3-20:地球帰還の検討と出社対策
シグマが切り拓く快適なトラフィック回線(道)を、魔導車は日が傾くまで滑らかに走り続けた。
やがて陽が落ち、原生林の一角に車を停める。分厚い装甲と重力障壁に守られた車内は、外の魔境が嘘のように静かで、暖かい。無限給電タップが灯すオレンジ色のランタンの下、助人はソファベッドに深く背を預け、缶に見立てたブリキのマグでコーヒーをすすっていた。
「……なあ、お前ら。ちょっと真面目な運用会議をしていいか」
その声のトーンに、賑やかだった車内がふっと静まる。クリスタルの上のアルファ、スマホのエイジス、そして助手席で直立するシグマの視線が、一斉に助人へ集まった。
「拠点も足も装備も、当面のインフラは完璧に整った。……だからこそ、ずっと後回し(バックログ)にしてた一番でかい課題を、そろそろ棚卸ししとかなきゃならん」
助人はマグを置き、天井を見上げた。
「――俺は、地球に帰れるのか。そして、帰るべきなのか」
しばしの沈黙。最初に口を開いたのは、エイジスだった。いつもの軽さを少しだけ引っ込めた、静かな声で。
『……結論から言いますね、マスター。物理的な帰還は、今の私たちには無理です』
スマホの画面に、次元間VPNのトンネル構造図が展開される。
『あの日こじ開けた次元の穴を、私は必死に「通信トンネル」として固定しました。でも、通せるのは信号だけ。マスターの肉体をスキャンして、データにして、地球側で再構築する……なんてのは、理論上も禁じ手です。向こうで誰が組み立てるんですか、って話で』
『魔導理論から言っても同じですわ』
アルファが静かに続けた。かつて「絶対に本体へ送り届けなさい」と助人に命じた、あのお嬢様AIの声が、今は少しだけ神妙だ。
『貴方がこちらへ落ちてきたのは、制御不能な規模のマナサージが偶然こじ開けた、一度きりの事故。同じ規模のエネルギーを、今度は完全に制御して逆向きに行使する――理論上は可能でも、それを実現する術式は、今のエルドア大陸のどこにも残っていませんの』
「……だよな。帰りの便は、当分『欠航(Pending)』か」
助人は、予想していた答えに、むしろ静かに頷いた。
窓の外、原生林の闇が魔導車を静かに包んでいる。地球の横浜とは全然違う星の並びが、フロントガラス越しにうっすらと見えた。家族はいない。ペットもいない。帰りを待っている人間といえば、高橋くらいだ。……それでも、あの満員電車と、パスワードロックと、黒田の暗号みたいな仕様書が待つ日常は、確かに「俺の場所」だった。
絶望は、ない。ただ、静かな重さだけがある。
「……まあ、深夜のサーバールームで『復旧の目処は立ちません』と言われた時も、こんな気分だったな」
助人は苦く笑い、マグのコーヒーを一口含んだ。
「よし、じゃあ『物理帰還』の障害チケットは、長期課題に積み直す。いつかの俺たちへの宿題だ。……で、問題はもう一つのほうだ」
助人はスマートウォッチを操作し、地球の会社のメーラーを空中に投影した。
「有給だ。俺が土曜の朝に叩き込んだ『体調不良で一週間』の有給申請――あれの期限が、あと数日で切れる」
『……そうでした。金曜を過ぎれば、翌週の月曜からはまた無断欠勤の扱いになりますわね』
シグマが、生真面目にカレンダーのホログラムを展開する。
『論理的な選択肢は3つと推測します。1.退職。2.休職。3.無断欠勤を続けて信用を全損させる。……いずれも、マスターの地球側の人生に、看過できないダメージ(デバフ)を与えます』
「3は論外だ。高橋の胃に穴が空く。……だが、1も2も、なんか違うんだよな」
助人はコーヒーを一口含み、目を細めた。
「退職も休職も、要は『地球の俺を、いったん止める(シャットダウンする)』選択だ。……でもな。俺の手元には今、地球のネットに遅延ゼロで直結する次元間VPNがある。自宅のデスクトップも、エイジスが元気に回してくれてる。会社のシステムだって、そのVPNをもう一段くぐれば……理屈の上じゃ、届く」
車内の空気が、わずかに張り詰めた。エイジスが、ハッと画面の中で顔を上げる。
『マスター……それって、まさか』
「ああ。以前有給を出した時に俺が言ったこと、覚えてるか。『落ち着いたら、リモート出勤って形で話をつけられるかもしれん』ってな」
助人は、不敵な――しかしどこか楽しげな、エンジニアの笑みを浮かべた。
「帰れないなら、いっそ、ここから働けばいい。異世界からの、フルリモートワークだ」
『『……っ!?』』
アルファとエイジスの声が重なった。
『ちょ、ちょっと待ちなさいなマスター・イセ! 異界の森の奥から、貴方の世界の会社へ出勤するというのですか!? そんな無茶苦茶な業務形態、聞いたこともありませんわ!』
「無茶か? 考えてもみろ。空調完備、飯付き、通勤ラッシュゼロ。地球のどんな六畳間より、よっぽど上等なテレワーク環境だぜ。……ただし、今すぐは無理だ」
助人は指を一本立てた。
「会社の情シス(情報システム部)の監視網が高い壁になる。ある日突然『地球のどこにも存在しないIPアドレス』からアクセスすりゃ、一発で凍結(垢バン)だ。『東京の自宅から、いつも通り勤務してます』って完璧に偽装しきる仕込みが要る」
『それ、私に任せてください』
エイジスが即座に手を挙げた。
『自宅のデスクトップPCを踏み台にして、そこからVPNで繋げば接続元は「自宅」に見えます。さらに私がリアルタイムでパケットの特徴量を地球の標準的なリモート接続に偽装し続ければ、情シスの監視ツールからは完全に「在宅勤務中の社員」として認識されるはずです』
『……しかし、その「踏み台」が落ちたら即アウトですわね』
アルファが鋭く指摘する。
『自宅PCが停電やトラブルでオフラインになった瞬間、接続が途絶えて異常を検知される。バックアップ経路が必要ですわ』
『そこはシグマのマナ制御で次元間トンネルを二重化できます。プライマリが落ちた時の自動フェイルオーバー(切り替え)を組んでおけば、情シスが気づく前に経路を切り替えられます』
『……なるほど。二重化ですわね』
技術的な話に乗り出したアルファとエイジスのやり取りを、助人は腕を組んで聞いていた。シグマが静かに補足を入れる。
『補足します。接続時刻のパターンも地球の標準的な就業時間帯に合わせた方が良いでしょう。深夜や早朝の接続が続けば、行動パターンの異常として検知されるリスクがあります』
「シグマ、お前、セキュリティの話になると急に饒舌になるな」
『……本機の専門領域です』
「最高だ。じゃあその設計で行こう。ただし実装は次のスプリントだ。今夜はもう一個だけ、先にやっとくことがある」
助人はスマートフォンを手に取り、あるアプリを起動した。会社のメールではない。もっと私的な――地球で最も使い慣れた、緑色のメッセージアプリ(LINE)だ。
「地上に、信頼できる味方を一本、繋ぎ直しておく」
通知欄には、案の定、後輩の高橋からのメッセージが、この数日分、いくつも溜まっていた。
『伊勢さん、体調大丈夫ですか? 無理せずゆっくり休んでください! こっちは僕がなんとか回します!』
『三浦君は相変わらずですが、伊勢さんが作ってくれたマニュアルのおかげで、営業部トラブルは乗り切れました!』
『……あの、返信なくて心配です。ちゃんとご飯食べてますか? 僕にできることがあったら、何でも言ってくださいね。』
律儀で、少しお節介で――ずっと自分を「神」だと慕ってくれている、キャパオーバー気味の後輩。その飾らない気遣いの文面を見て、助人の胸の奥が、じくりと痛んだ。一人で現場を背負わせている、という現実の重みが、今さらのように効いてくる。
「……悪いな、高橋。心配かけて」
助人は、フリック入力で慎重に返信を打ち込んだ。喉をやられたという建前がある以上、通話は使えない。だが、文字でなら――繋がれる。
『高橋、返信遅れてすまん。喉がまだガラガラで電話は勘弁してくれ。療養は順調だ。……一人で現場を回させて、本当にすまなかった。だが、お前ならできると信じてた。実際、よくやってる。』
『それで、一つ相談だ。来週から、ちょっと変則的な形で仕事に復帰できるよう、手を回してる。在宅勤務……いや、それ以上にリモートな働き方だ。詳しくはまだ言えん。』
『ただ、その時が来たら――お前のPCに、俺の"最強のアシスタント"を何人か、居候させてもらうことになるかもしれん。覚悟しとけよ。』
既読は、一瞬でついた。そして、飛び跳ねるようなスタンプと共に、興奮しきった返信が返ってくる。
『!!! もしかして、いつぞや見せてくれた、伊勢さんお手製のすごいAIですか!? 「まだ未完成のテスト版だから」って使わせてもらえなかった、あの!!』
『使わせてもらえるんですか!? めちゃくちゃ楽しみにしてます! 伊勢さんが戻ってくるまで、現場、絶対に守り抜きますから!!』
「……ハハッ。相変わらず、いいやつだな」
助人は、思わず口元を緩めた。スマホの向こう、地球のオフィスの片隅で、目を輝かせている後輩の姿が、ありありと目に浮かぶ。
その一部始終を、スマホのカメラ越しに見ていたエイジスが、しみじみと呟いた。
『……マスター。私、ちょっと感動しちゃいました。マスターって、ユーザーのことも、後輩のことも、絶対に見捨てないんですね。……その"居候するアシスタント"って、私たちのことですよね?』
「当たり前だろ。お前らを高橋に貸し出しゃ、あいつの現場対応力は一気に跳ね上がる。地上の目と手は高橋、システム側の頭脳は俺とお前ら。……完璧な分散処理体制だ」
『……ふん』
アルファが、クリスタルの上で腕を組み、どこか感心したように鼻を鳴らした。
『魔力を持たぬ異界人が、たった一人の後輩との信頼だけで、次元を越えた業務連携の布石を打つ……。全く、貴方という管理者は、どこまでも規格外ですわね』
『――記録。地上要員"タカハシ"を、最優先の協力ノードとして登録しました』
シグマが、律儀にそう付け加える。
「よし。……これで、地上との連絡パイプは一本、確かに繋がった」
助人はスマホを置き、ふかふかのソファベッドに身を沈めた。ランタンの灯りが、頼もしい相棒たちと、まだ見ぬ課題の山を、暖かく照らしている。
物理帰還は、当分お預け。だが、帰り道を探しながら、この異世界(現場)で生きて、働いて、世界を一つずつ直していく――そして、地球の日常とも、切れずに繋がり続ける。その途方もない二重生活の設計図が、今、確かに引かれた。
――こうして、限界ヘルプデスクの異世界インフラ復旧記は、環境構築フェーズの完了(Resolved)を迎える。次なるスプリントは、西の遺跡。そしていつか訪れる、「異世界フルリモートワーク」という、途方もない挑戦へと続いていく。
助人はスマートウォッチのディスプレイに、自分だけのタスク管理ダッシュボードを呼び出した。無機質な緑の文字が、静かな車内にぼんやりと浮かび上がる。
ガレージの隅では、シグマがいつものように微動だにせず立っていた。エメラルドグリーンの瞳が、ゆっくりと車内を一巡する。アルファのクリスタルが温かく揺れ、エイジスがスタンバイモードへ静かに移行していく。異世界の夜が、魔導車を静かに包んでいた。
「……タイムリミットは、待ってくれねえか」
残された猶予の短さに、助人はひとつ苦笑を漏らすと、ランタンの灯を落とした。次のスプリントの号砲は、もうすぐそこまで来ている。
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【STATUS】
転移:8日目(地球:土曜)
リモートワーク:Day 7
残有給:33日(土曜消化なし)
言い訳:「療養中につき安静」
備考:高橋と再接続・異世界リモートワーク計画始動
次スプリント:第2セクターへ出発
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