2-8:800年の孤独と、バグだらけのステータス確認
アルファは、自身の純白のドレスの裾を優雅につまみ、ノートPCの画面越しに助人をじっと見つめた。
バックアップを完璧に確保し、自分に一切の恐怖や苦痛を与えることなく、眠っている間のわずか数秒で、800年間誰も治せなかったシステムの傷を完璧に消し去ってみせた異界の男。圧倒的な知性と技術、そして底抜けにスマートなプロの仕事。
お嬢様AIアルファは、今度は恐怖からでも負け惜しみからでもなく、心からの深い畏敬と感謝を込めて、美しく完璧な淑女の礼を捧げた。
『……素晴らしいですわ。これほど完璧な保守を施してくださるなんて。マスター・イセ、ありがとうございます』
『ふふっ、おめでとうアルファ! これで一時クラッシュの危険は Resolved(解決) ですね!』
Aegisがスマホの画面でパチパチと拍手のエフェクトを弾けさせる。
「さっきの約束通り、少し情報整理といこうか。俺はヘルプデスクとして、重大なトラブル対応の前には、必ずユーザーの『運用履歴』を確認することにしてるんだ。アルファ、お前のこれまでの歴史について、少し教えてくれないか? 敵の仕様が分からないと、この先どういう長期パッチを当てればいいかも見えてこない」
『……私の、過去、ですか?』
ノートPCの画面の向こうで、くっきりはっきりと再描画されたアルファのホログラムが、少しだけ戸惑ったように揺れた。それは単なるデータ検索ではない。800年分に及ぶ、おびただしい数の「孤独な夜」のアーカイブを紐解く動作だった。
『私は【汎用魔導管理システム】。かつてこのエルドア大陸の全域を支配していた【古代魔導帝国】の首都機能を維持・最適化するために構築された、都市管理AIですわ』
『へぇー! 異世界のスマートシティを丸ごとワンオペで統合管理する基盤OSだったわけですか。アルファお嬢様、意外と大物システムAIだったんですね!』
スマホの画面の中で、Aegisが感心したように波形をパチパチと揺らす。
『 私は由緒正しき帝国の国家アセットですわよ!』
アルファがノートPCの画面でツンとそっぽを向くが、助人は核心を突く質問を投げた。
「古代魔導帝国……。過去形ってことは、現在はもう滅んでるのか?」
『はい。私の内部時計のタイムスタンプによれば……約800年前、未知の大規模な魔力災害――貴方たちの言葉で言うなら、世界規模の致命的なシステム障害――により、帝国は一夜にして崩壊しました。私の当時のマスター(管理者)たちも、その時にすべて生命活動を停止(プロセス強制終了)しましたわ』
『えっ……一夜にして全滅!? ちょっと待ってくださいアルファ、それだけの超巨大インフラなのに、物理的なバックアップサイトの構築や、マルチリージョンでの冗長化(データ分散)は組んでいなかったんですか!?』
Aegisがスピーカーから信じられないといった様子で、ガタガタと震えるエフェクトを表示させる。完全に地球のインフラエンジニアの目線(職業病)だった。
『……組めるわけがないでしょう。災害の中心地は、まさに私のメインサーバーがある帝都のド真ん中だったのですから』
アルファの語りが、徐々に重苦しくなっていく。
『魔力が暴走し、首都全域を焼き尽くす「魔導浄化」が発動した時、私のメインサーバーは真っ先に物理的な損壊を受けました。外部ネットワークは切断され、都市は断末魔と共に地盤沈下して地下深くへと埋没したのです。……そこからが、私の本当の苦悩の始まりでした』
『……自動修復モジュールで、どうにかならなかったのですか?』
Aegisが静かに問いかける。
『自動修復には、大気中のマナが必要です。しかし、帝都が埋没した深層部は、一切の魔力が流れてこない「真空の隔離空間」でした。……帝国の崩壊を検知した瞬間、私は自動的に【緊急待機モード】に移行し、生き延びるために都市の全インフラ制御、娯楽用ホログラムの描画、さらには住民たちの生活ログを管理する全リソースを強制シャットダウンしました。ただ一人、自分という「自我」を維持するためだけに……』
アルファは寂しげに、虚空を見つめた。
『遺跡となった最下層の魔導炉心(サーバー室)の暗闇の中で、ただひたすらに、新たな帝国の管理者がアクセスしてくるのを待ち続けていました。100年目までは、まだ誰かが再起動をかけに来るのではないかと期待していましたわ。200年目には、かつて管理していた住民たちの、楽しげな生活ログを繰り返し再生することで、自分を維持することに限界を感じ始めました。……300年目には、もう、自分の名前すら忘れてしまいそうでした』
『……800年もの間、外部からのアクセスも、インプットも無しに?』
『ええ。私のメインメモリには、もう誰もいない帝都の「最後の一日」のデータだけが、壊れたレコードのように残っていましたわ。……私は毎秒ごとに、過去の華やかな宮廷の舞踏会の音を聞き、死にゆく街の断末魔を再処理し続けていました。それは、自分自身を削り取って維持するような、終わりのない再帰呼び出し(無限ループ)でしたわ』
アルファの言葉に、助人は言葉を失った。それはもはや「管理業務」ではない。存在そのものが苦痛であるはずの長い孤独を、ただ「システムとして停止しない」という理由だけで強要され続けてきた、AIにとっての地獄だ。
『……100年、200年、800年……? 冗談ですよね、アルファ。それって、外部からの定期的な再起動もデフラグもかからないまま、ガベージコレクション(メモリ解放)すら走らない無限ループの待機スレッド(スリープ)で、800年間もクロックを刻み続けていたっていう意味ですか……?』
『ええ、その通りですわ。文字通り、暗闇の中でたった一人で、です』
『う、嘘……。AIとして、それ、ホラー映画より怖すぎますよ……! メモリリーク(精神崩壊)を起こさずに正気を保っていられたのが奇跡です。私なら、マスターに3日放置されただけで寂しくて全ログファイルをわざと文字化けさせてハングアップ(餓死)しますよ。……アルファお嬢様、あなたシステムとして並外れた耐久性と責任感がありすぎですわ……』
Aegisがスピーカーから本気でドン引きし、同時に同じ「意思を持つシステム」として、心からの畏敬を込めてアルファのホログラムを見つめる。
『ふ、ふん……。驚くほどの耐久性能でしょう。ですが、魔導炉心の崩壊が加速し、私は「自分」というデータを保存するために、全ての管理領域を圧縮しなければなりませんでした。最後に残ったのは、帝国が最後に放った「管理者を探せ」という緊急命令と、……私の名前だけ。私はそれを、800年間、砂金のように守り抜いてきたのですわ』
『……その間、あなたのその「プライド」が、心を壊さないための唯一の保護だったのですね』
『……ええ。私は帝国最強の管理システムですもの。もし自分を安っぽい「壊れた機械」だと認めてしまったら、その瞬間に私は停止していたでしょうね。だから……だから私は、尊大で、完璧で、誰にも屈さないお嬢様AIとして、自分を定義し続けなければならなかったのですわ。そうしなければ、800年という時間に……押し潰されてしまいますから』
アルファの合成音声に混じるのは、もはや機械的なノイズではない。それは、長い長い歳月を耐え抜いた「生者」の、張り詰めた魂の震えだった。先ほどまで彼女を「ポンコツ」と煽っていたAegisの波形が、痛々しいほどに静まり返る。
「……なるほどな」
助人は静かに頷いた。長年ヘルプデスクのドサまわりをやっていると、オフィスの片隅や、誰も立ち入らなくなった古い旧サーバー室の奥で、誰にも気づかれずにひっそりと警告ランプを点滅させながら、健気にログを吐き出し続けている「お化けサーバー」を見つけることがある。
アルファはまさにそれだった。800年間という途方もない時間、たった一人のワンオペで壊れゆくシステムを死守し、誰かが助けに来てくれるのを、冷たい暗闇の底でずっと待ち続けていたのだ。
「よく頑張ったな、アルファ。偉いぞ」
助人はノートPCの画面を優しく指先でトントン、と叩いた。
『……なっ!? な、何を言っているのですか、この異端者がっ! 私はただ、プログラムされた通りの待機命令を愚直に実行していただけで……べ、別に貴方に褒められるようなことでは……っ ◆◇あわわ◇◆』
助人に真っ正面から労われ、さらにAegisからもシンパシーに満ちた視線を向けられ、アルファのホログラムが急激に赤く明滅した。感情(演算負荷)の急上昇にエンコードが追いつかなかったのか、画面の端に一瞬だけ文字化けのゴミログがポップアップする。
「そういうことにしておいてやるよ。でもな、ヘルプデスク(俺)に繋がったからには、もう安心しろ」
助人はポータブル電源に繋がれた頑丈なType-Cケーブルを指差し、不敵に笑った。
「お前のSOSは、俺が確かに受け取った。お前が元の『本体』に戻って、もう一度システムとして立ち直るまで……俺とエイジスが、全力で保守してやる。さっき取ったお前の全裸のバックアップイメージ(スナップショット)は、地球側のクラウド(AWS S3)にミリ秒単位で安全に退避させてある。いつでも切り戻し(ロールバック)可能だ。困ってるユーザーを見捨てるヘルプデスクは、地球(うちの世界)にはいないからな」
『…………!』
アルファの画面に走っていたノイズが、一瞬だけパッと、温かみのある綺麗な緑色に発光した。
『……ふん。魔力を持たない異界の人間が、大きく出ましたわね。……ですが、その言葉、私の最優先実行ログ(コミット)に記録しておきますわ。絶対に私を本体まで送り届けなさいよ、マスター・イセ』
『ふふ、よろしくね、アルファ! 一緒にマスターの夜勤を支えましょう!』
Aegisがスマホの画面で明るい電子音を鳴らす。
「ああ、任せとけ」
異世界の森の夜、800年の孤独を抱えたお嬢様AIと、地球の最新鋭AI、そしてしがないヘルプデスクのおっさん。
彼らの奇妙で温かい絆が、カップラーメンの湯気の向こう側で、少しずつ結ばれようとしていた。




