【二十一】だが俺は忍者だ
【二十一】
──人生は、剣と同じだ。振り下ろす前に全てが決まり、
下ろしたら、変えられない。
戦いは終わった。
剣邪は今度こそ、滅んだ。
モヒカンの新種、モキナの発見報告はまだない。
ループライト邸の執務室で、
ノーマンは事務作業を終わらせた。
リチャードの後を継ぎ、
執事だった彼は、めでたくループライト家の領主になった。
少し前までは、宿無しの痩せこけた犬より酷い生き方と見た目だったのだから。
反対する声は、まったくなかった。
十三歳だが、すでに己の力量を示していたのが功を奏していた。
前領主父娘を心配する声は上がったが、
それさえ、日々を生きることに精一杯な人々の中では、大きな反対にはならなかった。
「この指示の通りにしろ」
部屋の隅に佇んでいた老執事に、短く告げる。
かつては職場の先輩であり、
執事としての働き方を教えてくれた人物だった。
なのに、こんな若造に顎で使われて、何も思わないものだろうか。
部屋を出る時に、横目で探ってみても、
特に負の感情は見られない。
内面、腹の底まではわからないが、
恭しく一礼したのだから、叛意はないようだった。
激闘、二つの歴史に跨った災厄は滅んだ。
ノーマンが、最後の一手を指した。
窓の向こうでは、今日も生命のない荒野が広がる世界で、
ぽつんと浮かぶマグリバで、人々が生きている。
この街には、本当に傷一つ残らなかった。
僥倖と言えるのだろう。
窓枠に人差し指を載せ、
ぼんやりと外を見る。
のどかだと思うべきなのだろう。
今では、彼が若き領主だ。
外で子どもたちが棒で遊び、
もはや世界でもここにしかいないとさえ言われる、
犬や猫も道端に寝転がっていた。
その周囲を大人たちが忙しく行き来している。
子ども、ペット。
それらが平和に生きられるという奇跡が、
自分の両肩に、成すべき責任としてのしかかっている。
「…………どうでもいい」
目を逸らした。
歓迎すべきこと、それは客観的な判断でしかない。
ノーマンにとっては、今この瞬間に、
大事な人たちが眠っている事実の方が大きい。
「様子は?」
「たまに目が覚めては悲鳴をあげて昏倒し、
また意識を喪うのを繰り返しています」
エルシアの部屋で、
看病をしていたメイドに話を聞く。
剣邪からエルシアを解放して以来、
彼女はまともに目を覚まそうとしない。
正確には“動こうとしない”のだ。
エルシア・ループライトはすべてを覚えてしまっていた。
それは、ノーマンの右腕を切断したことも、
リチャードの半身を切断したことも、
そして、前の歴史の自分に乗っ取られたことも。
今の彼女は、安らかな寝息をたてている。
だが、最初に目を覚ました時は、
──ごめんなさい、死ぬ。
そう言って迷わず死を選ぼうとしていた。
「俺は気にしていないから……」
左手で彼女の頬を撫でようと手を伸ばし、やめた。
気絶する前、エルシアはずっとノーマンを、
その右腕を見ないように顔をそらして逃げ惑っていた。
傷ついたわけではないが……また同じ反応をされると思うと、心が弱まる。
手を引いて、起こす言葉も囁く独り言もなく、
少年はエルシアから逃げた。
使用人たちに恭しく一礼されるが、
それさえも重荷に感じてしまう。
ループライト家の誰もいない世界になど、生きたことがなかった。
遠くに旅立っていた時とは違う。近くにいても、いない。
その事実を考えると、何もかもが色褪せて見えた。
気づけば、足は“父”の眠る場所に向いていた。
以前に案内されたループライト邸の地下。
暗闇の中で無機質なブルーライトと、
大気に溶け込んでいるようなナノマシンの揺らぎだけがあった。
カプセルの内部、
薬液に満たされて浮かぶリチャードは、死んではいない。
だが、今のままでは永遠に目を覚まさない。
下半身を喪い、生命維持の術が、
ここにしかない以上は。
絶対に、エルシアに会わせられない姿だ。
彼女自身の肉体が、あれほど愛した剣が、
父親を、内臓を垂らしてカプセルに浮かぶ状態へ追いやったなんて。
今の状況は決して悪いものではない。
時間が巻き戻る前、
リチャードは何も遺すことなく死んでいた。
仲間だって無情な最期を遂げていた。
それに比べれば、誰も死んでおらず、
剣邪が滅び、世界が続いていくのが決定している今の方がずっと良いのも事実だ。
しかし、そうやって、自分を納得させるのは……。
「教えてくれ、父さん」
カプセルのガラスに手を置き、それから額を付ける。
──人生は、剣と同じだ。二撃目を放つ機会に恵まれても、
必ず満足いくとは限らない。
かつて、右も左も知らなかった彼に、
この世界で生き延びる、最低でも敗北しない智慧を授けてくれた人物は、何も答えない。
正確には、父がくれた薫陶は、
それよりも遥かに広く、深いものだった。
「俺はどうすればいいんだ……」
こうなってしまえば、笑い話だ。
すべてを利用価値中心に見ようとし、
そうしてでも一番大事な人たちを守ろうとした。
結果は、その二人だけが再起不能。
「貴方たちに、生きてもらうために、俺は……」
返事はない。
生きているのに、いっそう孤独を感じる。
古代文明の知識と施設、そして文化を受け継いでも、
今のノーマンの心の穴を埋める役には到底立ちそうもない。
「我ら、鋼鉄の民……」
こうなってしまえば、せっかく受け継いだ鋼鉄の信条も……
「民……」
リチャード、そしてエルシアから受け継いだ信条を思い出す。
天啓のように、ある考えが浮かぶ。
──人生とは、剣と同じだ。だが、俺は……。
それは、以前の歴史では起きなかったことだが、
この世界では可能性が消えていないものだった。
そんな都合の良い方法があるかもわからない。
だが、すでに“歴史を変える”という
最もご都合的な不可能は達成したのだ。
それなら──
「待っててくれ」
それだけを告げて、
大急ぎでエルシアの部屋に戻った。
「起きろ、エル!!」
周囲が止めるのも構わず、
眠る彼女の肩を大きく揺さぶって
眠るお嬢様の意識を覚醒させた。
ゆっくりと目を開けた彼女の視線が、
ノーマンの義腕に吸い寄せられ、
喉から絶叫を絞り出そうとするのを、ノーマンは遮った。
「一緒に旅に出よう!!
他の鋼鉄の民を探すんだ。
きっと、この広い世界なら、ここみたいに過去の文明を保存している人がいる。
世界中に遺った知識を集めたら、
リチャード様を元通りに治すことだってできるに決まってる!
なんなら俺の腕だって生やせるはずだ」
相手がどう反応しようと関係ない。
彼女がこれで立ち直るかは賭けだが、
とにかく勢いで押し切る。
これは説得ではない。
騙し、誘導し、罪悪感ごと、彼女の心の奥底に押し込み、
取りあえずは問題を先延ばしにして、未来へ引きずるための餌だ。
エルシア・ループライトが自分を責めて死を選ぶなら、
その責任感を、別の方向へねじ曲げるしかない。
「そんなの……いるなんて……」
「お前には言っていなかったけれどもな。
聞いたことがあるんだ。この世界には、何でも治せる不思議な《遺産》があるって。
それがあれば、絶対に何とかなる!」
もちろん、そんな話を聞いたことなどない。
《遺産》の実在も、場所も、手がかりも、何一つ知らない。
ただ、今のエルシアに必要なのは真実ではなく、
死ぬ理由を奪うための、都合の良い目的だった。
「でも、わたしのせいで、みんなが……」
「旅が終わったら結婚しよう!!
そのための旅って考えたらちょうどいいだろ!」
あれだけ騒いで浮かれていた“結婚”という言葉。
それを聞いても、
エルシアの表情は一向に晴れない。
けれど、少しでも意識をこちらへ向けさせられるなら、
どんな言葉でも使う。
愛でも、未来でも、結婚でも。
何を道具にしてでも、まずは彼女の手足を動かさせる。
立ち上がれたら、後はそれが嘘にならないように、
現実をねじ伏せればいい。
「わたしはもうノーマンといる資格──」
彼女の唇を、ノーマンの唇で塞いだ。
いつもなら印を切って落ち着くところだが、
そこは敢えて禁ずる。
二つの歴史を通しての、ファーストキス。
頭がくらくらして、体の内側から激しい熱が胎動した。
殴るような勢いの接吻。
考えさせる隙を与えないための、最低で、最短の手段。
しばらく、そのままで停止し、ゆっくり離れる。
目を見開き、息を荒くしたエルシアが
理由もわからないまま紅潮しきった顔で呆然としている。
「お前じゃないと駄目なんだ。
だから、一緒に行こう」




