21 パトリシアの独り言
21 パトリシアの独り言
仕事が休みの日、パトリシアは一人でエリザベスの家へ向かった。
姉が暮らしているのは、母方の祖母から譲られた古い屋敷だ。
父も母も、あの家について良いことは何一つ言わなかった。
「無駄に大きいだけの、みすぼらしい家よ。庭も荒れ放題で、とても貴族が住めるようなところではないわ」
以前、母はそう言って笑っていた。
ロバートも、あの家には価値などないと言っていた。
だからパトリシアも、エリザベスは暗く寂しい屋敷で、たった一人、惨めに暮らしているのだと思っていた。
だから義姉の不幸を確認したいとやってきたのだった。
けれど、実際に訪れてみると、聞いていた話とはずいぶん違っていた。
「ここ……なのよね?」
手にした住所をもう一度確かめる。
確かに建物は古かった。しかし、みすぼらしくはなかった。
古いながらも丁寧に手入れされ、窓はきれいに磨かれている。屋根や外壁も補修されており、玄関へ続く道には雑草一本生えていなかった。
何より、庭が美しかった。
季節の花が色とりどりに咲き、刈りそろえられた芝生の上には、やわらかな日差しが降り注いでいる。低い生垣も整えられ、庭の中央には小さな白い花が集められた花壇があった。
派手ではない。
だが、そこに住む者が、この庭を大切にしていることは一目で分かった。
(話が違うわ)
パトリシアは門の外に立ったまま、庭を見つめた。
門は開いていた。
声をかければ、中へ入ることもできただろう。
けれど、足が動かなかった。
庭には数人の庭師がいた。
そして、その中央にエリザベスが立っていた。
姉は淡い色の簡素なワンピースを着て、つばの広い帽子をかぶっている。手には庭の図面らしい紙を持ち、庭師たちと何かを話していた。
距離があるため、話の内容までは聞こえない。
庭師の一人が花壇を指し、何か説明した。エリザベスは図面へ目を落とし、それから花壇を見た。
しばらく考えたあと、姉は庭師に何かを尋ねた。
庭師が笑いながら答える。
エリザベスも笑った。
パトリシアは息をのんだ。
姉が、あんなふうに笑うところを初めて見た気がした。
口元だけに浮かべる礼儀正しい微笑みではない。目を細め、楽しそうに声を上げている。
ボトムズ家にいた頃のエリザベスは、いつも静かだった。
帳簿を確認し、使用人へ指示を出し、父から命じられた仕事を片づけていた。パトリシアとロバートの結婚式の準備をしているときでさえ、不満一つ口にしなかった。
だからパトリシアは、姉はそういう人なのだと思っていた。
何をされても平気で、一人でも困らず、泣くことも怒ることもない人。
笑うことなど、必要としていない人。
そのとき、屋敷の扉が開いた。
一人の男性が庭へ出てくる。
穏やかな顔立ちをした、優しそうな人だった。上着を着ていないところを見ると、客として訪れたのではなく、屋敷の中でくつろいでいたらしい。
男性は庭師たちに軽く手を上げると、まっすぐエリザベスのもとへ歩いていった。
「ベス、そろそろ休憩にしないか?」
今度は風向きが変わったのか、男性の声がパトリシアのところまで届いた。
エリザベスは振り返った。
「もう、そのような時間ですか?」
「ああ。夢中になると、君は時間を忘れるからね」
「まだ少し、こちらの花壇について相談したいことがあるのですが」
エリザベスが図面へ目を落とすと、男性は困ったように笑った。
「庭師たちにも休憩は必要だよ」
そう言われ、庭師たちが声を上げて笑った。
「侯爵様のおっしゃるとおりですよ、奥様」
「続きは明日にいたしましょう」
「そうね。皆さん、ごめんなさい。では、今日はここまでで」
エリザベスも笑いながら図面を閉じた。
男性はそんな姉を愛おしそうに見つめると、ごく自然な仕草で頬に口づけた。
「まあ、部長さん……」
「こら、また」
「あなた、つい、うっかりですわ」
エリザベスは驚いたように目を見開いたが、本気で嫌がっているわけではない。その頬はうっすらと赤くなり、口元には照れくさそうな笑みが浮かんでいた。
「見られて困ることはしていないよ。私は妻に休憩を勧めにきただけだ」
「頬にキスをする必要はなかったでしょう?」
「必要だったとも」
男性は当然のように答えた。
庭師たちは慣れているらしく、笑いながらそれぞれの道具を片づけ始めている。
「お茶を用意させた。君の好きな焼き菓子もあるよ」
「まぁ、ありがとうございます」
「それでは、戻ろう」
男性はエリザベスの手を取った。
エリザベスも拒まなかった。
二人は手をつないだまま、ゆっくりと屋敷へ向かって歩いていく。
男性が何かを言い、エリザベスが笑う。
その後ろ姿は穏やかで、パトリシアには入り込む余地など少しもないように見えた。
(お姉様は、一人ではなかったのね)
パトリシアは門の外に立ち尽くした。
姉は、みすぼらしい家で惨めに暮らしてなどいなかった。
美しい庭がある。
姉を慕う庭師たちがいる。
そして、姉の頬にキスをして、当たり前のように手を取る夫がいる。
ボトムズ家にいた頃より、エリザベスはずっと幸せそうだった。
姉から家も、跡取りの地位も、婚約者も取り上げた。
それなのに、最後には自分たちのほうがすべてを失った。
パトリシアは荒れた自分の手を見下ろした。
働き始めてから、指先は硬くなった。以前なら、こんな手を誰かに見られることが恥ずかしくてたまらなかっただろう。
今も仕事はつらい。
けれど、働かなければ食べていけない。
姉も、家を追い出されたあと、自分で働いて暮らしていたのだ。
誰にも頼らず、誰かから奪うこともなく、この家で暮らしたのだ。
(私は、お姉様がなんでもできるから、何をしても困らないと思っていた)
けれど、それは、自分に都合のよい言い訳だった。
姉が泣かなかったからといって、傷つかなかったわけではない。
一人で生きていけるからといって、何も奪ってよいはずがなかった。
屋敷の扉が閉まり、二人の姿が見えなくなる。
パトリシアは結局、声をかけることができなかった。
何を言えばよいのか分からなかった。
会いたかったのか、助けてほしかったのか、それとも、姉も自分と同じように不幸でいてほしかったのか。
自分でも分からない。
ただ、あの庭で笑っていたエリザベスの顔だけが、目に焼きついて離れなかった。
パトリシアは門に背を向けた。
姉の家から遠ざかる足は重かった。
けれど、来たときとは違っていた。
大きいだけのみすぼらしい家。
そんなものは、どこにもなかった。
そこにあったのは、エリザベスが自分の力で取り戻し、大切な人と育てている、温かな家だった。




