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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
結の章 交誼の酒
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交誼の酒15

 カルノー率いる別働隊が出陣したという、メルーフィス総督府からの報告は、早馬によって皇都アルヴェーシスにいる摂政ライシュハルトに伝えられた。その報告を受け取ると、彼は重々しく頷いた。

(さて、これからどうするべきか……)


 ライシュが考えているのは、遠征についてではない。彼が考えているのは、むしろその後のことである。


 アルヴェスクが援軍として送り出した近衛軍5万のほかに、さらに近衛軍3万を別働隊として動かしていることを、当然ギルヴェルス側は知らない。そして作戦通りに事が進めば、彼らは突然の介入という形でその存在を知ることになる。当然、彼らにしてみれば面白いはずがない。


 そうすると、この件を契機にしてアルヴェスクとギルヴェルスの関係が悪化することが考えられた。いや、ギルヴェルスとの関係など、実のところライシュにとってはどうでも良い。むしろ悪化するのであれば、それは武力をもって併合せしめるまたとない機会となるだろう。


 彼が警戒しているのは、むしろエルストとの関係の悪化、いや対立の先鋭化である。つまり友人がその状況を利用し、ギルヴェルスと皇国北部を纏め上げ、軍勢をもって挑んでくるという事態を、ライシュは警戒していた。


 無論、その事態がもはや避けられぬものとは、ライシュも思っていない。


『別働隊を動かしたのは皇国の利益を追求するためである。ギルヴェルスが肥太って、アルヴェスクに何の利があるのか。隣国の強大化は、むしろ皇国にとって不利益となる。それなのにそれを不満とするアルクリーフ公爵は、もはや皇国の貴族として相応しくない……』


 そのように説けば、公爵家よりの貴族や代官らを切り崩すこともできるだろう。しかしそれでも、ライシュが覚える危機感は衰えることがない。


(相手はあのエルストだからな……)


 いっそ畏敬の念さえ込めて、ライシュは胸中でそう呟いた。ここで怒りや憎しみよりも、むしろ畏敬を覚えること。それは二人の、いやカルノーを含めた三人の、稀有な関係性を端的に表しているといえるかもしれない。


 閑話休題。ライシュはしばしの間無言で考えを巡らせた後、義理の父であるベリアレオス・ラカト・ロト・リドルベル辺境伯を呼んだ。彼は今、近衛軍がサザーネギアへ赴いたため、空になった皇都に2万ほどの領軍を率いて入り、そこの防衛と警備を担当している。


「ベリアレオス・ラカト・ロト・リドルベル、参上いたしました」


 ベリアレオスが執務室に来ると、ライシュはすぐに彼を室内に招きいれた。そして侍女に命じてお茶の用意をさせてから、人払いをして彼と二人きりになる。ソファーに差し向かって座ると、ライシュはおもむろにこう切り出した。


「実は、亜父殿に折り入って話がある」


「お伺いいたしましょう」


 人払いがされた時点で、重要度の高い話がされると予感していたのだろう。出されたお茶に手をつけることもなく、ベリアレオスは真剣な表情をしながら身を乗り出した。ライシュもまた前かがみになり、声音を抑えながらこう言った。


「……実は、援軍として送った近衛軍5万のほかに、メルーフィスにやっていた近衛軍の3万を、別働隊として現在サザーネギアに向かわせている」


「なんと……!」


 ベリアレオスが驚きの声を上げる。近衛軍3万がメルーフィスへ行っていることは彼も知っている。しかしそれは近衛軍再編に伴う調練のためであると思っていた。


 この部隊までもが、別働隊してサザーネギア遠征に投入されることを、彼はこの時始めて知ったのである。計画が外部へ漏れることを防ぐため、これを知る人間は最小限に抑えられていたのだ。


「なぜ、そのようなことを……!?」


「無論、遠征の主導権を少しでもこちらで握るためだ。……だが、亜父殿と話したいのは遠征に関してではない。その後のことだ」


 ライシュの言わんとしていることを察し、ベリアレオスは険しい表情を浮かべた。その脳裏に一体誰がいるのかを、彼は正確に察している。


「遠征が一段落した後は、アルクリーフ公爵もギルヴェルスの復興に注力されると思いますが……」


 慎重に言葉を選びながら、ベリアレオスはそう言った。普通に考えれば、それが常識的な選択だろう。それはライシュも認めていた。


 現在のギルヴェルスは国力が著しく低下している。先の内乱の傷が、まだいえていないのだ。特に、食糧の備蓄がほとんどない。これは、現在アルヴェスクが大量の食糧を、ギルヴェルス向けに輸出していることからも明らかだ。


 戦とは、兵を集めればそれで勝てるものではない。兵を集めることと同じくらい、兵に食わせる食糧を集めることもまた重要なのだ。そしてその食糧が足りない状況でギルヴェルスが、つまりエルストが挑んでくることはない。挑んでくるのであれば、それは復興を行い、国力を回復させた後であろう。ベリアレオスは暗にそう言っていた。


 それは、ライシュも重々承知している。それが常識的であることも。しかし彼の中で友人エルストロキアの存在は途方もなく大きいのだ。それが彼を駆り立てる。


「遠征後、ロキが大人しくしているならばそれでよい。だが、あいつのことだ。間を空けずに次の手を打ってくるぞ」


 その言葉を聞くベリアレオスの表情は、依然険しいままだ。ライシュはそれを、彼のエルストへの警戒の表れと解釈したが、しかし本当のところは少し違う。ベリアレオスの表情を険しくしていたのは、むしろライシュの発した言葉のゆえだった。


(まるで……)


 まるで、それを望んでいるかのような口ぶりだ。ベリアレオスはそう感じていたのだ。それは騒乱を望むこととほぼ同義だ。彼が懸念を抱くには、十分な理由である。


「……それで、私は一体何をすればよいのですかな?」


 内心の懸念は言葉にせず、ベリアレオスはあえてそう言った。ライシュの考えをより引き出すためである。


「北部の、特に領主たちを切り崩してもらいたい。北部における、アルクリーフ公爵家の影響力を弱める」


「具体的には?」


「西部の貴族たちに声をかけて、北部との交易を拡大させてくれ」


 そうやってギルヴェルスと、その仲介役である公爵家への依存度を下げる。そしてその一方で、ライシュの影響力が強い西部への依存度を上げる。それがライシュの示した方策だった。いわば、穏当な切り崩し工作といえるだろう。


「御意」


 ベリアレオスは短くそう応じて首肯した。今ならば、ギルヴェルスに輸出する食糧を輸送するために、人の流れも生まれている。交易を拡大する好機と言えるだろう。しかも損害を与える類の策ではないため、公爵家が妨害しづらいという利点もある。


 ベリアレオスの中に安堵が生まれる。確かにライシュは国を乱すようなことを望んではない。それを確信できたがゆえの安堵だった。しかしその安堵も、次のライシュの一言で吹き飛ぶことになる。


「それと、万一に備えて北部を制圧するための計画を練っておいてくれ」


「で、殿下……!? それは……!」


 それはエルストと戦うための戦略、および戦術を練るということだ。要するに、内戦の準備をしろ、ということである。あまり気持ちのいい仕事とはいえないだろう。それどころか北部の貴族ら、特にアルクリーフ公爵家に知られれば、それこそ蜂起する格好の理由にされかねない。


「このようなこと、亜父殿にしか頼めぬ。どうか、よろしく頼む」


 そう言って頭を下げるライシュに、ベリアレオスは思わず息を呑む。その姿を見ては、何も反論することができなかった。


 思えば、ライシュは幼いときから人に頼るという事をほとんどしなかった。それはきっと、父親に認知さない私生児として、己が力のみを頼りに生きていかなければならぬのだと、子供ながらに理解していたからなのだろう。ベリアレオスはそう思っている。


 その覚悟の、なんと痛ましいことか。その彼が、今こうして頭を下げてまで自分に頼ってきている。それを無碍にすることは、ベリアレオスにはできそうになかった。


「承知、いたしました」


 僅かに苦渋が滲む声で、ベリアレオスはそう応えた。それを見て、ライシュも一つ頷く。その彼の内心を、ベリアレオスは図りかねた。そのせいか、よく知っているはずのこの義理の息子が、突然遠くへ行ってしまったように感じた。


 皇国北部におけるアルクリーフ公爵家の影響力を弱めるべく、ライシュはベリアレオスに頼んだ事柄のほかにも様々に手を打った。西部以外とも交易を活性化させ、さらに領主や代官らの中でまだ婚約者のいない子息令嬢の縁組を後押しする。そうやって皇国の他の地域との繋がりを持たせるのだ。そうして生まれた縁はいざという時、エルストの蜂起に加わるのを防ぐ鎖となるだろう。


(少々卑怯な気もするがな……)


 皮肉気な笑みを浮かべながら、ライシュは内心でそう呟いた。エルストが国内におらず、彼の邪魔が入らないうちにこれらの手を打つ。彼と競うことを楽しみにしているライシュにとって、それはある種卑怯で、さらには興醒めなことにも思えた。


 とはいえ、そのために手を抜くことはない。それこそ友人に対する侮辱となろう。それにもう一人の友人であるカルノーは、自分たちが争うことを望んでいない。その彼の気持ちもまた、ライシュにとっては貴重で大切にしたいものだった。


 さて、そうして忙しくしていた頃、メルーフィスの総督府から再び報告が来た。別働隊に関することかと思いその報告に目を通し、そしてライシュは大口を開けて絶句した。そこにはジュリアの姿が見当たらず、恐らくは別働隊に付いて行ってしまったものと思われる、と書かれていた。


 たっぷりと十数秒、ライシュは絶句し続けた。そして報告書を強く握り潰しながら叫ぶ。


「――あの、じゃじゃ馬が!!」


 そして頭を抱え込む。まったく、本当に、頭が痛かった。



□■□■□■



 皇都において、ベリアレオスは領軍を指揮してその防衛と警備に当る傍ら、摂政ライシュハルトから頼まれた切り崩し工作に取り掛かっていた。ただし、その手法は露骨なものではなく、交易を拡大するという比較的穏当なものだった。


 ベリアレオスは何通もの手紙を書いてそれを西部の領主や代官らに送った。さらに皇都にいる有力者たちのもとに連日足を運び、交易の拡大を実現させるための根回しや仲介に奔走する。


 双方の要望を聞きだし、問題点を洗い出し、必要があればライシュへ報告して必要な対策を取ってもらう。彼は精力的に働いた。


 そのベリアレオスの働きに、多くの者たちは好意的だった。彼のこの動きがライシュの意向であることは明白で、そのため多くの人々は「摂政殿下は内政に力を注ぎ始められた」と考えたのだ。


 交易の拡大は大きな利を生む。そうでなくとも皇国は巨大だ。つまり巨大な内需市場を抱えている。これを最大限活性化させることは、国力を高めることに繋がる。


「どうぞメルーフィスを含め、皇国中をつなぐ物流網を整備されますように。それこそが交易の拡大に資するものと考えます」


 ベリアレオスを通じてライシュにそのように進言したのは、南部の有力貴族であるブランメール伯爵だった。彼はライシュが進めている国内の交易の拡大を、一部の地域に限定するのではなく、これを機に全国で行うようにと勧めた。


「随分と大事になったな」


「まことに」


 そう言ってライシュとベリアレオスは苦笑しあった。交易の拡大は、もともとはアルクリーフ公爵家の影響力を弱めるための方策だった。それがいつの間にか全国規模の経済振興策になってしまっている。


 とはいえ、ライシュは乗り気だった。もとより、摂政の座にある以上はこの国を発展させなければならない。そしてブランメール伯爵のいう全国を結ぶ物流網の整備は、確かにこの国の発展の成長に資するだろう。


(それに……)


 それに、物を素早く輸送できるということは、軍隊もまた素早く移動させることができるということ。それはライシュの野心に合致するものでもあった。


 ただ、一朝一夕に成し遂げられるものでもない。それでベリアレオスには引き続き、特に西部と北部の交易の拡大を推進してもらい、ブランメール伯爵の献策については専門の部署を設けてその事業に当ることとした。


 さてその華々しい、いわば表の活躍の裏で、ベリアレオスはライシュから頼まれたもう一つの仕事にも取り掛かっていた。つまり北部制圧計画の作成である。これを人に知られるわけにはいかず、そのため極秘裏に行う必要があった。


 どのように補給を行い、どこを移動し、どこで戦い、どこを制圧するのか。彼我の戦力比を計算し、最適な戦略と戦術を構築する。ベリアレオスは表の仕事を隠れ蓑にしながら研究を続けた。


 その研究のために、交易拡大のために集めた資料が役に立ったのは、果たして皮肉と言うべきなのか。人と物が大量に動くという点において、戦争と交易には共通項があるのだ。ただし片方が生産的であるのに対し、もう片方は非生産の極みであるが。


 そのようにして研究を続けている中にあっても、ベリアレオスの胸中にはその仕事に対する懐疑的な見方があった。いや、懐疑的というのもおかしい。現状におけるその必要性を、彼は確かに認識していたのだから。


 だからそれはむしろ、違和感と言うべきかも知れない。そう、ベリアレオスは違和感を覚えていたのだ。自分がこの仕事をしていることについて、ではない。この仕事をライシュが命じたことについて、である。ライシュがエルストとの決定的な対立、つまり決戦を望んでいるように思えてならないのだ。


(それは、望むべきではないことだ……)


 ベリアレオスははっきりとそう思う。対立を恐れ、そのために安易な妥協をするべきではないだろう。しかしだからと言って、それを望むことは別問題だ。


 対立が予想されるなら、むしろそれを解消するために動くべきなのである。少なくとも先皇レイスフォールはそうしていた。そしてベリアレオスにとって理想の主君とはつまり彼のことであり、その姿をライシュにもまた重ねていたのだ。


(いかん、な……)


 胸の中でそう呟きながら、ベリアレオスは苦笑して頭を小さく振った。彼は自分のそういう心理を自覚している。そしてその期待が、義理の息子にとっては重荷にしかならぬであろうと思い、普段は表に出さないようにしていた。


 しかしながら彼の心情は脇においておくにしても、政を行う摂政が騒乱を、しかも内乱を望むというのは問題である。対外遠征ならばともかく、内乱は国力を損なうばかりで得るものなど何もない。むしろ積極的に回避しなければならないものだ。例え最終的に行き着く先が同じであるとしても、回避するためのその努力を、人々は見ているものなのだから。


(とはいえ……)


 とはいえ、それをどうやってライシュに諫言するべきか。ベリアレオスは研究の傍ら、そのことでも頭を悩ませていた。


 彼自身がそれを諫言することも、もちろん考えた。しかし前述したとおり、彼はどうしてもライシュとレイスフォールを重ねて見てしまうきらいがある。「レイスフォールなら選ぶはずの道を、どうしてお前は選ばないのか」と、そんな事を言ってしまいそうな気がするのだ。


 それはきっと、残酷な言葉だろう。口にしてしまえばきっと、ライシュはこの先レイスフォールの影に悩まされ続けることになる。いや今でさえ、彼が父と自分を比べて悩んでいることをベリアレオスは知っている。


(いかに賢君といえども、先皇陛下はすでに故人。囚われていては、むしろ今の世にとっては害悪となろう……)


 それで、自分はこの件で諫言を行うには適さない。加えて言うならば、事はライシュの極めて個人的な事柄に関わる。それで諫言を行うならば、彼と私的に親しく、またベリアレオスの違和感に共感できる者が良い。彼はそう思っていた。


 では、一体誰に頼めばよいのか。


 彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは、ライシュの友人にして義弟であるカルノーだった。彼は二人の対立に懸念を抱いている様子であったし、また耳に痛い言葉であっても率直に諫言することができるであろう。まさに最適任者であると思ったが、しかし残念なことに彼は今遠い異国にいる。いない人間に頼むのはいくらなんでも無理だったし、彼が帰ってくるのを待っていては遅いように思えた。


 次に思い浮かべたのは、ライシュの母親であるステラだ。母親の言葉ならば、彼も素直に聞けるだろう。しかし、彼女を政に巻き込むのはよくない。それは皇太后イセリナとの対立に結びつく。こちらの対立もまた、回避するべきものだった。


 妹のジュリアも駄目だ。彼女には父親に絡み、ライシュに対してある種の負い目がある。ベリアレオスとはまた違った意味で、レイスフォールの存在を今なお引きずっているのだ。彼女は恐らく、兄を肯定することしかできないだろう。それでは諫言などできない。


(むう……)


 眉間にしわを寄せながら、ベリアレオスは胸中で唸る。なかなか適任者が思い浮かばない。それでもなお頭の中で名簿をめくる彼は、ついにその人物のことを思い出した。実の娘にしてライシュの妻である、マリアンヌだ。カルノーがいない今、彼女こそ最適任者と言えるだろう。


(いや、しかし……)


 適任者が見つかったにも関わらず、ベリアレオスはまず躊躇いを覚えた。それは彼らが親子だったからである。


 マリアンヌが摂政の妻となってからというもの、ベリアレオスは娘にライシュへの取り成しを頼んだり、また彼女と政治的な話をしたりすることを意識的に避けていた。それはこの婚姻を利用し、摂政の外戚として権勢を求めていると思われないようにするためだ。そのために今回も無意識のうちに彼女の存在を除外していたのかもしれない。


「……背に腹は変えられぬ、か」


 しかし、彼女以外の適任者は思い浮かばない。結局ベリアレオスは、今回ばかりは彼女に頼ることにした。


 そうと決めれば彼の行動は早い。ちょうど報告のためにライシュのもとへ赴く用事もあり、その帰りに今は宮殿の一画で暮らしている娘のところへ向かった。いかにも「ふと思いつた」という風を装うために先触れは出していなかったのだが、それでも来訪を告げると十分ほど待たされただけで会うことができた。


「父上がこちらにいらっしゃるとは、珍しい」


 ベリアレオスの顔を見て、マリアンヌが少しからかうようにしながらそう言う。昔はライシュを地面に引き倒して馬乗りになっているようなお転婆だったが、今では二人の子供を産みすっかりと母親らしくなっている。


「儂とて、子や孫の様子は気にかかる。皆、息災か?」


「ええ。わたしはもちろん、ジュミエルもリーンも」


 そう言ってマリアンヌは柔らかく笑った。ちなみにリーンとは、最近生まれた長女リーンフィアラのことである。


「そうか。それはなにより」


「……それで父上。今日はどのようなご用件でしょうか?」


 紅茶を一口啜り、ティーカップをソーサーに戻すと、マリアンヌは背筋を伸ばし眼差しを真剣なものにして父親にそう尋ねた。そんな娘に応えるかのように、ベリアレオスもまたその目つきを鋭くする。素早く辺りを見渡すと、室内には侍女が一人。マリアンヌがリドルベル領から連れてきた侍女で、ベリアレオスもよく知っている侍女だ。


「……折り入って話がある」


 彼女ならば信頼に足る。ベリアレオスはそう思い、人払いを頼むことなくそう切り出した。マリアンヌが一つ頷くのを見てから、彼は自分が覚えているライシュへの違和感を語った。


「…………覚えていますか? 三人を皇都の屋敷に招いたときの事を」


 ベリアレオスの話を一通り聞いた後、マリアンヌはおもむろに尋ねた。無論、彼もよく覚えていた。あれはまだ、三人が士官学校の学生だった頃の話だ。三人を皇都のリドルベル辺境伯家の屋敷に招き、一緒に晩餐を楽しんだのである。


「あんなに無邪気に笑うライシュを見たのは、あの時が初めてでした」


 娘のその言葉に、ベリアレオスは頷く。ようやく気の置けない友を得たのだと、嬉しく思ったものである。


「ライシュには、近いうちにわたしのほうから話をしてみましょう。それで宜しいですね?」


「ああ、頼む」


 ベリアレオスがそう言って頷くのを見ると、マリアンヌはふっと微笑んだ。それだけで部屋の中の空気が軽やかになる。


「せっかくこちらにいらしたのですから、ジュミエルとリーンにも会って行って下さい」


「そうだな、そうしようか」


 すっかり相好を崩しながらベリアレオスはそう言った。そして思うのだ。自分もすっかり歳を取った、と。


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