第36話 カメラの外の獣
十一月中旬の夕方、ハウンドは市街地の外れにある資材置き場で配信用ドローンの位置を三度直させた。
ハウンドの背後には倉庫の壁がある。壁にはスポンサーの看板が貼られていた。最初の角度だと看板の右端が切れる。
二度目は夕日がレンズに入った。配信設定は画質優先。遅延は九秒だがロゴは潰れない。
「もう少し左。そうそう、そこで止めて」
画面の中で三つのロゴがきれいに並んだ。あとは正面の空き地に獣を出せばいい。
先ほど届いた案件票は四級の二足型だった。動きは遅い。倉庫の管理者が逃げたあと、壊れた搬入口の奥に入り込んだらしい。
監視用の小さな画面には獣の背中が見えた。片脚を引きずって何度も同じ壁にぶつかっている。外へ出る道は広いのに、動くたびに壁のほうへ寄っていた。
足元には折れた木材が散っている。逃げた管理者が落としたのだろう。ハウンドは撮影位置を決めてから木材だけを蹴って脇へ寄せた。
映像に余計な物が入るとあとで切り抜きにくくなる。
『周辺の避難は完了しました。撮影区域にも人はいません』
新しい担当指揮者の声だった。先週から組んでいる相手で、必要な報告だけを返してくる。余計な質問をしないところは気に入っていた。
「了解です。じゃあ始めましょうか!」
ドローンの赤い点が灯る。ハウンドはカメラへ笑顔を向け、指を鳴らして胸を叩いた。白と金の外装が身体を覆う。
最後に胸のスポンサー章が光った。配信画面の端で視聴者数が上がり始めた。
『いやあ、お待たせしました! 今日は倉庫街の四級ビーストです。皆さんは安全な場所から見ていてくださいね!』
搬入口の奥で爪が床をひっかいた。
ハウンドはドローンに向けて親指を立てた。獣が出てくるまでの間は短い。余計な映像を流すと視聴者が離れる。
先月の配信分析にもそう書いてあった。
掌から細い鋼線を伸ばす。倉庫の両端に一本ずつ掛けた。線を強く引くと、倒れかけた鉄扉が開いた。
奥から獣が現れた。背中を丸め、片脚を引きずりながら地面を踏む。顔を上げてハウンドへ向かってきた。
勢いはなかった。
ハウンドは鋼線を二本交差させて腕を止めた。続けて四本を壁に掛け、獣の身体を中央へ引き戻す。逃げる方向を一つ消すと、ドローンの画面から獣がはみ出さなくなった。
『ほら、この距離なら大丈夫! 僕らが来たんでもう安心ですよ!』
獣は線に引かれて転んだ。起き上がろうとしたが、脚が伸びない。
ここで仕留めれば四級の討伐は片づく。残るのは確認班の書類だけだ。
外装の残り電力は十分にある。冷却が必要な解放も使っていない。鋼線を一度強く締めれば、これ以上動かす必要はなかった。
けれど画面の数字はまだ伸びている。
ハウンドは鋼線を一本増やし、獣の頭を高く持ち上げた。ドローンがそれを追って少し上がる。スポンサーの看板がちょうど獣の背後に収まった。
「いいね」
画面の右上で投げ銭が一つ増えた。
『まだ動いてますね。さすがビースト! でも皆さんは心配しなくて大丈夫です!』
ハウンドは笑いながら線を張り直した。獣が地面を掻く音が足元から伝わる。腕を振るう力は弱い。
鋼線の一本を切ることさえできなかった。
ドローンが近づきすぎたところで手を上げた。配信担当の端末に終了の合図が出る。
『本日の討伐はここまで! 応援ありがとうございました!』
表示が変わる。配信終了。赤い点が消え、ドローンは駐車車両のほうへ戻っていった。
ハウンドは笑顔をやめた。
獣はまだ動いていた。
「いやあ、今日のは弱いね」
線を緩めると獣が地面に落ちた。立とうとして片脚を滑らせる。ハウンドはその前へ新しい鋼線を張った。
獣がぶつかる。今度は別の向きへ逃げようとする。ハウンドは壁の金具へ線を掛け直し、狭い範囲へ戻した。
急ぐ必要はなかった。
『対象はまだ活動しています。討伐確認が必要です』
無線の向こうで新しい指揮者が言った。
「分かってるよ。もう逃げられないでしょ」
『確認班の到着予定まで時間があります』
「ならちょうどいいじゃん」
返事はなかった。
ハウンドは踵で地面を鳴らした。獣が頭を上げる。その瞬間だけ線を引き、あと少しで届く場所から身体を遠ざけた。
一度目は前へ跳んだ。二度目は横へ転んだ。三度目には立ち上がる途中で脚が折れた。
ハウンドは距離を変えた。長く線を張っても、獣は同じ方向へしか動かなかった。足元の土に何度も爪の跡が残る。
「そうそう。そこまで来いよ」
獣が息を荒くして顔を上げた。ハウンドは線を一本だけ残し、逃げ道を広げる。獣はそちらへ這うように進んだ。
その先で張っておいた別の線が脚を止めた。
「残念」
獣はもう頭を起こせなかった。
ハウンドはしゃがみ、外殻に触れない距離から身体を眺めた。背中の硬い部分に銀色の何かが挟まっている。土や石とは違う光り方だった。
線で向きを変えると、細い金属片が外殻から突き出ていた。古い傷に埋まったまま、周囲の殻が盛り上がっている。
「おっ、アクセサリー付きじゃん」
ハウンドは笑った。こんなところに金属片を付けている獣は珍しい。配信中に見つけていれば、もう少し視聴者を集められただろう。
「これ先に気づきたかったな。絵になるのに」
新しい担当指揮者は何も言わなかった。
ハウンドは通信表示を見た。回線はつながっている。音声を切っているわけではない。
こちらの言葉を聞いたうえで報告だけを止めていた。
前の担当の顔が浮かびかけた。何を考えていたのかは知らない。知る気もなかった。
獣の腕はまだ床を擦っていた。
ハウンドは金属片を鋼線の先で弾いてみた。鈍い音がした。抜ける気配はない。
もう一度角度を変えたところで、過去の現場が一瞬だけ浮かんだ。
外殻に金属が付いた獣。近づく配信ドローン。管制席から応答しない少女。
髪をまとめた赤いヘアゴム。
あのときチカは何も言わなかった。
「……ま、いっか」
思い出すのをやめた。もう担当は変わっている。こちらが欲しいのは射出の時刻を間違えずに伝える指揮者だけだ。
ハウンドは鋼線を増やした。獣の動ける部分を一つずつ押さえていく。弱くなった脚でも逃げようとするたびに線を張り直した。
途中で無線が鳴った。確認班の到着が近いらしい。
「はいはい。終わらせるよ」
線を引いた。獣の身体が最後に一度だけ動き、床に沈んだ。
ハウンドは線を戻し、装甲に付いた土を払い落とした。袖口には血が付いていない。見せたくないものは映していないのだから、後始末も簡単だった。
しばらくして確認班の車が来た。
係員が端末を持って降りる。獣の背中を見て一度だけ手を止めたが、そのまま所見欄を開いた。ハウンドの目からは細かな文字が読めなかった。
「ちゃんと終わってるでしょ?」
「討伐を確認しました」
「じゃあ書類よろしく!」
ハウンドは名前の入った確認票へ署名した。係員は獣を覆い、回収用の車へ運ぶ。背中の金属片は布の下に隠れた。
白と金の外装はまだ光っていた。
帰りの車内でハウンドは配信の切り抜きを確認した。倉庫を背にした自分の立ち姿はよく撮れている。看板のロゴも三つとも読めた。
公式の映像は獣が地面へ倒れたところで終わっている。そこから先は録画されていない。
担当指揮者から案件完了の通知が来た。続いて次回の配信予定とスポンサー向けの数字。視聴維持率は先週より上がっていた。
通知の下には担当者の評価欄もあった。指示の伝達は正常。射出の遅れもなし。
書類の不備もなし。これなら次の更新でも同じ相手を希望できる。
ハウンドは評価欄へ最高点を付けた。
別のニュース欄には旧市街の崩落現場で四人を救助したグリットの名前があった。
「また救助かよ」
指で記事を閉じる。配信向けの映像は付いていない。四人も助けたのに画面に残るのは小さな見出しだけだった。
スポンサーの担当者から動画の確認連絡が入った。映像の途中で鋼線を増やしたところが好評らしい。次回も同じ角度で撮ってほしいと書かれている。
ハウンドは承認を返した。明日には新しい切り抜きが出る。今日使った鋼線の数は覚えていないが、画面で派手に見えれば十分だ。
コメント欄には彼の鮮やかさを褒める言葉しかなかった。




