64話 少女/王子は死霊候をご存じない
ネクロノミコンによると、深淵11階から19階にかけては小型の敵が大量に出現する傾向があるらしい。
実際にミュール達は、インプやピクシー、オークやゾンビの100体以上の群れに何度も襲われていた。
「これは……たしかに、普通の魔術師には厳しいね」
以前、ガジャン達はファニートレントの群れを使ってミュール達から魔術書を奪おうとしたが、あれを当然にように突破できなければ、深淵11階より奥へは進めない。
現代魔術師は魔法で物理現象を操作して攻撃する。その性質上、広範囲への攻撃というのは苦手とする。
例えばファイア・ボムは酸素を集めて爆発を引き起こす魔法だが、広範囲に渡って高濃度の酸素を保つのは困難だ。可燃性のガスを使う魔法でも、同様に爆発に適した条件を保てる範囲というのは、ごく狭い範囲だ。魔力をより多く注ぎ込めば、効果範囲が広がるというわけにはいかない。
「ヒート・ウェイブ!」
ミュールは右手を突き出し、熱の波を打ち出す。
熱量を持つ空気の波。威力はさほどでもないが、物理現象を超えた魔法は、通路の奥まで、次々にうごめく死体であるゾンビを焼き尽くした。
「うげぇ」
当たりに腐った肉の焦げた臭いが充満し、ミュールは鼻を摘んだ。
「ゾンビを持ち帰っても金にはならんな。さっさと先に進むぞ」
ネクロノミコンは臭いは気にならないが、臭気が魔法の精神集中を乱すことは知っていた。追い立てるようにしてパーティーを先へと進ませる。
「そういえばこのゾンビって人間じゃないよね? いくらなんでも深淵にこんな人間の死体があるわけじゃないし。よく見たらゾンビの顔って5パターンくらいしかないよね」
焦げていて分かりにくいが、注意すればゾンビの顔は全く同じ顔が並んでいることに気がつく。人間に近い形状な分、同じ顔が並んでいるのは不気味だ。
「そうだなダンジョンのゾンビは、はじめからゾンビとして作られた存在だ。魔法で死体を動かした場合のゾンビと性質は全く同じだがな。魔法でコントロールすることもできる」
「それってなんか変じゃない?」
「そうだ、奇妙だ。ダンジョンとモンスターとは何かを研究するものは、こうした不条理が何度も立ちふさがる」
人間の死体を動かすからゾンビになる。すでに死んでいるので頑丈だが、身体が半ば腐敗しているから動きも鈍い。
そうした特性を、ダンジョンはわざわざ真似、最初からゾンビとしてモンスターを作り出しているということになる。
「何か意味があるのかな」
ミュールのつぶやきに応える者はなく、パーティーは深淵の奥へと進んでいった。
☆☆
「ゾンビか」
シャドウは目の前の光景を見て苦笑した。
今、シャドウはガーンズ伯爵邸で晩餐会に参加している。
そこに普段は来ることのない人物がやってきたことで、参加者達はひそひそと囁き合っていた。
シワだらけの頭には、ほとんど髪が残っておらず、黒い染みが頭皮の4分の1ほどを覆っている。背は高い方のはずだが、衰えた身体は萎み、腰も曲がっているため酷く小柄に見えた。その肉体は枯れた老人のものでありながら、黒く輝く眼光だけは今なお鋭く、その頭の中にある頭脳が健在であることを知らしめているようだ。
死霊候の異名を持つ辺境伯ブランドン。80歳を超える老人で、賢者の塔の外の魔術師の中では最強の力を持つと言われている。
その傍らには屈強な肉体を持つゾンビの奴隷4人が身を守り、口元を隠した美しい装いの女性のゾンビが1人寄り添っている。
南の帝国との国境を守る大貴族だ。
ブランドンは同時に7体のゾンビを操れるという。
これは現代魔術師の基準からすると、かなり逸脱した能力だ。普通なら1体、多くとも3体が常識。とはいえ死霊術自体の評判が悪いため、賢者の塔の魔術師がゾンビを使うことはないが。
晩餐会に参加しているキレネットなどは、「まさか死霊候がくるなんて」と恐れ驚いているようだが、シャドウは護衛する5人のゾンビも外で待たせてあるという2匹のゾンビ・ホース(ゾンビ馬)も、とくに何か思うところはない。
恐れを知らず疲れることも眠ることもない戦士。それなりには強力だろうが……アルダッドやランカースなら容易く突破するのではないだろうか、そうシャドウは感じていた。
ブランドンはシャドウに対する挨拶もそこそこに、すぐにズーラの前に向い、恭しくその手を取った。
ズーラはどうやら、死霊候を味方につけたとアピールしたいのだろう。
「それに他にも魔法貴族がズーラ姫の周りにいますね。魔術師ギルドが仲介したのでしょう」
今シャドウの隣にいるのはランカースではなく、ランカースが護衛に配置したAランク冒険者の男だ。
貴族の七男であるらしく、社交界の礼儀作法にも対応できるということだ。
今回の件は、ミュール達が深淵に入ってからではあるがほとんど伝えられている。シャドウが影武者であることもだ。シャドウの正体がミュールの影ということだけは知らないが、ランカースからはそれだけ信用されている冒険者である。
「ランカースはまだ戻らないのか?」
「ええ、冒険者と魔術師が決闘騒ぎを起こしたとのことで」
「このタイミングで?」
「きな臭いものを感じますね。おそらく裏にはズーラ姫か賢者の塔がいるのでしょう」
「ランカースは大丈夫なのだろうか」
「大丈夫ですよ。副ギルド長はとても優秀な人ですから」
冒険者達の結束は堅い。
そこには魔術師ギルドに対する不満もあるのだろうが、それだけフウゲツとランカースが冒険者達のために尽力してきたという実績があるからだろう。
ただ、ランカース抜きで晩餐会を切り抜けるのは、正直不安になる。
シャドウは緊張から目をそらすためにも、死霊伯のゾンビ達をぼんやり眺めていた。
視線に気がついたのか、ズーラとブランドンがこちらに近づいてきた。
「これはアカド王子。ご無沙汰しております」
言葉は丁寧だが、頭を下げるわけでも握手を求めるわけでもない。その眼には、アカドを侮る色があった。
「ブランドン辺境伯。久しぶりだな。息災なようで安心した。伯がいる限り南方の守りは万全だ。これからもよろしく頼むぞ」
シャドウは教科書通りの王族営業スマイルでにこやかに対応する。
実際のところ、シャドウは帝国との外交についてはさっぱり理解していないのだが、こう言えと言われた通りに言葉にしているだけだ。
「アカド、こうしてブランドン辺境伯が来られたのは、我々のことを心配しているからなのよ」
「心配? なんのことです姉上」
「アカドが魔術師ギルドを蔑ろにしていることを心配してくれているのよ。ただでさえ心労の多い辺境伯に、そのような気遣いまでさせるなんて、我々は我が身を省みる必要があるのではなくて?」
ブランドンは横柄にうなずいた。
(アカドめ……)
ズーラは口元に嗜虐的な笑みを浮かべた。
(賢者の塔と戦うのなら、外部の者では随一の魔術師である死霊候の協力は喉から手が出るほど欲しかっただろうね。残念、賢者の塔の魔術師でなくとも、魔術師である限り死霊候も魔術師ギルド側の人間なのよ)
ズーラは期待した。アカドが恐れ逃げ出すか、それとも精一杯の虚勢でムキになって言い返すか。どちらにしろ、この場のイニシアチブは自分にある。ズーラはそう確信していた。
だが、
「そうか、辺境伯の忠告、心に留めておこう」
シャドウは営業スマイルのまま、受け流した。
「ふむ」
ブランドン辺境伯の老いた顔にはじめて興味が浮かんだ。
「私は見ての通り変わり者でしてな。大抵の方からどうも警戒されることが多いのですが。さすがは皇太子殿下ですな」
継承権一位を表す皇太子という言葉。
それが味方であるはずのブランドンの口から出たことでズーラの表情が変わる。
「辺境伯……!」
「おっと、他意はありませんぞズーラ姫。ただ思ったことを口にだしたまで。辺境暮らしが長いと、どうも社交界の会話を忘れてしまいましてな。ご容赦を」
ブランドンは笑う。
シャドウも一緒になって笑った。
笑いながら、死霊候のギラギラと輝く黒い目は、ますます面白そうにシャドウを見つめていた。
(ええっと、何がどうなっているんだ)
なにやら雰囲気が悪いことは察知しているシャドウだったが、何が原因なのか理解できていない。
というのも、シャドウは特別、何か意図して考えて喋っているわけではないからだ。と、言うよりこの晩餐会を無事に乗り切ることしか考えていない。
シャドウにとって、ブランドン辺境伯はズーラ姫の味方の貴族以上のものではなかった。他にも沢山いる貴族の中の1人。そういう理解だ。何か言われたとしても、姫の仲間なのだから当然だと考えるし、まともに取り合ったりもしない。
もちろん、シャドウもブランドンが有力者であることは知識としては理解している。
しかしながら、ブランドンが操るゾンビにしても、100体以上のゾンビを見た後では、特に感慨も浮かばないし、辺境も南の帝国も中央で暮らす村娘としての記憶を持つシャドウにとっては見たこともない別世界の話だ。
つまるところ、ズーラはシャドウがブランドンを重視していると思って見せつけたのだが、完全に空振りに終わっていた。
「ええっと、それでは、キレネット嬢がダンスパートナーを探しているようなので、これで失礼を」
「ふ、ふふっ、ダンスか」
シャドウは、ブランドンが変な笑い方を始めたのと見て、(あれぇ、不味かったかなぁ) とか思っていたが、口に出してしまったものは仕方がないと、そのまま立ち去る。
シャドウが十分離れると、ブランドンは近くの椅子に座った。
「いやはや、ズーラ姫。我らが殿下はなかなかの大物だのう」
アカド王子をたかが青二才と侮っていたブランドンは、意外にも青二才がゾンビを操る怪物のような老魔術師を前にしてまるで動じなかった胆力の持ち主だったことを面白がっている。
ズーラは笑顔のままだが、ブランドンの笑いに応えることはなかった。
ただ手にしたグリフォンの羽で作られた扇を、指が蒼白になるほどに握りしめていた。




