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人魚と姫 〜私達が結婚すると、世界が救われる!?〜  作者:
第六章 ナデシコの国

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137. 真髄への道標

「私、『時魔法の真髄』を『理解』しました」


 キウイがまるでお天気の話をするかのようにさらりとそう告げたのは、まだ数日前のメイドたちの結婚式の余韻が残る、ある夜の湯浴みの最中だった。


 王族専用の大浴場に満ちる真っ白な湯気。

 ゆらゆらと揺れる水面が、壁に埋め込まれたガラスランプの淡い光を反射して天井に波紋を描いている。

 しっとりと肌を濡らす湿度の高い空気に仄かに香るのは、湯船に浮かんだガーベラの香りだ。


 半身をお湯に浸けてチェリーが頭を洗う心地よい指の力に身も心もほぐされ、ほうっとすっかり穏やかな気持ちに満たされていた頭では、その言葉の示すところの重要性を理解するのにしばらくの時間を要した。


「…………えっ、……ええっ!? キウイ、本当に!?」


 サクラが目を丸くして驚きの声を上げても、キウイの様子はいたって平静だった。

 すっかり慣れた手つきで豊かな藍色の髪を指先で掬い、きめ細やかな泡でルリの頭を包み込むように洗っていく。

 その手つきは完璧なる専属メイドの優しさに満ちていて、しかしその緑の瞳には魔法理論の深淵を覗き込んだ宮廷魔術師としての静謐さが備わっていた。


「ええ、本当です。本日ローズ様への謁見を行い、私の『時魔法の真髄』の解釈が誤っていないことを確認していただいたので、間違いありません」

 

 『時魔法の真髄』――それは、長寿である人魚のルリと同じ時を生きたいと願ったサクラが、母のローズから伝えられたものだった。

 その真理に辿りついた時、術者の身は、時の精霊クロノスが糧とする特別な『時の魔力』を産み出す器へと進化を遂げる。

 魔力を捧げる対価として精霊クロノスから『時魔法の秘術』という名の恩寵を授かり、無限の寿命を得る――。そんな契約を、ローズは精霊クロノスと交わしていた。

 サクラが『時魔法の真髄』に辿りつくことができれば、その契約をローズから引き継ぐことができる。

 それは、サクラがルリと悠久の時を共にするための、唯一にして絶対の希望だった。


「キウイ、あのなぞなぞみたいなやつ、わかったんだ! すごい!」


 ルリが明るい声をあげる。

 過去も未来も全て『現在』である――その言葉を理解した時、『時魔法の真髄』に辿り着ける。

 サクラがローズから教えられているのは、謎解きのように難解なその言葉だけだった。


「そうです……結婚式でチェリーさんの誓いの言葉を聞いた時、私はぴんときたのですよ」

「キウイさんたら、結婚式中もそんなことを考えていたのですって。ふふ、もう……笑っちゃいました」


 呆れながら笑うチェリーの声はどこか弾んでいて、浴室に満ちる温かな空気に溶け込んでいった。

 そのチェリーの言葉には宮廷魔術師の妻としてキウイの成すべきことを理解し、その背中をしっかりと支えていく意志が込められているようだった。


「そうなの? 二人の誓いの言葉、私たちには聞こえなかったのだけど……チェリー、どんな誓い言葉だったの?」

「え? あ、はい、ええと……」


 チェリーがサクラの問いに答えようとした、その時だった。


「あっ、だ、だめですよっ!」


 キウイの、ルリの頭をマッサージしていた手がぴたりと止まる。

 それは常に冷静沈着なキウイが稀にしか見せない、感情を剥き出しにしたような鋭い声だった。


「何のために防音結界の中で誓いの言葉を交わしたと思ってるんですかっ。チェリーさんの誓いの言葉は、この私だけのものです。いくらサクラ様でも聞かせることはできませんっ」


 キウイはルリの髪を洗う姿勢のまま、顔だけを勢いよくこちらに向けた。

 その瞳には揺るぎない独占欲を湛えていて、サクラは呆れるのを通り越して、苦笑するしかなかった。


「もう、キウイさん……サクラ様を『時魔法の真髄』に導くのがキウイさんのお仕事じゃありませんか」


 チェリーの嗜めるような声に、キウイは少し落ち着きを取り戻したようで、「こほん」と軽く咳払いをした。


「……すみません、少々取り乱しました」


 キウイは深く息を吐いて居住まいを正すと、再び淀みなく指先を動かしてルリの頭のマッサージに戻った。

 くしゅ、くしゅ、とルリの泡だらけの頭がリズミカルに揉まれてゆく音が響き、浴室には再び穏やかな空気が戻った。


「……しかし、私の気持ちは差し置いてもですね。チェリーさんが私に向けた誓いの言葉をサクラ様がお聞きになっても、何の閃きも得られないと予想しています。あれはあくまで私の『時魔法の真髄』の理解のきっかけ……サクラ様はご自身のきっかけを探さなくてはなりません」


 キウイの持った手桶から注がれるお湯が、ざぱあ、と心地よい音を立てて泡を攫っていく。

 ふう、とルリの赤い唇から熱い吐息が漏れ、長い睫毛が震えて藍色の目がぱちりと開いた。


「『時魔法の真髄』の解釈は……人によって様々であります。サクラ様の、サクラ様だけの『時魔法の真髄』の真理を見つけなければならないのです」


 キウイの言葉が湯気の中に静かに溶けていく。

 サクラは自分の掌をそっと広げて見つめてみた。

 そこから広がった波紋が、ガーベラの花を優しく揺らして消えていく。


「私だけの、『時魔法の真髄』……ね。まだ……難しくて、私には理解ができないわ。ねぇ、キウイなりのヒントはないのかしら」


 キウイはルリの頭の泡を流し終わったことを丁寧に確認し、小さく息をついてから、一拍置いて答えた。


「そうですね……過去も未来も全て『現在』である――です」

「それ、ローズ母様から言われたことと変わらないじゃない」


 サクラが文句を言うと、キウイは「ふふ」と達観したような笑みを零した。


「本当に……(ことわり)を理解してみてわかりましたが、これが全てです。あとはサクラ様自身にこの言葉を自分の中に落とし込んでいただくほかありません」


 キウイはとろりとしたヘアオイルを手に落とし、馴染ませるように両手を擦った。

 体温で温められたオイルから花の甘い香りが立ち昇り、サクラの鼻腔をくすぐる。


「しかし……まったくの未知だった今までとは違い、それがどういうものなのかの理解はできているのです。ご安心ください、私がきっとサクラ様を『時魔法の真髄』に導いてみせましょう」


 その頼もしい言葉がサクラの心の中に温かく広がっていく。


 ルリとずっと幸せに過ごす未来。

 尻尾さえ見えていなかったそれに、確実に一歩近づいたのだ。


「ふふっ……ありがとう。頼りにしてるわ」


 顔を綻ばせたあと、ふと胸に兆した疑問を口にする。


「ローズ母様は『時魔法の真髄』に辿りついた時、精霊クロノスの声が聞こえたと言っていたのだけれど……キウイもクロノスに会えたの?」


 サクラは期待に満ちた眼差しに対し、キウイは静かに首を横に振った。


「であればよかったのですけれど。残念ながら、そう簡単にはいかないようです」


 キウイはそう言うと肩を(すく)めてみせた。


「私は時魔法の適性がありませんから。あくまで私は『理解した』だけ……その深淵にまで『辿りついた』わけではないようです」


 そう語るキウイの指先がルリの長い髪を優しく梳き上げる。

 掌で優しく温められたヘアオイルが、しっとりと、命を吹き込むように浸透していく。

 キウイの触れた箇所から髪が宝石のように艶を帯びていく様子は、まるで一種の魔法の儀式のようだ。


「ローズ様がクロノス様に尋ねてくれたようなのですが、やはり私からは精霊に捧げられる時魔法の魔力は排出されていないと。魔法適性は魂に刻み込まれたものですから、後から得ることはできません。こればかりは仕方がないですね」


 キウイは淡々と淀みなく言葉を継ぐ。

 その声色はいたって落ち着いたもので、自分の役割と成すべきことをしっかりと理解し、サクラを導かんとするものだった。


「精霊クロノスはとても気難しい方のようで……自分に利のある者の前にしか姿を現さないようです。時魔法適性をお持ちのサクラ様が『時魔法の真髄』に辿りつけば、その時は声を聞くことができる筈です」


 キウイの言葉は淀みなく、サクラの背をしっかりと押すものだった。

 しかしサクラの胸の内には言いようのない不安が広がっていく。


「……私に、できるかしら」


 弱音のようにその言葉を吐き出した、その時。

 隣に座っているルリが、サクラの手をふわりと掬い上げた。


「サクラなら、ぜったいだいじょうぶだよ。わたし、信じてるから」


 ルリの花が咲くような笑顔がサクラをのぞき込んだ。

 絡み合った指から伝わる確かな体温が、不安に凍てついたサクラの心を優しく溶かしていく。


「そうね、ごめんなさい。私……絶対に『時魔法の真髄』に辿りついてみせるわ」


 サクラは絡めた指に少しだけ力を込めた。

 揺れるガーベラの隙間で、二人の境界が心地よく溶け合う。


 『時魔法の真髄』――その正体はまだ湯気のように朧げで掴みどころがない。

 しかし、キウイが見せてくれた道標と、この手に伝わる愛おしい熱があれば、どこまでだって歩いていける気がした。

 悠久の時へと続く未来の一歩が、その時、確かに刻まれたのだった。






お待たせしました。

六章、開幕です! よろしくお願いします。

サクラが『時魔法の真髄』を求める話……になります。

最近キウイに主役を奪われがちだったサクラがメインの章になる予定です。

食われないように頑張れ、サクラ!(笑)

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