138. 時魔法が磨いた琥珀色の夢
その日、フィオーレ王城の食堂の重厚な扉が開かれた瞬間にサクラの鼻腔をくすぐったのは、香ばしく焼き上げられた肉料理の豊潤な香りと、瑞々しい果実の甘い香りだった。
白一色のクロスが敷かれた長机の上には銀の皿に盛られた色とりどりの馳走が並び、燭台の炎に照らされて豪華に輝いている。
テーブルに飾られた花々もどこか誇らしげに咲き誇っているように見えた。
「あら? 今日は何か特別なお祝いだったかしら?」
いつも以上に気合の入った厨房の仕事ぶりにサクラが驚きながら席につくと、まるで太陽を仰ぐ向日葵のような満面の笑顔を携えたアヤメが弾む声で答えた。
「ええ、お祝いですよ! 私がずっと計画していたプラムワインが、ついに正式な販路に乗ることになったのです!」
アヤメが大切な宝物を披露するように手に掲げて見せたのは、すらりと優美な曲線を描く一本の美しい瓶だった。
磨き抜かれたように艷やかなガラスの向こうで、夕陽をそのまま閉じ込めたような琥珀色の液体がとろりと重厚に揺らめいている。
サクラの目を何より奪ったのは、瓶の中央で静かに主張するそのラベルだった。
指先で触れば木々の息吹を感じるであろうざらりとした質感の紙の上には、一輪の白く可憐な花が描かれている。
三枚の大きな花弁を優雅に垂れ下がらせたその姿は、金糸を紡いだかのような繊細な線で縁取られ、凛と咲き誇っている。
いつもしっかりと背筋を伸ばし、己の信じる道を進む愛しい妹の立ち姿を思わせるようなその花に、サクラは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ついに商品化するのね。アヤメ、おめでとう」
「アヤメががんばって作ったおさけ、みんなが飲んでくれるってことだよね? すごい、アヤメ!」
サクラが胸いっぱいの祝福を告げると、隣のルリも目を輝かせ手を打ちながら自分のことのように喜んでいる。
「アヤメはずっとこのプラムワインのために魔法の調整に慣れない商談まで……本当によく頑張っていたもの。お疲れ様」
「ふふ、ありがとうございます。スフェーンがずっと隣で支えてくれたおかげでやり遂げることができたのですよ」
アヤメが視線を隣へ向けると、スフェーンがどこか面映ゆそうにしつつも深く頷いた。
二人が交わした視線の端々にこれまで積み上げてきた時間の断片が垣間見えるようだ。
今までの二人で試行錯誤してきた思い出を労い合うような、そんな微笑み。
言葉にしなくても通じ合うその親密な空気は、同じ時を駆け抜けてきた二人だけの何よりも代えがたい勲章のようにサクラの目には映った。
「それにビュランもお手伝いしてくれたんです。搬出用の木箱に押す焼印を作ってくれたのですよ」
「ふふっ、ああいう仕事ならいくらでもあたしに任せて。アヤメのお役に立てたなら嬉しいよ」
「ええ、とってもお役に立ってくれてますとも! ビュランが作ってくれた焼印はこのラベルと同じお花の模様で……溜め息が出るほど素敵なんです」
アヤメが声を弾ませながら自慢げに話すと、ビュランは頬を赤く染めながら照れ笑いを浮かべた。
ドワーフの国で鍛冶場を切り盛りしていたその手腕は、フィオーレ王国の美意識とも見事に調和したようだ。
(みんなの力が合わさってこの一瓶ができたのね……)
サクラはアヤメが愛おしそうに胸に抱える一瓶を改めて見つめた。
それは、フィオーレ王族に代々伝わる時魔法を活用し、国の新たな未来を切り拓こうとアヤメが描き出した夢の結晶だ。
母の葵から聞いた話では、ナデシコの国の特産品であるプラムワインは、長く寝かせるほどに角が取れ、驚くほどまろやかで豊潤な味わいに変わっていくのだという。
しかし実際には、年単位の長期間を熟成に費やすのは容易いことではない。
保管場所や管理の難しさ、そして何より時間という障壁があり、一年程度の熟成で販売されるのが一般的だった。
アヤメはそこに自らが操る時魔法を役立てられないかと考えた。
ナデシコの国から仕入れたばかりのプラムワインを、アヤメが作り出した『時早め』の魔法空間で眠らせる。
本来なら十年という気の遠くなるような年月を待たなければ決して辿り着けない極上の味わい。それをアヤメは時魔法によってわずか十日で引き出せるのだ。
伝統ある品に敬意を払いつつ、自らの魔法で更なる輝きを添える――。
そんな画期的な手法を真っ直ぐな情熱で形にしてみせたアヤメが、サクラにはたまらなく誇らしかった。
妹の確かな成長を心から喜ぶように、サクラの頬が自然と緩んでいく。
「今日の晩餐ではシェフの皆様がこのプラムワインに合うお料理を用意してくださったそうなのです。ぜひ一緒にお楽しみください」
アヤメの言葉を合図に、王族たちの後ろに控えていた専属メイドが流れるような所作でそれぞれの主のもとへと歩み寄った。
「サクラ様、こちらをどうぞ」
チェリーがサクラの前に、繊細な脚がついたリキュールグラスをそっと置く。
磨き抜かれた水晶のような透明感が、天井から降り注ぐシャンデリアの光を捉えてきらきらと輝いている。
そこへデキャンタからアヤメ特製のプラムワインが注がれた瞬間――完熟したプラムの濃厚な甘さと、目が覚めるような爽やかな酸味が重なり合った香りが、ふわりと食卓を包み込んだ。
「ふふっ、いい香り!」
サクラの隣でルリが弾んだ声をあげる。
その藍色の瞳をいっぱいに見開きながら、魅了されたようにキウイが用意してくれたグラスに向かって身を乗り出すルリ。
小さな鼻をぴょこぴょこと動かして香りを追いかけるその姿は、まるで川のせせらぎを楽しむ小鳥のような愛らしさで、サクラは思わず口元を綻ばせた。
(ふふ、ルリったら本当に可愛い……)
小鳥のように無邪気に香りを追いかけるルリを、サクラはしばらく微笑ましく穏やかに見守っていた。
しかしプラムワインの芳醇な香りで胸がいっぱいになった瞬間、サクラの脳内に警鐘が鳴り響き、背筋を冷ややかな戦慄が走り抜けた。
この甘く濃厚な液体がルリの喉を通ってしまったら最後。
今夜の自分がどうなってしまうか――脳裏に閃光のように走ったのは羞恥に染まった数々の記憶だった。
抗えない力に組み敷かれ熱い吐息に追い詰められた光景が、サクラの脳裏に鮮やかに蘇り、弾かれたように声をあげた。
「あ……っ、待って、ルリ! あなたは絶対に飲んじゃダメよ、お酒に弱いんだから!」
「ええ〜っ!? ひどいよサクラ! わたしもアヤメが作ってくれたの、のみたいよ!」
ルリが不満げに唇を尖らせて抗議をしてくる。
その潤んだ瞳がお酒を飲む前からサクラを誘惑しているようで、サクラの心臓はさらにうるさく脈打ち始めた。
「ルリったらお酒を飲むといつも夜までふわふわしてるんだもの! それに新年の宴の時だって……あ、あんなに、私を……っ! と、とにかくダメなものは絶対にダメよ!」
そうなのだ。ルリは一度お酒が入ると文字通り手がつけられない捕食者に変貌する。
普段の自由奔放さに拍車をかけ、とろけた熱を帯びた瞳で、執拗に、貪欲に、サクラのすべてを求めてくる。
その獣のような熱情に一度火がついてしまったら、サクラはただルリに翻弄され、成すすべもなく全身を溶かされるしかなくなるのだ。
必死にルリを止めるサクラに、アヤメが「ふふ」と笑った。
「サクラお姉様、ご安心くださいな。ルリお姉様にはアルコールの一切入っていないプラムジュースをご用意していただきましたから。どれだけ召し上がっても酔うことはないのですよ」
「えっ……? そ、そうなの?」
「ええ。私もまだお酒が飲める年齢ではありませんから、ルリお姉様とお揃いのジュースです。ワインと同じように時魔法で熟成させた濃厚なプラムのシロップを冷たいソーダで割っていただいたものです。すっきりとした味わいで、とても美味しいのですよ」
アヤメの言葉に毒気を抜かれたように、サクラは赤くなった頬を押さえながらほっと胸を撫で下ろした。
改めてルリの目の前に用意されたグラスを見ると、サクラに用意された可愛らしいサイズのリキュールグラスとは違い、たっぷり入るワイングラスだ。
澄んだ琥珀色の底から無数の銀色の小さな粒が糸を引くように真っ直ぐに昇りつめていく。
水面に辿りついた泡が、ぱちり、ぱちり、と小さな音を立てて弾けるたび、プラムの爽やかな芳香が弾け飛んでいく。
「……わたし、いっぱいのんでいい、のかな?」
ルリが恐る恐る、それでいて期待に満ちた瞳でサクラの顔を覗き込む。
そのあまりの愛らしさに溜息をつきながら、サクラは微笑んで頷いた。
「そうみたい。アヤメ……ルリに気を遣ってくれてありがとう」
「せっかくなので皆で気持ちよく楽しめたらいいなと思ったのです。ルリお姉様もたくさん楽しんでくださいね」
サクラとアヤメの言葉にルリが大きく花開くガーベラのような笑顔を浮かべる。
妹が情熱を降り注いで作り上げた最高の逸品と、大切な家族の笑顔。
窓の外ではフィオーレの夜風が優しく花々を揺らしている。
最高の笑顔で彩られた祝いの晩餐は、今、穏やかに幕を開けたのだった。
更新お待たせいたしました。
2026/02/04の更新をスキップしてしまい申し訳ありません。
新年の宴の話は……先日公開した「人魚と姫の姫初め」です。皆様もうお読みになられたでしょうか?
まだの方はぜひお読みくださいね!
(なろう版は年齢制限ないのでご安心を!)
人魚と姫の姫始め ~酔った妃は姫の全身を独り占めしたい~
https://ncode.syosetu.com/n6607lo/
さて、しばらく放置されていたプラムワインの話をようやく動かします。
六章は『時魔法の真髄』に加えて、この『プラムワイン』を中心にしたお話です。
どうぞお楽しみください!
少し遅くなりましたが、前章、第五章『メイドの絆編』の執筆小話をnoteにまとめています!
無料記事ですのでお気軽に覗きに来てください!
【百合】×【王道ファンタジー】小説「人魚と姫」執筆小話 メイドたちの絆編
https://note.com/zozozozozo/n/nea3fca8b7335




