもそも人間はどのように魔力回復しているのだろう、考えたこともなかった。今度キウイに聞いてみようと心に決める。
今、ルリのおかげで人魚の姿になっているが、ベースは人間である。やはり、海水を食べるという感覚は、どうしても理解できなかった。
「人間とは、面倒な生き物だな」
ため息を一つ吐きながら、オニキスさんがそう言い放つ。
「できないものは仕方がない。人魚の里のことだ、我々で何とかするさ」
アメジストさんはそう言って、不敵に笑った。
「そうだよ! それに、わたしだって時魔法使えるようになったんだから、私が止めたらいいんじゃない?」
ルリも明るく笑った。たしかに、ルリのセンスなら、慣れない時魔法でもうまく使いこなしてくれそうだ。
なんとかなるかもしれない。皆にそんな雰囲気が広がる。
一同に安堵の空気が広がりかけた、その時。
突然、オニキスさんが先頭に出て私たちを制止した。
「間に合わなかったな」
前を見据えたオニキスさんは、いつもの無表情を保ったままただ一言、そう言った。
直後、耳をつんざくような轟音とともに、辺り一帯が揺れた。一瞬、身体の芯まで叩きつけられるような強い波に襲われる。だが、すぐにその感覚は消え失せた。
「大丈夫かい?」
アメジストさんの言葉に、彼女が波を相殺してくれたのだと理解した。
「たいへん! あいつ、おきちゃったみたい……!」
ルリが遠くを見つめながら言ったその言葉は、まるで現実を突きつけるように、私の心臓をえぐった。アビス・ゲイザーの覚醒を許さず、その前に再び眠らせるという、最善の策。それはもう使えなくなったのだと悟る。
その轟音と波の衝撃により、私はアビス・ゲイザーの圧倒的な力を感じた。希望が潰えたわけではない。だが、この脅威を肌で感じた私は、ただ呆然とするしかなかった。
前回とテンションが違いすぎて風邪ひきそうですね。というわけで、今度はサメと戦います!




