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私が眠りにつく日まで

 彼(だと思う)が何者なのかは今でも分からない。

 身長は約2mで(160cmの私の頭が彼の肩までしかないから多分そのくらい)顔の作りは一見人間っぽいけど、額からは二本の角が生えていて大きな口の中には大型の肉食獣みたいな大きい牙があって、2つの目は赤い白目(?)に銀色の瞳だ。耳はゲームやアニメに出てくるエルフのように先が長く尖っていて銀色の髪の隙間から覗いている。

 和服のような衣装を身に纏っているけれど白い肌には虎のような縞模様が入っていて、人間ではなさそうだって事はすぐに分かった。



 ******



 この世界に飛ばされたときの事も良く分からない。寝ようとして部屋の電気を消したところまでは覚えている。気が付けばパジャマ姿で薄暗くて寒い場所にいた。床も壁も天井も石のタイルで作られた体育館のように大きな部屋には窓も無く、地下室という雰囲気だ。

 大きな魔法陣の中に呆然としていたのは私一人じゃなかった。スーツ姿の黒髪の男性や濡れた裸の金髪女性、登山の格好をした中年女性からユニフォーム姿の少年など大勢の人がいた。部屋の中は様々な言語が飛び交っている。かろうじて判別できたのは中国語と英語くらいで、様々な格好、様々な国の人達がここに集められている。共通しているのは皆が今の状況を理解していないという事だ。


 魔法陣の周囲を取り囲むようにきらびやかな衣装を纏った人影が沢山いた。褐色の肌を持つ彼らは揃って羨ましいほどの美男美女でモデル体型だ。でも見惚れたのはほんの一瞬ですぐに恐怖心に変わった。顔はお面のように無表情で、感情というものが読み取れない。

 彼らは無言で、何の説明なしに魔法陣の中にいる私達に何かをし始めた。部屋には人々の短い叫び声が響き、何かが焼けたような嫌な匂いが鼻を突く。魔法陣の中心近くにいたせいで、何が行われているのか確認は出来なかった。

 抵抗する人や逃げだそうとする人もいたけれど、私は怖くて何も出来ないでいる。彼らは反抗や逃走を予見していたように眉一つ動かさず、綺麗な手を翳しては見えない力で組み伏していく。

 彼らが魔法陣の中心に近づいて来る。近くではすでに何かをされたのか、屈強な男性やキャリアウーマンらしき女性が首の後ろを庇うように蹲っていた。

 もう駄目かも知れない。

 諦めかけた私の目の前にた綺麗な女性が来た瞬間、大きな魔法陣が光り出した。

 無表情だった彼らの顔に焦りが浮かび何かを叫びだす。でもその言葉は私には理解出来なかった。

「魔法陣から離れろ! 何か来るぞ!」

 首元を手で押さえながら中年の男性が日本語で叫んだ。それとほぼ同時に色々な言葉が飛び交った。唯一かろうじて聞き取れる英語でも盛んに避難を促していた。

 皆一斉に魔法陣から逃げ出す。私も訳が分からないまま走り出した。

 あいつらの数人は怒鳴ったり不思議な力で逃げ出す私達を押さえつけようとしたりしていたけれど、魔法陣からあふれ出す光の対処を優先させたようで追って来る者はいなかった。それでも部屋から逃げ出せたのは半分くらいだった。


 迷路のような建物には罠が仕掛けてあって、落とし穴だったり、籠のようなもので掬われたりして外で出られたのは半分くらいだった。

 ようやく出られた建物の外は見渡す限りの大森林で、進んでいく内に人よりも大きいムカデのような虫に食べられたり、豚人間みたいな奴らに捕まって生きたまま串刺しにされたりと、生き残ったのはたった一日で10人足らずになっていた。

 あの建物から逃げ出した事が良かったと思えなくなるほどの地獄だった。


 夜、たき火を囲んでようやく話をすることができた。

 国籍がバラバラなので会話は英語だ。日本語以外不得手な私を見かねたのか、隣に座っていたアメリカ人のリチャードさんが簡単な単語に言い直して教えてくれた。

 皆は首の後ろにバーコードのような印を付けられた途端に言葉が分かるようになったようだ。印が付いていないのはこの中では私だけだ。

 魔法陣から想定外の何かが来てしまったようで、あいつらは慌てたらしい。

『魔法陣を死守しろ!』

『ヒトが逃げるぞ!』

『今は放っとけ! どうせ元の世界に帰れはしない!』

 そう叫んでいたのをここにいるほとんどの人が聞いていた。


 明日もこの森を抜ける事で意見が一致して、皆まとまって寝た。たき火の番は1時間毎の交替だ。

 身体は酷く疲れているのに、全然眠る事が出来なかった。


 その後は変な獣に追われて散り散りになったり、錯乱して走り去ったりして私達も数は確実に少なくなった。建物から逃げ出して僅か数日で私を含めて3人しか残っていなかった。でもその2人も、追ってきたあいつらに捕まってしまった。何故か私だけは見つからなかった。

 大森林を抜けると、目の前にはまた違う森が広がっている。

 進みたくない。でももう戻りたくない。

 仕方なく一人で森へ踏み込んだ。

 

 何日経ったか分からない。いつ、どこで、何をしたのか覚えていないが身体は打ち身や切り傷だらけで、特に右足の傷を負ってからは今までの様に動けなくなってしまった。

 食べられそうな果物や水で何とか飢えを凌いでいたけれど、空腹と疲労と寒さで限界だった。


 意識が混濁する。

 こんなところで死ぬのは嫌だ。でも死んだ方が楽かもしれない。訳の分からない世界で生きていたところで、今後良い事は無さそうだ。

 大体、異世界召喚ってイケメンに囲まれたり王子の結婚相手になったりチートで無敵だったりとか、そういう楽しいものじゃないの? イケメンどころかこの世界に人間っているの?

 よりによってこんなサバイバルホラーみたいな世界で言葉すら通じないって、どれだけ過酷なのよ。


 あまりの理不尽さに頭に血が上ったせいか、意識がはっきりしてきてしまった。


 誰かがこちらに近づいてくる音が耳に入ってきた。逃げようとしたけれど身体に力が入らない。

 やっぱり私も食べられるのか。

 大きな虫達に生きたまま手足をもがれた誰かの断末魔が耳に残っている。


 最悪食べられるのは仕方ないとして、あんなに惨くて苦しい死に方はしたくないけど。

 そんな絶望に心が折れていた私の目の前に現れたのがタキだった。


 タキとも言葉が通じなかった。私は本当にこの世界で言葉が通じない存在らしい。

 ショックだった。

 でも彼は言葉が通じないと分かっていても話しかけてくれた。腕を掴む力が強いと気付くと緩めてくれた。

 この世界では異質な私をちゃんと扱ってくれた事が嬉しかった。


 名前はかろうじて分かったけれどそれ以外は全く理解出来ない。でもタキの強面は意外に表情豊かで、何となくだけど察する事が出来た。

 だから、私の血を舐めた時のあの一瞬で、彼も私を食べる気だと分かってしまった。

 変な虫や知性の無さそうな豚人間にムシャムシャと食べられるのは絶対嫌だ。あんな奴らの栄養になんてなりたくない。

 でもタキになら食べられても良いと何故か思ってしまった。彼なら出来るだけ痛くしないように食べてくれそう――だから、かな?



 ******



 最近困っている事がある。

 彼の顔が近づいてくるとあの大きな牙でガブリと噛まれるのではないかと身構えてしまう一方で、ちょっと勘違いしそうになる自分がいる。


 タキは見た目が鬼だし強面だけど嫌いじゃない――というか、本当は大好きだ。

 彼に話しかけられるのも、頭を撫でられるのも、抱っこされるのも、一緒に寝るのも嬉しくて仕方ない。

 さすがにお風呂にはまだ一緒に入れない。恥ずかしいし、初日に服を脱がされそうになった時は失礼な事を言われた気がするから。

 多分胸が無いとか、そんな事だろう。言葉は通じないけど、悪口はニュアンスで分かるんだぞ。


 彼からすれば私なんて食料か良くてもペットぐらいで、間違っても恋愛対象では無いだろう。

 だからこそ、首元に顔を近づけたり、顎を指で掴んで顔を上げさせたりするのは止めて欲しい。

 それ、日本では恋人同士でやるヤツだから! キュンキュンしちゃうヤツだから!

 挙げ句、頬を舐めておいてちょっと動揺するって、私を萌え殺したいの?



 タキが傍にいる時だけ、私はこの世界で安心して眠ることが出来る。その恩返しという訳では無いけれど私はいつ彼に食べられても良いと思っている。

 我が儘を言わせて貰えば、なるべくなら苦しくなくて出来るだけ痛くない方法でお願いします。

 あ、心の準備をする時間を少し貰えれば嬉しいかな。

 あ、あと、最後に軽ーくキスなんてしてくれちゃったりしちゃったら、もう思い残す事は無いよ!


 私は、私が永遠に眠れるその日まで貴方と一緒にいられれば、それで良いんだ。

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