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アルヴェスク年代記  作者: 新月 乙夜
結の章 交誼の酒
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交誼の酒14

なんとまだ書きあがってません……!


なのでまた切りのいいところまでです。

どうぞお付き合いください。

「そう、か……。グリフィス公爵が……」


 サザーネギアの、というよりグリフィス公爵の使者が書状を持ってきたその日の晩。カルノーは自分の天幕でジュリアと夕食を食べながら、その日の出来事について彼女に掻い摘んで話した。


「会談に応じたのは、上策だとわたしも思う。遮二無二攻め込むよりずっといい」


 グリフィス公爵アレスニールとの会談に応じるという決断についてカルノーが話すと、ジュリアはそう言って賛成した。彼女のその言葉を聞いて、カルノーはようやく少し安堵したように笑みを浮かべた。


 確かに、会談に応じると決めはした。しかしそれが正しかったのか、現状では誰も何もいえない。明確な正解など、現時点では存在していないからだ。それが彼を落ち着かなくする。


「大丈夫じゃ。カルノーなら、きっと良い結果を出せる。わたしはお主を信じておるぞ」


 そんな彼の内心を察したのか、ジュリアは優しく微笑みながら言い聞かせるようにしてそう語った。彼女が浮かべる微笑は、今までになく柔らかく慈愛に満ちている。子供を身篭ると、女性とはそうなるものなのかもしれない。


 そんな事を考えながら、カルノーは「ああ」と苦笑気味に応じた。するとたちまち、ジュリアは拗ねた様子で「何がおかしいのじゃ」と言って唇を尖らせる。そんな姿だけは以前と少しも変わらず、カルノーはますます苦笑を深くした。


 突発的に不機嫌になってしまった(とはいえ実際のところ半分以上は演技なのだが)妻を宥めながら、カルノーは頭の片すみでかつて師父と仰ぐアーモルジュに教わったことを思い出していた。


『指揮官は常に泰然としていよ。例え背中に冷や汗を流していたとしても、それを部下に悟られてはならぬ。指揮官が動揺を見せれば、部隊全体が動揺する。それでは、何事も為せぬ』


 カルノーはその教えをもう一度胸中で繰り返す。今の彼は一軍を率いる将なのだ。しかも彼の部隊は今、異国の地にいて想定外の事態に直面している。この上さらに動揺すれば、確かに「何事もなせぬ」ということになるだろう。それどころか、悲惨な結果を招くことさえありうる。


(やれやれ、自分の未熟さが恨めしい……)


 カルノーはそう嘆息する。しかしこうして未熟であることを認めると、少し身体の力が抜けたように感じた。


(どの道……)


 どの道、すでに決断は下されたのだ。そして決断を下した以上、後はそれを踏まえて最善を尽くすしかない。諦めるのでも、まして自棄になるのでもなく、ただ目標を見据えてやるべき事をやる。ほとんど開き直るようにしてカルノーはその心境に至った。アーモルジュがこの場にいれば、あるいは満足げな笑みでも浮かべて一つ頷いていたかもしれない。


 そして次の日の朝早く、再びアレスニールの使者がやって来た。会談の場所として指定されたのは、ガルネシア海に浮かぶ島の一つ。時刻は今日の正午から。カルノーが承知したことを伝えると、使者は最後にこう述べた。


「『お会いできるのを楽しみにしている』と、御屋形様からの御託(おことづけ)です」


 そして伝えるべきことを全て伝え終えると、使者はまた船に乗って去っていった。その姿を見送ると、カルノーの緊張は否が応にも高まる。


(いよいよ……!)


 いよいよ、グリフィス公爵アレスニールと相見えるのだ。彼に会ってみたいとは思っていた。しかしこうしてその時を間近にすると、興味よりも恐怖にも似た感情の方が先に立つ。


(一体、何を議題にするつもりだ……?)


 アレスニールが相当な切れ者であることは間違いない。しかも、主導権を握っているのも向こうだ。何を話し合うにしろ、難しい舵取りを迫られるだろう。そう思い、カルノーは予想と対策を繰り返す。そうしているうちに、時間はあっという間に過ぎた。


 早目の昼食をかきこむようにして食べると、後のことは副将に任せ、カルノーはナルグレーク軍の用意した船に乗って指定された島へと向かった。ちなみに副官であるイングリッドはジュリアの傍に残してきたので、今は伴っていない。代わりに参謀が4人、護衛が20人付いており、カルノーを入れたこの25人がアルヴェスク側の一団だった。


 島に着くと、アルヴェスク側の25人だけが船を下りて上陸した。上陸するとすぐに一つの天幕へと案内される。中に入るのはカルノーと参謀の4人だけで、残りの20人は天幕の周りに散開して周辺を警戒する。まさかこの場で暗殺を企てるとも思えないが、隙を見せるわけにはいかないのだ。


 天幕の中には、すでに5人の人がいた。その中でも、他の4人と比べて一回り以上年上で、さらに隔絶した貫禄と風格を持つ初老の男がいる。彼こそがグリフィス公爵アレスニールであると思われた。そしてその様子に違わず、彼は天幕に入ってきたカルノーらを、両手を広げ顔には笑みを浮かべて出迎えた。


「ようこそ、オスカー将軍。お待ちしておりましたぞ」


「お招きいただき光栄です、グリフィス公爵」


 二人はそう挨拶して握手を交わす。アレスニールは意外なほどの力強さでカルノーの手を握る。そしてまじまじと彼の顔を見つめた。


「……私の顔に、何か付いていましたか?」


「あいや、失礼。報告は聞いていましたが、いやあ、本当にお若い」


 アレスニールの目に、一瞬だけ暖かい光が宿る。カルノーはなぜかその目に、アーモルジュのそれを重ねた。だからかもしれない。するりとこんな言葉が出た。


「日々、己の未熟さを嘆くばかりです」


「いやはや、ご謙遜を。……ささ、どうぞ席にお付きください」


 莞爾と笑いながら、そう言ってアレスニールはカルノーらに席を勧めた。天幕の中、10人は一つの長机を挟んで差し向かい合わせに座る。いよいよ、本格的な会談が始まろうとしていた。


「改めまして。本日は会談に応じてくださり、御礼申し上げる」


「ご丁寧に。この会談が実り多きものとなることを願っています」


 それぞれ席につくと、二人は改めて挨拶を交わした。儀礼的で、堅苦しい挨拶だ。カルノーは身構えたが、しかしアレスニールはふっと間合いを外すようにして顔をほころばせる。


「実は、オスカー将軍が本当に応じてくださるのか、心配しておったのです」


 硬い口調から一転し、苦笑さえ浮かべながらアレスニールはそう言った。彼の言葉遣いには巧みな緩急がある。しかもそれが、不思議と心地よい。


「と、言いますと?」


「アルヴェスク軍などいない、と突っぱねられる公算の方が大きいと思っておりましたからなぁ」


 それはそうだろう、とカルノーは思った。というより、そうやって突っぱねる方が常識的なのだ。


「どうして応じる気になったのか、教えてはもらえませんか?」


「貴方にお会いしてみたくなったから、ではいけませんか?」


 幾つかある中でも、最も個人的な理由をカルノーは口にした。個人的はあるが、しかし嘘ではない。


「それはそれは……。恐縮ですな」


 そう言ってアレスニールは少し困ったような表情を浮かべた。それが演技ではなく、本当に困っているように見えて、カルノーはしてやったりと思った。


「私も一つ、お伺いしてよろしいですか?」


「何ですかな」


「どうして我々がこの地にいると、そう判断を下されたのですか?」


 カルノーがそう尋ねると、アレスニールの目が一瞬すっと鋭くなった。しかしまたすぐに元の表情に戻り、そしてこう言った。


「私にも、ナルグレークには幾つかの伝手がありましてな。教えてくれた者がいるのですよ、『アルヴェスクのメルーフィス総督府が、サザーネギアの情報を欲している』と」


 グリフィス公爵たるアレスニールが隣国ナルグレークに伝手を持っているのは、なんら不思議なことではない。グリフィス公爵家はナルグレークにとって厄介な障壁であるが、それと同時に重要な交易相手でもあるからだ。


 それで、情報の収集それ自体は露見するものと覚悟していた。ただ、それをどうやって別働隊の存在へと結び付けたのか。カルノーが知りたいのはそこだった。


「ギルヴェルスの遠征にアルヴェスクが援軍を出すという話は、こちらも掴んでいました。それで、ともすれば別働隊を動かすこともありえる、とそう考えたのですよ」


 もし別働隊を動かすのであれば、その目的は何か。そしてアレスニールはその目的をサザーネギア軍への奇襲であると睨んだ。それをなす為の行路を考えたとき、幾つかの候補の中にナルグレークを横断する行路を想定したのだという。


「……たった、たったそれだけの要素をつなぎ合わせて、我々の存在を予見したのですか?」


 カルノーの声音に畏怖と驚愕が混じった。これでは予見と言うよりは、ただの山勘でしかない。


 無論、斥候を放つなりして情報を集めていただろう。例えばガルネシア海湖畔のあの街に間者を潜ませ、ナルグレーク軍の陣に合流する部隊の様子を監視等するのは比較的容易だろう。


 しかし、そこにどれだけ兵が集まろうとも、それはナルグレーク軍であると判断するのが常識的であるはずだ。なぜならそこはナルグレークの領土内。そこに他国の軍勢が混じるなど、一体誰が考えよう。


 そもそも、アレスニールが想定したという「ナルグレークを横断する行路」それ自体が非常識極まりない。普通であればそれを想定したとしても、敵が実際にそこを通るとは思わないだろう。その、いわば心理的死角を突くのがこの作戦の肝なのだから。


 成否はともかくとして、この作戦を見破るためにはよほど確定的な情報が必要。カルノーはそう考えていた。しかしアレスニールはそうではなくむしろ理論の飛躍、つまりある種のひらめきでこの作戦を見抜いたように思える。それはカルノーにとって衝撃的なことだった。


「あとは、そうですな……。貴方自身、ですかな。オスカー将軍」


「私、ですか……?」


 付け足すようにそう述べたアレスニールに、カルノーは僅かに慄きを滲ませた声で応じた。そんな彼にアレスニールはしっかりと頷いて見せてからさらにこう述べた。


「別働隊を動かす場合、その指揮官となるべき将官はオスカー将軍、貴方以外にはおりませぬ。そして貴方ならばもしや、とそう考えたのですよ」


「……かいかぶり、ですよ」


「さて、どうですかな。少なくとも、将軍は今ここにおられる」


 その言葉に、カルノーはただ弱々しく苦笑を浮かべるしかなかった。アレスニールの声音からは確かに賞賛の響きがある。しかし自分の策をはるかに上回って見せた人物からどれだけ賞賛されようとも、今のカルノーには喜びよりもむしろ羞恥しかない。その上、先程の意趣返しまでされてしまったようで、つまり前哨戦は彼の完敗だった。


 そんな彼の心境を知ってか知らずか、アレスニールは小さく咳払いをして居住いを正す。そして穏やかな低い声でこう言った。


「……さて、少し前置きが長くなりましたな。本題に入るとしましょう」


 アレスニールのその言葉を聞き、カルノーはほとんど無理やり心理的形勢を立て直す。なるほどこの初老の紳士は手練れである。しかし交渉とは個人の能力によってのみその成果を左右されるわけではない。むしろ交渉に至るまでの情勢こそが、巨大な要素として圧し掛かってくるのである。


 現在、サザーネギアのおかれた状況はよくない。すでに国土の一部を切り取られ、遠征軍の先遣隊がそこに陣取っている。軍を催し、国土奪還のために交戦を続けているが、戦況は芳しくない。遠征軍本隊との合流は時間の問題だろう。


 その西からの侵攻に加え、さらに南にも別働隊の存在が明らかになった。しかも、ともすればナルグレーク軍まで参戦しそうな雰囲気である。つまりこのままいけば、サザーネギアは西と南で二正面作戦を戦うことになるのだ。


 今回、アレスニールがこの会談の席を設けたのもそれが理由だろう。要するに彼は、戦況が絶望的になる前に何とかして交渉の糸口を見つけたかったのだ。よってここから先の交渉は、前提条件だけ見ればカルノーの方が有利だった。


「今回、将軍とお話したいのは、他でもないこの戦についてです」


 アレスニールの言葉に、カルノーは一つ頷く。予想通りの論題である。それでこの戦、つまりこの遠征についての何を話し合うのか。カルノーは無言で続きを促した。


「私はサザーネギア連邦の連邦議会議長として、将軍とこの戦の和平交渉を行いたいと考えています」


 とんでもない事を言う、とカルノーは思った。確かにカルノーは別働隊を率いるにあたり、摂政ライシュハルトから大きな権限を与えられてはいる。しかしそれでも、彼は別働隊を率いる一介の将軍でしかない。そもそもライシュから与えられた権限とて、アルヴェスク軍の中でしか意味はないのだ。


 そのカルノーに戦の和平交渉を行う権限などない。その権限を持つのは遠征軍の総司令官、ギルヴェルス王国王配エルストロキアただ一人である。それで、彼としてはこう答えるしかない。


「不可能です。私にそのような権限はありません」


「では、講和条件の作成を手伝ってはいただけませんかな?」


 その台詞はあらかじめ準備されていたのだろう。アレスニールは迷うことなくその言葉を口にした。それを聞いて、カルノーは「ものは言い様だな」と思った。


 和平交渉の申込み、あるいはその仲介は、アレスニールが連邦議会議長の権限において行う。カルノーには、その時提示する講和条件の素案作りを手伝って欲しい。全てはアレスニールの責任において行われるので、カルノーが越権を心配する必要はない。彼が言っているのは、つまりそういうことだ。


 とはいえ実際のところ、これは実質的な和平交渉に他ならない。なぜなら、カルノーがこの素案に関わっている、つまり“合意”していることを知れば、アルヴェスク軍本隊を率いるラクタカスもすぐに賛成するに違いないからだ。


 そしてアルヴェスク側が賛意を示せば、最終的な判断を下すエルストとてそれを無視するわけにはいかなくなる。問題は現在サザーネギア軍を率いているバルバトール公爵エドモンドが応じるかどうかだが、それはアレスニールに任せておけばよい。


 無論、あくまでも素案であるから、これを(たた)き台にして交渉が行われた結果、修正が加えられることはありえるだろう。しかし交渉が行われることそれ自体、素案の作成にカルノーが関わっていなければありえない。極端な話、アレスニールは交渉を始めるために彼をこの話に一枚噛ませたいと思っているのだ。


「そう、ですね……」


 カルノーは即答せず、顎に手を当てて考え込んだ。これは微妙な問題である。左右に二人ずつ座る参謀らの様子を横目で窺えば、彼らもまた難しい顔をしていた。


 前述したとおり、カルノーはアルヴェスク軍の別働隊を率いる、一介の将軍でしかない。一方この遠征の主役はあくまでもギルヴェルスである。それなのに、「アルヴェスクの将軍が主体的に関わった講和条件の素案」なるものを提示されたら、彼らにしてみれば面白くないに決まっている。下手をしたら、両国の関係は一挙に険悪なものとなるだろう。


 しかしここで素案作成に関われば、そこにアルヴェスク側の意向を大いに反映させることができる。この遠征の、「勝ちはするが勝ちすぎず、ギルヴェルスの強大化を最小限に抑える」という、矛盾に満ちた(あくまでもアルヴェスク側の)目的の達成に大きく近づくことができるだろう。そしてそれは、ライシュとエルストを争わせないという、カルノー自身の目的とも合致する。


「……分かりました。私でよろしければ、意見を言わせていただきます」


「将軍……!」


 いくばくかの逡巡の後、カルノーはアレスニールの提案に乗ることを選んだ。毅然と頭を上げ、はっきりとそのことを告げた彼の隣で、参謀の一人が苦い顔をする。しかしカルノーが小さく頷いて見せると、それ以上反対することはなかった。


 その参謀の懸念は、カルノーも理解できる。つまりこのことがきっかけで、逆にライシュとエルストの対立が先鋭化し、武力衝突に繋がることを心配しているのだ。しかしカルノーはそこまでは至らないと見込んでいた。


 その理由は、二人の力の差だ。いくらエルストがギルヴェルスを掌中に収めたとはいえ、現時点ではライシュの方がまだ圧倒的に優勢である。計算高いエルストがこの状況で仕掛けるとは思えない。


 加えて、皇国北部の貴族や代官たちのこともある。彼らは確かにアルクリーフ公爵家と繋がりが深く、その立場はエルスト寄りだ。しかし、彼らはあくまでもアルヴェスク皇国の貴族であり代官だ。その彼らが、隣国ギルヴェルスが強大化するのを、無邪気に喜ぶはずがない。


 となれば、この講和条件でギルヴェルスにいわば損をさせたとしても、彼らの理解を得るのは難しくないだろう。そして皇国北部でアルクリーフ公爵家を孤立させられれば、エルストの戦力は半減すると見ていい。それどころか現在交易で利を得ている者たちは、今の両国の友好な関係を損なわせないように動くはずで、むしろエルストを牽制してくれるに違いない。


(これならば、ロキも動こうとはしないだろう)


 あの賢い友人のことだから、別の都合の良いときまで機を伺う、という選択をしてくれるはずだ。カルノーはごく自然にそう思った。それは友人へのある種の信頼であったのかもしれない。


 無論、武力を用いない権力闘争は激しさを増すことだろう。ただ、それに対処するべきはカルノーではなくライシュだ。彼ならばきっと巧くやるだろう。ほとんど丸投げに等しい所業だが、それもまたカルノーなりの信頼の表明である。


「それはありがたい」


 そう言ってアレスニールは莞爾と笑った。そして一つ頷くと、彼はさっそく素案を作成するに当たり、自らの考えを述べた。


「国境線の変更はせず、賠償金を支払うことを条件に、遠征軍には矛を収めていただきたいと考えています」


 国境線を変更しないということは、つまり領地の割譲は行わないということだ。そして賠償金として提示されたのは、15州分の年間租税相当額だった。しかしアレスニールが提示したその条件を、カルノーは首を横に振って即座に否定する。


「それではギルヴェルス側を納得させることはできないでしょう」


 ギルヴェルスが、というよりエルストが欲しているのは、賠償金ではなく新たな国土である。国土の割譲がされなければ、彼は決して和平交渉には応じるまい。それでカルノーは次のように自らの意見を述べる。


「ギルヴェルスには国境際から5州を割譲し、アルヴェスクには10州分の年間租税相当額を賠償金として支払う。これでいかがでしょう?」


 カルノーの提案に、アレスニールは一つ頷いて応じた。無論、その提案を容れたわけではない。だが、これで双方から案が出された。それで、ここから先はこれら二つの案を基にして条件を刷り合わせていくことになる。


「国土の割譲を織り込めば、早急な和平条約の締結の妨げとなります。それは双方にとって望ましいことではないでしょう。賠償金を20州分にするということでいかがですかな?」


「現在、優勢にあるのは遠征軍です。国境際で争っているならともかく、すでに深く切り込んでいます。そもそもこの戦の発端は、サザーネギアの略奪隊であったはず。これはもはや、賠償金だけで清算できる問題ではないと考えます」


「これは異なことを仰る。そもそもの話をするのであれば、『遠征をする』と先に宣言したのはギルヴェルスの方。ならばそれに対し、備えを行うのは当然のことでありましょう?」


「しかしその時点ではまだ、正式な宣戦布告はなされていませんでした。にもかかわらず貴国の略奪隊は国境を越え、ギルヴェルス領内に甚大な災禍をもたらしました。戦が無道なのは今に始まったことではありませんが、しかしこれは度を越えています。それともサザーネギアは国を挙げて盗賊家業を推進しておられるのでしょうか?」


「……攻め込まれるのを座して待つべきであったと仰る?」


「結果だけ見れば、備えにはなっていなかったように思いますが?」


 カルノーの痛烈な言葉に、アレスニールは苦笑を浮かべながら頭を振った。しかしその表情はどこか楽しげですらある。それを見て、カルノーはひとまず自分が彼の相手となり得たことに安堵した。


(それにしても、損な役回りだな)


 カルノーはふとそう思った。自分のことではない。アレスニールのことである。件の略奪を嗾けたのは、十中八九バルバトール公爵エドモンドだ。アレスニールも胸のうちではその蛮行を苦々しく思っているのだろうが、しかし立場上、彼はそれを擁護しなければならない。その辛さを、カルノーは「損な役回り」と表現したのだ。


 しかしだからと言って手心を加えるつもりはない。分不相応にも手加減などしようものなら、この老獪な紳士にあっという間にやり込められてしまうだろう。ゆえにカルノーは一切手を抜かない。


「ときにグリフィス公爵。東の様子はいかがでしょうか?」


 彼の言う東とは、つまりサザーネギアの東の国境のことである。西で戦が長引けば、その隙を突いていずれ東にも侵略者が現れるであろう。カルノーは暗にそう言っていた。


「いやはや……。参りましたな、これは……」


 苦笑を浮かべながら、しかしやはりそれでも楽しげな表情で、アレスニールはそう言った。しかしその目だけは鋭く、真っ直ぐにカルノーを見据えている。カルノーもまた目を逸らすことなくそれを受け止める。


「……少し、休憩を挟みませんかな? 歳を取ると、長く座っているのが億劫になるのですよ」


 ふっと笑みを浮かべながら、アレスニールがそう言った。カルノーは少し肩の力を抜いて頷きを返した。


「分かりました。では少し、外の空気を吸って来ようかと思います」


 カルノーがそう言って率先して席を立つと、天幕の中にいた他の人々もまた思いおもいに席を立ち始めた。


 外に出たカルノーは、天幕から少し離れてガルネシア海の景色が見えるところに立つ。その青い水面を見つめながら、彼は深く息を吸い、そして吐いた。難しい交渉である。しかし同時に、ひどくやりがいのある交渉でもあった。


 結局、この交渉が纏まったのは、さらに二日後のことだった。


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