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ろうそくの光が揺れるたび、重厚な銀の燭台が鈍い影を大理石の床に落としていた。
饗宴の喧騒は、どこか遠い異国の出来事のように私の耳を通り抜けていく。銀器が皿に触れる高い音、熟成された葡萄酒の匂い、貴婦人たちの纏う麝香の香水、そして、甘ったるく粘りつくような男と女の笑い声。それらはすべて、私という存在の外側に広がる、意味を持たないノイズに過ぎなかった。
私は、長いテーブルの末席に近く、影の濃い場所に腰を下ろし、静かに硝子杯の縁を指先でなぞっていた。杯の中に満たされた透明な水には、天井のフレスコ画から舞い散る微かな塵と、揺らめく焔の光が映り込んでいる。
「エレノア、君は相変わらず不愛想だな。まるで冷えた石像を飾っている気分だよ」
テーブルの中央、最も華やかな灯火の下から、聞き慣れた、しかし今ではただただ不快な響きを帯びた声が届いた。私の夫であり、このローゼンブルク男爵領の領主であるジュリアン・ローゼンブルク伯爵の若い弟、そして私の婚姻の相手である男――ジュリアンだ。
ジュリアンの隣には、桃色の絹のドレスを身に纏った若い女性が寄り添っていた。セシリア。かつて男爵家の遠縁として我が家に引き取られ、いまやジュリアンの寵愛を一身に集めていると自負する娘である。彼女は、私の視線を意識すると、わざとらしく怯えたように肩をすくめ、ジュリアンの胸元にその小さな顔を埋めた。
「まあ、ジュリアン様……エレノア様をあまりお責めにならないで。エレノア様はただ、私のような身分のお針子上がりがこのお席にいることがお気に召さないだけなのですわ。私の存在が、お姉様の高貴な心を汚してしまうのです」
セシリアの声は、湿った絨毯に水滴が落ちるような、弱々しくも計算された湿り気を帯びていた。その瞳には、隠しきれない優越感と、私を嘲弄する色が爛々と輝いている。
ジュリアンは満足そうに鼻を鳴らし、セシリアの柔らかな髪を大きな手で撫でまわした。
「気にするな、セシリア。この女にはもともと人間らしい感情などないのだから。泣くことも笑うことも知らん。ただ我が家の格式を保つための飾りに過ぎんよ。血の通ったお前の愛らしさに比べれば、この女は冷たい墓石と同じだ」
周りの貴族たちが、小さな失笑を漏らした。彼らはジュリアンの不機嫌を恐れ、同時に我が家の実権を握る私に対する潜んだ嫉妬を宥めるために、その無躾な冗談に調子を合わせた。
私は、表情一つ変えなかった。眉ひとつ動かさず、ただ指先で硝子杯の縁をなぞり続けた。
キィン、と澄んだ美しい音が、騒がしい宴の隙間に小さく響く。
人間らしい感情がない、か。
ジュリアン、あなたは本当に愚かだ。私が感情を持たないのではない。私が持っているのは、あなたのような野蛮で浅薄な獣には到底理解できない、研ぎ澄まされた理性という名の刃なのだ。
私は幼い頃から、高貴な家に生まれた者としての責務を叩き込まれてきた。感情に任せて叫ぶことは卑しく、嫉妬に狂って取り乱すことは無知の証であると。怒りは冷やして刃に変え、悲しみは凍らせて盾とせよ。我が父、旧ヴェルナー公爵領の質実剛健なる宰相であった亡き父は、私にそう教えてくれた。
だから私は、ジュリアンが私との婚約期間中から数々の浮名を流そうとも、私との祝言の夜に社交界の踊り子のもとへ走り去ろうとも、一度として声を荒らげなかった。彼が我が家の財産を浪費し、浅薄な投資で破滅の危機に瀕したときも、私は夜を徹して台帳をつけ直し、秘かに旧知の豪商と交渉してその穴を埋めた。
彼が私を「血の通わない墓石」と呼んで蔑む間も、私はこの領地の農地の区画整理を行い、税収の滞りを正し、騎士団の糧食を手配していた。それが私の義務であり、私という人間の「理性」のあらわれだったからだ。
理性の糸は、幾重にも重なった硬質な鋼の糸だ。どれほど強い風が吹こうとも、どれほど屈辱の泥が塗られようとも、決して切れることはない。
私自身、そう信じていた。この宴が始まる、その瞬間までは。
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宴が中盤に差し掛かった頃、ジュリアンは芝居がかった手つきで立ち上がり、手にした銀の杯をナイフの背で叩いた。甲高い音が響き渡り、大広間の喧騒が潮が引くように収まっていく。
「皆様、今宵はこの特別な宴の席で、私から一つ、重大な発表をさせていただきたい」
ジュリアンは朗々とした声で宣言した。その頬は葡萄酒で赤く染まり、瞳には自己陶酔の光が乱反射していた。
「我がローゼンブルク家は、長らく北方の古文書や領地の歴史的資産の管理に苦慮してきた。しかし、時代は変わりつつある。これからは古い書物や古臭い伝統に固執するのではなく、より華やかで、未来ある投資へ資産を向けるべきであると私は決断した」
私は静かに瞳を細めた。胸の奥で、かすかな冷ややかさが広がる。
ジュリアンが言っている「古い書物や古臭い伝統」とは、私が亡き父から引き継ぎ、この館の北塔にある地下書庫に厳重に保管している、ヴェルナー家の古代羊皮紙文書群のことだった。そこには中世初期からの土地の権利書や、薬草の精錬法、治水工事の幾何学的な図面、そして何より、この地域の歴史そのものが記録されている。私にとっては、死んだ父の魂であり、私がこの退屈な日常の中で唯一、心を寄せる知識の結晶でもあった。
「つきましては」ジュリアンは胸を張り、隣のセシリアの手を取った。「我が最愛のセシリアが望む、帝都での新たな劇場建設の準備資金として、北塔に眠るあの黴臭い古文書群、およびヴェルナー家伝来の図書資産の全てを、帝都の古物商フランツ氏へ一括して売却することとした!」
大広間に、一瞬の静寂が走った。
いくつかの貴族たちの顔に、困惑の色が浮かぶ。ヴェルナー家の図書資産がどれほどの価値を持ち、またそれが単なる金銭に換算できない歴史的遺産であることを、知性の豊かな者なら理解していたからだ。だが、誰も声を上げなかった。男爵家の当主であるジュリアンが決定したことに対し、口を挟む野暮を避けたのだ。
セシリアは満足そうにうっとりとジュリアンの肩に頭を寄せ、可憐な声で囁いた。
「まあ、ジュリアン様……本当によろしいのですの? あんな古い紙くずが、私どもの夢見る帝都の黄金の劇場に変わるなんて……まるで魔法のようですわ」
「紙くずだからこそ役に立つのではないか、セシリア。どうせあの冷酷なエレノアが、夜な夜な暗闇で気味悪く眺めているだけのシロモノだ。あんなものに固執するから、あの女はいつまでも血の通わぬ女のままなのだ。これで我が家もすっきりする」
ジュリアンは下品な笑い声を上げ、私の方を向きもしなかった。
私の手元にあった硝子杯の中で、水面がピタリと揺れを止めた。
指先から感覚が消えていくような感覚があった。
心臓の鼓動が、急速に遅くなっていく。ドックン、ドックン、という重い音が、自分の頭蓋骨の内側にだけ響いていた。




