19 ボトムズ伯爵家とヒルズ子爵家
19 ボトムズ伯爵家とヒルズ子爵家
スミス侯爵は、ボトムズ伯爵家とヒルズ子爵家の動向を、以前から注意深く見守っていた。
いや、見守っていたという表現は、少し穏やかすぎるかもしれない。
(土地を担保に銀行から融資を受け、投資に回す。事業としては甘い。投資先を調べたのか? 友人の紹介とかそんなことだろう、本当に頼りない)
あの者たちが、いずれ立ち行かなくなることは分かっていた。
ただ、その日はスミス侯爵が予想していたより、ずっと早く訪れた。
(投資先が破綻したのだ。あれはどう見ても詐欺だから、計画通りだろうし、銀行も予想して黙っていたのだろう。あの土地を狙っていただろうから……)
「ボトムズ家が、ついに利息の支払いを滞らせました」
執事から報告を受けたスミス侯爵は、机の上の書類から顔を上げた。
「元金ではなく、利息を?」
「はい。すでに二度、猶予を求めております。ヒルズ家も同様です」
「屋敷を担保に高利貸しから借りて支払いました」
執事は呆れた顔を隠さなかった。
「破綻は、もう少し先だと思っていたのだがな」
「予想以上に浪費が激しかったようでございます」
「無能な者は、ときに有能な者の予想を超える」
スミス侯爵は皮肉を口にしたが、その表情は険しかった。
両家が破綻すること自体は、自業自得である。
問題は、そのあとだった。
金も屋敷も失った彼らが、誰のところへ押しかけるのか。
考えるまでもなかった。
彼らはエリザベスを頼る。
いや、頼るという殊勝な態度ではないだろう。エリザベスの家へ押しかけ、当然のように住み着き、彼女の給金と財産を自分たちのために使わせようとするはずだ。
家族なのだから助けて当然だ。
長女なのだから養って当然だ。
かつて婚約していたのだから、ロバートの世話をするのも当然だ。
彼らならば、そう言うに違いない。
「エリザベスを、あの連中から守らなければならない」
口にした瞬間、スミス侯爵の中で答えは決まった。
彼女を守るために最も確実な方法は何か。
スミス侯爵家の庇護下に置けばよい。
そして、誰にも口を挟ませない立場を与える。
つまり――結婚するのが一番だった。
「……遠慮している場合ではないな」
これまでは、エリザベスの気持ちを尊重しようとしていた。
甥に託そうとしたが、甥は朴念仁だった。
だったら自分がと思った。
だから待つつもりだった。
だが、ボトムズ家とヒルズ家は、その時間すら彼女に与えようとはしないらしい。
「馬車を出してくれ」
「どちらへ向かわれますか」
「エリザベスの家だ」
執事は一瞬だけ目を見開いた。
「ついに決心なさいましたか」
「分かっていたのか?」
「侯爵家に仕える者で、分かっていない者はおそらくおりません」
「……そうか」
気づいていなかったのは、どうやら本人だけだったらしい。
スミス侯爵がエリザベスの家を訪れたのは、その日の夕方だった。
庭仕事をしていたエリザベスは、突然やってきた彼を驚いた顔で迎えた。
「部長、どうなさったのですか?」
プロポーズは思ったより大変だった。スミス侯爵は汗をかいてあせって言葉がちゃんと口から出なかった。
おまけに愛しいエリザベスに抱き着いて泣いてしまった。
だが、有能なスミス部長――いや、スミス侯爵はその後、本領を発揮した。
まず、両家の債務状況を調べ、銀行や債権者が迅速に手続きを進められるよう、必要な情報を揃えた。
違法なことは一つもしていない。
圧力をかけてもいない。
両家は見る見るうちに追い詰められた。
(早めに片づいて、せいせいしている)と思っていたところ、国王に呼び出された。
「なかなかの活躍だったようだな、政務へ戻れ。これは命令だ」
「いやですけど、結婚するんですよ」
「そなたが静かにしていた結果、今回の騒ぎだ。どうせまた裏で何かを動かすのなら、最初から表で働け」
「お断り申し上げます」
「断れば、婚姻許可の書類を一字一句私が詳細に、念入りに調べるぞ」
スミス侯爵の眉がぴくりと動いた。
「陛下、それは職権の濫用ではございませんか」
「そなたにだけは言われたくない」
こうしてスミス侯爵は、エリザベスとの結婚を人質に取られるような形で、政治の表舞台へ戻ることになった。
本人はたいそう不本意そうだったが、国王は上機嫌だったという。
そのころ、ボトムズ家とヒルズ家は、破綻を迎えていた。
豪華に改築したあの屋敷は、支払えなかった利息の代わりに銀行へ回収された。
借金の担保に入れていた土地も、一つ残らず銀行の手に渡った。
家具や馬車、宝飾品も売却され、彼らの手元にはほとんど何も残らなかった。
彼らはスミス侯爵が用意した一軒の家へ連れていかれた。
王都のスラム街に建つ、古く小さな家である。
雨風はしのげる。井戸も共同ではあるが使える。屋根も壁も修理されており、暮らせないことはない。
ただし、彼らが以前住んでいた屋敷とは比べるべくもなかった。
「こんなところに、私たちが住めというのですか!」
ボトムズ伯爵夫人が金切り声を上げると、家を案内した馭者は答えた。
「はい。家賃は当面、スミス侯爵がお立て替えになります」
「使用人はどこなの?」
「おりません」
「食事の支度は?」
「ご自分たちでお願いいたします」
「掃除や洗濯は誰がするのよ!」
「ご自分たちでお願いいたします」
何を尋ねても、同じ答えしか返ってこない。
「私たちは貴族なのよ!」
「すでに爵位に伴う財産を維持できず、多額の債務を残しております。なお、働き口も用意されておりますので、明日から出勤してください」
「働き口?」
ロバートが嫌そうに顔を歪めた。
スミス侯爵が彼らのために用意したのは、商店の使い走りや倉庫の整理、荷物運び、掃除といった仕事だった。
特別な知識がなくてもできる。
真面目に働けば賃金が支払われる。
そして怠ければ、その日の賃金は出ない。
至極当たり前の仕事である。
「どうして私が使い走りなど!」
「働かなければ食事はできません」
後日、執事から両家の様子を聞いたスミス侯爵は、執務机で書類を確認しながら小さくうなずいた。
「全員、仕事には行ったのか?」
「初日はずいぶん抵抗したそうですが、食事が出ないと分かると、翌日からは働き始めました」
「それでいい」
「もう少し厳しい処分をお望みかと思っておりました」
執事の言葉に、スミス侯爵はペンを置いた。
「彼らを飢えさせたいわけではない。路上で野垂れ死にされても迷惑だ」
「なるほど」
「住む家は与えた。働き口も用意した。働いた分だけ賃金を受け取り、その金で食べていける。十分だろう」
誰かに命じれば済む暮らしは、もう終わったのだ。
「逃げ出す者が出た場合は?」
「追いかける必要はない」
「承知いたしました」
執事が一礼して退出しようとすると、スミス侯爵はふと思い出したように声をかけた。
「そうだ。ボトムズ家とヒルズ家は、同じ家に住んでいるのだったな」
「はい。侯爵のご指示どおり、全員で暮らしております」
「それは結構」
スミス侯爵は満足そうにうなずいた。
両家で、仲良く暮らしていけばいい。




