その6
ドールセン大将は豊穣の魔女について私に詳しく教えてくださいました。
ザビ帝国には豊穣の魔女についての言い伝えが残っており、それはおとぎ話として子供が必ず親から聞かされる話なのだそうです。
ですが、豊穣の魔女は実在の人物だったのです。
今から500年も昔。
ザビ帝国に作物の病が流行り、不作に喘いだ時がありました。更に作物の病に加えて、雨も降らなくなり、深刻な水不足という二重苦がザビ帝国を襲いました。その期間は2年もの長きに渡りました。
当時の皇帝は国庫を解放しどうにか国民の為に他国から食料を買い集めようとしましたが、他国もザビ帝国を長期間支援する事は難しかったのです。
国内の食料もいよいよ底を突く。このままでは国内に餓死者が出ようという時、何故か辺境からゆっくりと食糧事情が回復していきました。
ある日、飢餓に喘ぐ辺境に1人の女性が現れたのです。
その女性は作物に病をもたらした穢れた大地を浄化し、疲弊した人々から病や疲労を吸い上げ、天に片手を掲げました。
するとその女性の手の先から緑の風の奔流が生まれ、それは渦を巻いて天高く駆け上り、空で弾けて辺り一面に緑の雫が降り注いだのです。
緑の雫を受けた大地は、ひび割れて硬く乾いた白い土がたちまち豊富な栄養と水分を含む黒々とした緑の大地へと変わりました。そしてその大地からはみるみる若木が生え、その若木は瑞々しい桃が鈴なりになる立派な樹木となりました。
白茶けた枯れ草が広がるばかりだった麦畑は、緑の草原に戻り、なんとぎっしりと実の詰まった麦穂が揺れる金の麦畑となったのです。
干上がっていた川には上流から水が流れてきて、その流れはどんどん逞しく太くなっていくのです。同じく干上がった井戸の底からは再び滾々と水が湧き始めました。
その女性は、見事な銀髪と銀の瞳を持っていました。
豊穣の魔法使い、豊穣の魔女と呼ばれたその女性は、辺境を渡り歩き、飢えた人々に実りをもたらし国民の命を救っていきました。辺境から息を吹き返していったザビ帝国は、急ぎ帝都に向けて食料と清らかな水を送り、国庫を全て解放し、辺境と同じく飢えに苦しんでいた帝都の民の命も救う事が出来ました。
死にかけていたザビ帝国に緑と水を復活させた豊穣の魔女は、帝都に辿り着くと全国民の祝福を受けながら当時の皇帝と婚姻を結んだのだそうです。
「あなたが望むなら我が帝国の皇妃としてお迎えするが。皇帝もあなたを望むだろう」
このような申し出をドールセン大将がおっしゃいましたが、私の腰をグイとマクシミリアン様が引き寄せました。
「私の妃はナタリー以外に考えられない。ナタリーを渡すくらいなら、この国をザビ帝国に差し上げよう。いかがかな?」
マクシミリアン様はグレース王国よりも私を選ぶというのです。驚いてマクシミリアン様を見上げると、マクシミリアン様は何とも優しいお顔で私を見つめています。
「ナタリー。驚いた顔をしているが、私にとっては当然の事だ。よほどの愚王でない限り、民は王が誰であろうと良いのだ。だが、いまグレース王国はそのよほどの愚王が立ち、国を狂わせ、民を苦しめている。だから私は民を救うために今旗頭となっているが、愚王を倒したその後は、王は私でなくてもいいのだ。その時は王族の傍系からでも次の王を探して据えればいい。ほんの一滴でも王家の血を引き継ぎ、よほどの罪を犯していなければ王の資格に足る。そしてザビ帝国の監視人の元、傀儡の王となれば民にとっても十分だろう。そうなれば実質、この国はザビ帝国の物だ。そうだろう、ドールセン大将」
マクシミリアン様の何とお考えの鋭く、そして柔軟な事といったら。
物事を見晴らす視野の広さに私は驚きました。目先の事に精一杯の私とは比べ物になりません。
マクシミリアン様の頭脳明晰ぶり感動していると、マクシミリアン様は私を見て方眉をあげます。マクシミリアン様はどんな表情をしてもお美しいですね。
「ナタリー、君が思う程私は良い人間ではない。母の仇に対して恨みは人並みに抱いているし、欲も人並みに抱いている。そして、私の抱く欲の全ては君に向けられている。君を取り上げられる位なら、この国など投げ捨てる。その程度の覚悟で今、私は現王を討とうとしているのだ。どうだ、私は自分本位の醜い男だろう?国盗りなど、君と快適に暮らすためのついででしかないのだ」
私の顔にみるみる熱が集まります。
「マクシミリアン様、お慕いしておりますわ!」
私が両手で顔を覆いながら叫べば、ドールセン大将が笑いだしました。
「これでは我が皇帝陛下でも勝ち目はないな!残念だが、ザビ帝国は豊穣の魔女を諦めよう。豊穣の魔女が住まう生まれ変わったグレース王国と、末永く良い関係を築きたいものだ」
「民が望むのであれば、私も王の役目を務めよう。これからよろしく頼む」
そうしてマクシミリアン様とドールセン大将は固く握手を交わしたのでした。
このように、ドールセン大将から豊穣の魔女についての言い伝えであり実話をじっくりと聞かせていただきました。
グレース王国では銀髪の民など居らず、王族の金髪がこの世で最も美しいとされています。
貴族達も金に近い髪色を持つ子を望むのですが、私は髪の色素が殆ど無い赤子でした。ですので、生まれた直後から両親を落胆させ、世話も最低限、長きに渡る虐待を受ける様になったのです。
ザビ帝国では銀髪、白髪の赤子は吉兆としてとても大切にされるのだそうです。ザビ帝国に生まれていたらとも思いますが、そうしますとマクシミリアン様に出会う事は無かったでしょう。
これまで大きな不運に見舞われた分、大きな幸運がやって来たのでしょうね。マクシミリアン様にとっても私が大きな幸運であれば、とてもうれしく思います。
そして、一番大事な話なのですが。
豊穣の魔女は病や怪我を人々から吸い取っても、それが我が身に移る事は無かったのだそうです。土地の穢れ、怪我や病を吸いあげた魔女は、それを全て緑の実りに変じさせていたのだとか。
私はその話を聞いてから、廃棄村の住民の小さな切り傷を吸い取ってみました。
そして、気絶するほどに病も怪我も吸い取っては居ませんが、掌を天に向けました。すると小さなつむじ風がぴゅうと吹き、近くの樹木の葉を揺らしました。その木には可憐な花が1つ咲きました。
なんと、自分の身に病を引き受けなくとも怪我や病を治す事が出来たのです。そして穢れや汚れ、傷みを吸い上げて直す様に、実りをもたらすつむじ風に転換する事が出来ました。
何故これまでは自分の身に引き受けて居たのか考えてみましたが、私が以前と決定的に違う事がありました。
私は健康になったのです。
私が屋敷に居た頃は常に栄養失調。気絶しない限りは屋敷の下働きを飲まず食わずでさせられる。睡眠も十分にとる事も出来ませんでした。極限まで衰弱していたのです。
心身の充実により、病や怪我も撥ね退けられるようになり、正しく豊穣の魔女の力を使えるようになったのだろうと私は結論付けました。
病や怪我に浸食されまいとする精神力も重要かもしれません。健康を取り戻した後も、私はしばらく自分の身に引き受ける方法で皆さんの怪我と病気を吸い取っていましたから。
病や怪我もつむじ風に転換できると知った後は、私は怪我や病気を吸い取るではなく、引き剥がしてつむじ風に転じて空に放つイメージで対応しています。
それから私は周囲を心配させることなく、怪我や病を引き剥がし豊穣の風に転じる事が出来るようになったのです。
そういった訳で、今の自分なら体調不良に見舞われることも無く家族の不調や不摂生からの穢れを払い飛ばす事は出来るのですが、やりません。
思い返せば、これまでは問答無用で周囲の怪我や病、穢れや劣化を押し付けられていたのですね。私も自分の身体に侵入してくる怪我や病に抵抗する力が無かったのです。
ですが今は自分の意思で病や怪我、穢れや汚れをはらい飛ばす事も拒否する事も出来ます。
もちろん家族に対しては拒否一択です。
誇る物は自分達の容姿の美しさしかなかったグロスター伯爵家は、私の力で周囲の貴族から金銭を巻き上げ、それを資金に貴族の体面を保っていました。
王家からは私を手放しても良いと思う程の莫大な一時金を得たのでしょうが、私が居なくなった後も今日まで金銭を湯水のように使ってきたグロスター家に、果たしてどれほどの資産が残っているのやら。
領地経営は人任せで杜撰なものですし、その領収だけではとても王都での暮らしは維持できないでしょう。
王都で華やかな暮らしをしていたグロスター家は近いうちに屋敷を手放して領地に引き籠るしか生きる道は無いと思うのですが、それを手助けしてくれるだろう執事の姿すら見当たりません。
容姿の美しさを維持する事しか頭になかった父と母、兄達ではグロスター家の崩壊を止める事は出来ないでしょう。
「マクシミリアン様、ありがとうございます。無事に家族との別れは済みましたわ」
さあ私の些末な用事は済みましたので先を急ぐとしましょう。
私はマクシミリアン様に抱き上げられて、再び馬上の人となりました。
廃棄村の人々は護衛役を務めるべく、顔つきも凛々しくマクシミリアン様の周囲に侍っているのですが、その私達をさらにザビ帝国の騎馬隊が囲っています。
私達の決意をニコニコと笑顔で聞いてくださった騎馬隊の皆さまでしたが、蓋を開けてみれば私達は何やら守られてばかりの状況。申し訳なく思いましたが、私達は解放の象徴なのだから堂々と守られていてくださいと言われてしまいました。
戦いのプロがそうおっしゃるのです。わかりました、適材適所ですね。
私達は解放王に従う解放軍、聖戦の象徴として務めを果たしましょう。
私達は更に王城へ近づいて行きます。
行く先々に王族の彫像があり、それは銀メッキや金メッキがふんだんに使われた目に眩しい物でした。鋳溶かせば色々な物が作れるだろうと、技術者集団のドワーフ族に破壊の許可をマクシミリアン様は出しました。
方々で王族の彫像を壊しつつ、私達は中央広場も通り過ぎました。
なんと、広場の入口の脇には私と第二王子の銅像があり驚きました。
モチーフは私の献身で病が回復した第二王子が私の躯を前に嘆き悲しむ場面ですね。第二王子が涙ながらに天を仰いでいる足元に私が小さく転がっておりました。私と王子の比率がおかしいです。王子は私の10倍ほどの大きさがあります。健気な少女の献身を悼む像ではなく、健気な少女の死を嘆く美しい第二王子の像と言う訳ですね。
ドワーフ族の皆さまは笑顔で第二王子と私の像を鈍器で殴り、運びやすい塊に作り替えていました。いい鍋が出来るとおっしゃっています。確か銅鍋は煮込み料理に適していたかと。有効活用して頂ければ幸いです。
さてとうとう、私達は城に足を踏み入れました。
近衛兵達が待ち構えているかと思いましたが、攻撃は疎らで全く組織立っていません。個別撃破の良い的ですね。
「・・・・グレース王国軍は、戦った事がないのか?」
ドールセン大将が王国軍と近衛兵の余りの弱さに呆然としています。
「外敵とはこの100年戦った事がない。内乱も全くない。貴族達は王族に歯向かう事もしなかったからな」
へっぴり腰で切りかかって来る近衛兵を片手で切り伏せながら、マクシミリアン様は答えます。
現王に代替わりしてからグレース王国はおかしくなっていったようですが、王を諫める側近もおらず。チャーリー様も現職中は王の言う事に従うのみと言う、ある意味洗脳状態の様だったと恥じ入りながら話しておいででした。
つまり、現王、王族達と貴族達は価値観も似通った類友という事ですね。
「今私達に歯向かってくる者は現王と考えを同じにする者、私達が築く新しいグレース王国には居場所の無い者達だ。遠慮せずに殲滅せよ」
マクシミリアン様の号令により、王城内の殲滅戦が始まりました。
私達と現王族、王族達を支持する貴族達とはいくら話し合いをした所で分かり合えないでしょう。禍根を残すことなく、これからの新しい国の障害を全て取り除くべく、城内の抵抗する貴族達の殲滅は徹底的に行われました。
とうとう解放軍は王族達が住まう塔に侵入を果たしました。
部屋を一つずつ検めて王族達を探します。
そしてとうとう、最奥の煌びやかな王の寝室で、王と王妃、王太子と第二王子が一塊に震えているのを見つけました。
「こ、殺さないでくれえ!」
叫んだのは、顔のたるみ、皺が随分目立ち、クマも濃く浮き出ている国王です。確か以前お目にかかった時は、お年を召しても凛々しい美丈夫でいらしたと思いますが、その影もありません。
国王に寄り添う王妃は私の母の様に年相応の容貌となっています。厚化粧が上手く顔に乗らず、目端、口元がひび割れて崩れていらっしゃいますね。
王太子も輝かんばかりの容姿で、姿絵も飛ぶように売れる美男子だったと思いますが、えー、少しふくよかになられたでしょうか。フェイスラインが消滅し、顔と首の幅が同じ状態に。
そして国内外にその美貌が知れ渡っていた第二王子ですが、何やらお顔の吹き出物がすごいですね。私がせっかく身代わりに体全体の炎症と吹き出物を引き受けたというのに、また再発したのでしょう。呪いだ祟りだと騒がれていた第二王子の全身の吹き出物は、案外本当に王族への恨みつらみの発露なのかもしれません。
国一番の美貌を誇り、国の頂点に君臨していた王族達は、今や寝室になだれ込んだ私達を前に怯えて小さく震えているだけです。
先頭に立ち王族達を見据えるマクシミリアン様の美しさにたじろぎ、王子達はシーツやクッションでそっと自分の顔を隠しました。
「殺しはしない。今はな。連れて行け」
ザビ帝国の騎士様方が手際よく王族達を縛り上げ、寝室から引きずり出していきました。
「マクシミリアン様。お話をされなくて良かったのですか?」
王妃はマクシミリアン様のお母上様の仇です。
これからの王族達への処遇を事細かく説明し、心胆寒からしめてギャフンと言わせる事も出来るのですが、マクシミリアン様は首を振りました。
「奴等とは分かり合えるはずもない。会話するだけ時間の無駄だ。それに奴等の命は今後の国の為に有効活用するからいいのだ」
なるほど。
マクシミリアン様は効果的な復讐を既に考えていらっしゃるようです。
復讐は何も生まないなどと綺麗事をおっしゃる方が私達の周囲に居らず幸いでした。そんな寝言を言う人とは今後上手くやっていける気がしませんので。
復讐は何も生まない。そうかもしれませんね。
でも復讐します。
意思を封じられ、尊厳を奪われ。
暴力を振るわれ、命をすり減らすほどに虐げられました。
許せる訳がないでしょう?
もしもその非道を受けたのが自分ではなく、愛する家族や愛する友人だったら?
尚更許せるわけが無いでしょう?
私達が、虐げられ続けた国民達が、復讐の機会を逃すはずが無いではありませんか。
「マクシミリアン様。私は第二王子に殺されかけましたの」
「そうだったな。第二王子には特に辛い罰を与えよう。私は王妃にも特別な罰を考えている」
「楽しみですわね」
微笑み合う私達は、ただの復讐者。救国はそのついでなのです。