23 平和な午後
23 平和な午後
古風な家具が並ぶ居間には、穏やかな午後の日差しが差し込んでいた。
どの家具も決して新しくはない。深い飴色の長椅子も、細かな彫刻が施された戸棚も、エリザベスの祖母が暮らしていた頃から使われているものだ。
けれど、埃一つなく磨かれ、傷んでいた布地も丁寧に張り替えられている。暖炉の上には季節の花が飾られ、窓辺の小卓には、エリザベスが庭で育てている鉢植えが並んでいた。
華美ではないが、手入れの行き届いた居心地のよい部屋だった。
スミス侯爵は長椅子へゆったりと腰かけ、エリザベスが淹れたお茶を楽しんでいた。
「やはり、ベスが淹れてくれたお茶が一番おいしいな」
満足そうに言う夫へ、エリザベスは向かいの椅子から冷静な視線を向けた。
「この前は、料理人が淹れてくれたお茶を飲んで、これが一番おいしいとおっしゃっていましたわ」
「あれは、料理人へのねぎらいだよ」
スミス侯爵は悪びれることなく答えた。
「ベスへの言葉は本心だ」
「料理人が聞いたら悲しみますわよ」
「聞いていないから大丈夫だ」
「あとで私が教えておきます」
「ベス、それはやめてくれないか」
エリザベスは答えず、砂糖壺へ手を伸ばした。
そんな妻を見ながら、スミス侯爵は楽しそうに笑った。
エリザベスと結婚してからというもの、彼は屋敷にいる時間をことのほか大切にするようになった。
エリザベスとの結婚を人質にとられ国政に戻ったが、呼ばれるまでは出仕をしない。
「今日は、もう何もないよね?」
スミス侯爵が念を押すように尋ねた。
「ええ。こちらへいらっしゃる予定のお客様はいません」
「外出の予定は?」
「ありませんわ」
「では、夕食までずっと二人で過ごせるな」
「あなたが書斎へ逃げ込まなければ、ですけれど」
「逃げ込まないとも。今日は仕事をしないと決めたんだ」
胸を張って宣言した夫へ、エリザベスは微笑んだ。
「それは立派な決意ですこと」
「もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「決意しただけでしょう。実行できたら褒めて差し上げます」
そのとき、居間の扉が控えめに叩かれた。
返事を待って入ってきた執事は、どことなく困った顔をしていた。
「旦那様、おくつろぎのところ、申し訳ございません」
「客なら断ってくれ」
執事が用件を告げるより先に、スミス侯爵が言った。
「今日は誰にも会わない。急ぎの仕事も受けない。そう伝えてあるはずだ」
「はい。ですが、王城から使者がお越しです」
執事の言葉を聞いた途端、スミス侯爵の笑顔が消えた。
彼は持っていたカップを静かに受け皿へ戻した。
「帰ってもらいなさい」
「それが、国王陛下からの極秘のご連絡とのことでございます」
「聞こえなかったのか。帰ってもらいなさい」
「旦那様」
「私は今日は休みなんだ」
スミス侯爵は心底うんざりした様子で額へ手を当てた。
「極秘なら、なおさら私に知らせるべきではない。知らなければ、私は何もする必要がないのだから」
「すでに使者から直接お渡しするよう命じられております」
「では、その使者ごと追い返してくれ」
執事は無言になった。
長年スミス家に仕えている彼にも、国王の使者を門前払いする勇気まではないらしい。
やがて、王家の紋章が入った上着を身につけた使者が、執事に案内されて居間へ入ってきた。
使者の姿を見たスミス侯爵は、取り繕うことさえせず、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……君か」
「お久しぶりでございます、スミス侯爵閣下」
「久しぶりのままでよかったんだが」
使者は聞こえなかったふりをして、懐から封書を取り出した。
赤い封蝋には、国王だけが使用できる印章が押されている。
「国王陛下より、極秘のご連絡でございます。至急、王城へお越しいただきたいとのことです」
「断る」
「侯爵閣下」
「今日は妻とお茶を飲んでいる。見れば分かるだろう」
使者は助けを求めるようにエリザベスを見た。
しかし、エリザベスは何も言わず、涼しい顔で自分のお茶を飲んでいる。
「陛下は、閣下でなければ対処できない問題だとおっしゃっております」
「あいつはいつもそう言うんだ。私に仕事を押しつけたいときは、決まって君にしか頼めないと言う。騙されないぞ」
「陛下からは、もし閣下がお断りになるようなら、直接こちらへお越しになるとのお言葉を預かっております」
スミス侯爵の顔が引きつった。
この屋敷へ国王が押しかけてくれば、のんびりお茶を楽しむどころではない。警備の手配に料理の用意、随行員の控室まで必要になる。
何より、国王は用件が済んでも簡単には帰らない。
「……卑怯者め」
スミス侯爵は低い声でつぶやいた。
「今、なんとおっしゃいましたか?」
「陛下は実に優れた交渉術をお持ちだと言ったんだ」
「さようでございますか」
使者は何も聞かなかったことにしたらしい。
スミス侯爵は封書を受け取ると、重苦しいため息をついた。それから隣に座るエリザベスのほうへ身を寄せる。
「ベス、あいつが呼んでるみたい。もういやだよ」
国王をあいつと呼び、子どものように不満を訴える夫を見ても、エリザベスは動じなかった。
黙って夫の顔を見つめ、やがて優しく微笑む。
「早く行って、早く帰ってきて」
「ベスまで私を追い出すのか?」
「追い出してはいませんわ。帰ってきてと申し上げたでしょう?」
「一緒に来てくれないか?」
「極秘のご連絡なのでしょう。私がついていってはいけませんわ」
「君は私の妻だ。隣に座っているだけでいい」
「陛下とお話をしている間も、手を握っていて差し上げましょうか?」
エリザベスが尋ねると、使者がわずかにうつむいた。笑いをこらえているらしい。
「それは……さすがに格好がつかないな」
「では、お一人で行ってくださいませ」
「冷たいなぁ」
「帰っていらしたら、もう一度お茶を淹れて差し上げます」
「焼き菓子も?」
「残っていれば」
「私の分を取っておいてくれ」
「早く帰ってくれば、残っていると思いますわ」
スミス侯爵はしぶしぶ立ち上がった。
執事が差し出した上着を着ながらも、名残惜しそうに何度もエリザベスを振り返る。
「本当にすぐ帰るからね」
「ええ」
「夕食までには必ず帰る」
「お気をつけて」
「もし遅くなっても、先に食べないでくれよ」
「それは陛下におっしゃってくださいませ」
エリザベスに見送られ、スミス侯爵は使者とともに屋敷を出た。
玄関前には王城から来た馬車が待っている。
乗り込む直前にも夫は振り返り、エリザベスへ手を振った。
「ベス、待っていてくれよ!」
「はい。いってらっしゃいませ」
エリザベスも小さく手を振った。
扉が閉まり、馬車が走りだす。
スミス侯爵は窓から顔を出しそうな勢いでこちらを見ていたが、やがて馬車は門を抜け、通りの向こうへ消えていった。
その姿が完全に見えなくなるまで、エリザベスは玄関前に立っていた。
やがて屋敷へ戻ると、静かになった居間を見回す。
夫が座っていた場所には、まだ飲みかけのお茶が残っている。
エリザベスは自分の椅子へ戻り、ゆっくりとカップを持ち上げた。
屋敷の中は静かだった。
誰かが絶えず話しかけてくることも、抱き寄せられることも、庭仕事を切り上げるよう急かされることもない。
好きなだけ本を読み、庭へ出てもよい。焼き菓子も、夫の分を残す必要がなければ、もう一つ食べられる。
エリザベスは皿に残った焼き菓子へ手を伸ばした。
(たまには亭主の留守もいいわね)
そう思いながら口にした焼き菓子は、いつもより少しだけおいしく感じられた。




