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名探偵・桜野美海子と天国と地獄  作者: 凛野冥
二日目 五月三〇日(木)
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31/48

8「名探偵のジレンマ」

    8


「抜け穴の他に、屋敷の中から〈子どもの聖域〉に入る方法はない……総一郎さんはそう云っていたけど、本当かな? 秘密の通路があるんじゃないのか?」

 借りている部屋のソファーに座って、僕はずっと頭を悩ませていた。

「ミステリ作家が自分の屋敷を建てるとなったら、そういうものを設計しそうじゃないか。それこそお前が云っていたロマンってやつで」

「その秘密の通路を、この()に及んで私達に隠してるってこと?」

 桜野はベッドの上でベーグルを頬張っている。

「ああ……」と答える僕の声からは、早くも自信が失われている。そりゃそうだ。既に四人もの人間が殺害されている事件で、その謎に大きく関わる情報を秘匿(ひとく)しているとしたら、よほどの事情がなければならない。趣味でつくった秘密の通路なら、とっくに白状していてもらわないと困る。それとも総一郎さんが犯人と共犯関係にあるか、他に犯人を(かば)うような理由を持っているのだろうか? 桜野と僕に調査を依頼しておきながら?

 僕はそこで、天地邸を訪れる前に桜野が云っていたことを思い出す。

『依頼人が必ずしも味方ではないことを、塚場くんもそろそろ学んできたころじゃない?』

 そうだった。

 理由は判らないけれど、きっとそういうことだ。そうとでも考えなければ、説明がつけられない。だからこそ僕の思考は堂々巡りに陥っているのだ。

 恵ちゃんが撮影してくれた〈子どもの聖域〉内部の映像。

 その中で豊さんは、解体なんてされていなかった。

 五体満足のまま死んでいたのである。

 口頭で報告を聞いたときには信じられなかったし、実際の映像を見たときには目を疑った。理解できなかった。今もこうして解釈に苦しんでいる。

 死体は抜け穴を出てすぐの廊下に倒れていた。仮面はつけておらず、浴衣もタイツも手袋も脱がされて、下着しか身に着けていなかった。耕大さんや久保田さんみたく焼き殺されてはいない。顔面を含め全身が火傷痕に覆われていたが、それは直近のものではなかった。彼がその身を炎に包まれたのは六年前の出来事だ。

 桜野と僕は、仮面やタイツの下に隠れていたその生身の姿を初めて見た。しかし総一郎さんと恵ちゃんが、死体は豊さんで間違いないと云った。〈家族〉であれば全身火傷を負った後の素顔も知っている。特に総一郎さんは、普段から彼の入浴や着替えを手伝っていたのだから。

 映像であっても、その身体が抜け穴を通り抜けられないサイズであることは判った。車椅子に座っていたときの印象と同じだ。身体は痩せ細っているけれど、背丈は僕と同じか、それより少し高いくらいだろう。

 仮面や衣服、それに車椅子は〈聖域〉では発見されなかった。

 恵ちゃんは抜け穴を入ってから出てくるまで、内部を隈なく調べて回りながら、ずっと撮影を続けた。おかげで僕らも詳しく内部の様子を知ることができた。

 前に総一郎さんが話していたとおり、部屋は二つ。それからトイレと洗面所がある。どの場所もサッパリと片付いている――と云うより、もはや殺風景だった。家具や調度は、桜野と僕が使っている空き部屋よりも少ない。テーブルやベッドの上、あるいは床に物が散乱しているようなこともない。

 もっと色んな品々が雑多に溢れ返っているのかと思っていたが……子どもの冒険と秘密を叶える聖域……恵ちゃんはそれを本当に活用していたのだろうか?

 片付いてはいても、掃除が行き届いているのとは違う。テーブルや棚が埃を被っているのが判ったし、恵ちゃんも映像の中で何度か咳をした。片方の部屋には掃除機が転がっていたけれど、あまり使われていないようだ。

 カーテンを開けて確認した窓はどれも割れておらず、外から土砂で塞がっていた。中から施錠もされていた。やはり抜け穴の他に出入りできそうな箇所はない。そして、豊さんの死体以外に、何者かが潜んでいるということもなかった。その痕跡らしき物も見当たらなかった。

 秘密の通路でもなければ、豊さんの死体は、どうやって中に入れられたのだろう?

 さらに、もうひとつの疑問。

 焼き殺されたのでなければ、なぜ死んだのだろう?

 死後あまり時間が経っている様子ではなかった。全身火傷のせいで肌の色はよく判らないものの、まだ腐敗していないし、異臭も酷くない。〈聖域〉のすぐ外にいる僕らには嗅ぎ取れない程度だ。恵ちゃんが触れて確かめたところ、身体は冷たく、手足が固くなっていたと云う。死後硬直だろう。脈はないし、呼吸は止まっていて、半開きになった(まぶた)の奥の眼球は濁りきっていた。目立った外傷はないが、口から泡を吹いていた。

 おそらく毒殺ではないかと、僕らは推定している。

〈天国と地獄の処刑人〉は耕大さんを焼き殺した際に『罪人は業火に焼かれなければならない』というメッセージを残した。しかし既に全身を炎に焼かれたことがある豊さんだから、改めて焼くことはしなかったのだろうか。それとも、今後は手段を選ばずに殺していくつもりだろうか。そもそも最初に殺された拓也さんは撲殺だった。

 ともかく、僕らは毒殺にも警戒しなければならない。満代さんが部屋に閉じこもってしまったこともあり、食事は各自で摂るという方針に改められた。いま桜野が食べているのも、未開封のまま冷凍されていたベーグルを自分で焼いたものだ。

 他にも水や食糧を部屋に持ち込んであるが、僕は食欲が湧かない。思考の迷宮を彷徨(さまよ)い続けて、頭も身体もぐったりと重くなっている。こんなとき、やはり頼りたくなってしまうのは、僕がその活躍をずっと見てきた若き名探偵である。

「桜野……まだ解けないのか?」

 問い掛けると、彼女は振り向かないまま「何が?」と訊き返してきた。

「この事件の謎だよ。もう四人も殺されてるんだぞ」

 今から謎が解けたところで、既に勝利とは云えない状況だ。多くの犠牲者を出してしまった。拓也さん、耕大さん、久保田さん、豊さん……みんな男性だけれど、関係あるだろうか? 男で生きているのは僕ひとりじゃないか。

「そうだね。そろそろ良いかも知れない」

 桜野は手に持っていたベーグルの最後の欠片(かけら)を口に入れると、ベッドを下りた。

 そして口をもぐもぐさせながら扉の方へ向かっていく。

「どこに行くんだ?」

「耕大さんの部屋だよ」

 開錠し扉を開けて廊下に出る。急に行動的になって、どうしたのだろう。判らないけれど僕も慌ててその後に続いた。念のためゴルフクラブも携行する。久保田さんはこれを持っていても殺されてしまったわけだが……。

 桜野は怯えることなく廊下を進んでいく。その背中に向かって訊ねてみる。

「犯人は、僕達のことも標的にすると思うか?」

 答えは返ってこない。はぐらかすことはあっても、無視は珍しい。

 何か、思考を集中しているのだろうか?

 彼女は廊下を何度か曲がり耕大さんの部屋に到着すると、躊躇なく扉を開けて中に入った。室内には昨日のにおいが残っていて、鼻を塞ぎたくなる。耕大さんの焼死体もそのままだ。僕はそれを視界の端に捉えつつも直視は避ける。

「塚場くん、手伝ってくれる?」

「何をするんだ」

「マットレスを持ち上げてほしい。昨日は熱くて触れなかったけど、もう平気でしょ」

「ああ……そういうこと」

 さっきの『そろそろ良いかも知れない』という呟きの意味が判った。

 ベッドは、ヘッドボード付きの立派な代物(しろもの)だったようだ。しかし木製だったので全体が焼け焦げて崩れ、今では原型が辛うじて判る程度である。その上に、同じく焼けてボロボロになったマットレスが乗っている。被せてあったシーツはほとんど残っていない。

 そしてマットレスの上には、耕大さんの下半身が乗っている。マットレスを持ち上げるには死体を床に下ろさないといけないが、桜野は「構わないでしょ。拓也さんの死体だって階段から部屋に移動させたんだから」と云い、僕の心理的な抵抗感は考慮してくれなかった。まあ我儘(わがまま)は云っていられない。

 僕は死体をなるべく丁寧に床に下ろし、それからマットレスを持ち上げた。マットレスは裏側も焼けていて、驚くほど軽くなっていた。

 桜野はその下を覗き込むと、手を伸ばして何かを拾い上げた。

「下ろしていいよ。ほら、これを見てごらん」

 それはターボライターの残骸だった。

「火を点けた道具か。でも、どうしてマットレスの下に?」

「着眼すべき点は他にもある。久保田さんのときはマッチを使ったのに、どうして耕大さんはライターなんだろうね?」

「えーっと……」

 少し考えてみたけれど判らない。気まぐれじゃないのだろうか? それか一本しかないライターを耕大さんに使ってしまったので、次からマッチに切り替えたとか。

 僕が答えられないでいると、

「稚拙だなぁ」と、桜野は独り言みたく呟いた。

 聞き間違いではない。彼女は昨日もそう云っていた。

 何が稚拙なんだ? ライターの件を上手く説明できない僕のことか? いや、それを稚拙とは表現しないだろう。文脈に合っていない。

 彼女の目には、何が見えているんだ?

「ねえ塚場くん」

「うん?」

「犯人が私達を標的にするかって、さっき訊いていたよね」

「ああ、訊いた」

「安心していいよ。この犯人は私達のことは殺さない」

 桜野は断言した。彼女が途中段階の推理を喋ることはない。なのに、そんな重要な内容を断言したということは……もしかして!

 もしかして彼女は、推理を完成させたのか?

 訊ねようとしたところで、先に彼女が「ただし」と言葉を継ぐ。

「それは私達が謎を解かないで、大人しくしていたらの話だ」

「え?」

「犯人の邪魔さえしなければ、殺されないということだよ。標的にされてしまったら、私達に生存の望みはないだろう。この事件は普段とは違う。此処はクローズド・サークルだ。私達はどこにも逃げられないし、自分の身は自分で守らないといけない。まさか塚場くん、理解してなかったの?」

 呆れた様子でも、驚いた様子でもない。

 桜野は平然としている。平然として、僕に質問を重ねる。

「謎を解いて殺されるのと、解かないで生き残るの、どっちが良いと思う?」

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