9.接待
花街はさらに熱気を帯び、夜の深まりとともに訪れる客も増えてきていた。外からは華やかな笑い声と楽の音が響き、通りは色とりどりの灯りに照らされてまるで夢の中のように揺らいでいた。
だが、そんな喧騒とは裏腹に、今ノアがいる部屋の中は、静けさに包まれていた。
「ほんとうに綺麗な人だ。君みたいな人がここに居るなんて……」
ノアの隣に座る細身の男が、うっとりとした目でノアを見つめながらつぶやく。潤んだ瞳は今にも涙を浮かべそうで、その視線はまるで宝石を見ているかのようだった。
ノアは男の言葉に笑みを浮かべ、小さく首を傾げて応じる。言葉は発さず、ただその動作ひとつで十分に魅せてしまう。
「ああ、そうだね、書かないと……」
男はテーブルに置かれていた紙と筆を手に取り、少し緊張したような面持ちで筆談を始める。
その様子を隣室の隠し窓から見守るエマとオーウェン。
「上手くいってるね」
オーウェンが小声で呟くと、エマは黙って頷いた。先ほどのやり取りから察するに、男はノアを完全に“耳の聞こえない女”だと信じ切っており、しかもすっかり心を奪われているようだった。
ノアの時折浮かべる微笑みや伏し目がちの仕草――そのどれもが、まるで長年妓の世界で鍛え上げられた者のように完璧だった。
部屋の中では筆談が続いていた。男が話し、ノアがうなずき、返答を紙に記す。そのたびに筆のこすれる音がかすかに響き、空気が緊張感を帯びながらも妙に穏やかだった。
「そうか、耳のせいで両親に捨てられてしまったなんて……かわいそうに」
ノアが作り話の身の上話を語ったのだろう。男は目を伏せ、哀れみのこもった視線をノアに向ける。
「大丈夫だよ。僕が守ってあげるから」
そう言って、男はそっとノアの肩に腕を回した。
瞬間、ノアの目に一瞬鋭い光が走った。喉元までこみ上げた殺意を飲み込み、笑顔を崩さず、淡々と男の胸に新たな紙片を押し当てる。
「ああ、そうだね」
男は紙を見て頷く。だが、ノアの拳は微かに震えていた。耐えているのだ。任務を優先するために。
部屋の外からは、いっそう大きな喧騒が聞こえていた。だがこの部屋の中では、男の欲望だけがじわじわと迫ってくるようだった。
「耐えられるでしょうか」
隠し部屋の中で、エマが心配そうに呟く。
「祈るしかないね」
オーウェンは冗談めかして言ったが、その目は真剣だった。
「そうだよ、君を救ってくれるご主人様だよ」
男が勝手な解釈で話を続ける。ノアが首を傾げて「聞こえない」という態を装う。
「大丈夫。君は上玉だからね。モリソン様は海外にルートを持ってるんだ。王子様に買われるか、それともご自身の物にしてしまうか……まあその前に俺が味見しとこうかな」
下卑た笑みを浮かべながらノアの体を舐め回すように視線を走らせる。
ノアは男の言葉に反応し、ちらりと別室へと視線を送る。その目は「そろそろ良いか?」と問いかけているようだった。
「どうしようかな、もっと喋りそうだけど……」
オーウェンが逡巡していると、突然――
「そこまでだ!」
ドアが乱暴に開かれ、男たちがどっと押し入ってきた。
「っひ!!」
細身の男が声を上げて後ずさる。
ノアは咄嗟に立ち上がろうとするも、体を固めてその場に留まった。視界に飛び込んできたのは、ナイフを娼婦の首元に押し当てている男たち。
「だ、誰か……!」
「ここにもいます!!」
隠し部屋の奥からも引きずり出されるエマとオーウェン。男たちの手により、ついに姿を現す。
「これはこれは、王家の犬ども。嗅ぎ回っていたのがバレないとでも?」
せせら笑う声の後ろから、ひょっこりと姿を現したのは――ベルだった。
「ごめんねぇ、オーウェン様。私、やっぱりお金が好きみたい」
顔の前で手を合わせ、舌を出すように愛嬌を見せたその表情も、オーウェンの冷たい視線に凍り付く。
「そっかぁ、残念だな」
いつもの柔らかい口調だったが、その瞳はまるで蛇のように鋭く、イザベラを彷彿とさせる冷酷さがにじんでいた。
ベルは思わず顔を青ざめさせ、男の背後に隠れる。
彼女がオーウェンの元を訪れたのは、探りを入れるためのスパイ行為だったのだ。会話を聞かれたのか、それとも騎士の姿をしたノアを見て怪しんだのか、彼女はオーウェンの怪しい行動を組織に漏らした様だ。
「こいつらを全員縛り上げろ! この国に居られると思うなよ!」
男の号令が飛ぶ。数人の手下たちが一気に押し寄せ、エマ・オーウェン・ノアの三人を取り囲み、容赦なく縄で縛り上げた。




