63話 少女は深淵に眠る母親の名前を知る
シャドウは作業を止め、資料室においてあるテーブルで、水で薄めたワインをコップに注いだ。
「ちょうど休憩しようと思っていたんだ」
シャドウが椅子を引いて、座るように促す。
メラブは驚いたようで、表情に若干の緊張を見せながら、一言お礼を言ってから座った。
「ありがとうございます」
シャドウも座ったのを見てから、メラブはコップを手に持ち、一口だけ飲んだ。
シャドウはコップの半分ほどを一気に煽る。
薄めたワインは、ウルでは一般的な飲み物で、保存の効く飲料水として広く流通している。お酒としてではなく子供から大人まで愛飲する飲料水だ。
アルコール度数は高くないのだが、とはいえやはり酔う人は酔うので、子供に飲ませるときは一度火にかけ、アルコールを飛ばす親もいる。
ミュールの場合は昔から特に気にすること無く飲んできた。まだ本格的な酒宴に参加したことはなかったが、少なくともこの薄めたワインではいくら飲んでも、酔っ払ったという感覚を感じたことは無い。
「ふぅ、作業していると喉が渇くな。美味い」
シャドウはコップを置いた。半分ほどに減った赤い液体がコップの中でゆらゆらと揺れ、やがて収まった。
「こうしてじっくり話すのも初めてだね」
「はい、光栄です」
兄妹であっても、アカドとメラブはほとんど会話していないそうだ。私生児であるメラブにとって皇太子であるアカドは自分から気軽に話しかけれる相手ではないし、アカドからしたらメラブと会話する理由がなかった。
(血の繋がった妹と会話するのに理由が必要なのか)
だが、これはアカド達に限った話ではないようだ。
上級貴族の兄弟達は一緒に育つということはしない。それぞれ別の乳母に預けられ、成長したら別の貴族の家に留学して他の貴族とのつながりを作りに行く。
兄弟というのは兄弟であるという事実以外、何の効力も持たない、そういう世界だと、シャドウはアカドやランカースから教えられていた。
「ん……この香り、なるほど」
「どうかなさいました?」
「1つ謎が解けたかもしれないな。君は今朝、使用人に混じって水仕事をしていたね?」
「……!?」
「手から微かにジャイアントビーの蜜蝋の香りがする。市民の間でよく使われているハンドクリームの香りだ。君は朝方、使用人達と一緒に仕事をしていた。その状況を王族に知られるのは、君が王族にふさわしくないと攻撃される原因になる。だから朝に会ったメイドは君を庇って、どこにいるか知らないと言ったんだね」
表情が固くなったメラブを見て、シャドウは安心させるように笑顔をみせた。
「謎解きを楽しんだだけさ」
むしろミュールであるシャドウは、メラブの気持ちがよくわかった。メラブには王宮でやるべきことがない。メラブは自分の役割が欲しかったのだろう。
使用人達の使った食器や服の洗濯など、そういった裏方の裏方といえるような仕事でも、メラブにとっては自分の役割を感じられるのかもしれない。
「そのハンドクリームは良く効く……と、聞いているよ」
「友達のリン……メイドの子なんですけど、彼女が使っているもので、水仕事した後でも手が荒れないんです」
シャドウがメラブの行為について追求するわけではないと分かり、メラブの表情を緩めた。話しているうちにメラブの雰囲気は10代前半の少女らしい、明るいものへと変わっていった。
シャドウも中身は近い世代なので、自然と話は盛り上がった。
あえて目立とうとは、シャドウも思っていない。
だが、メラブのことを無視できるほど、シャドウは貴族には馴染んでいなかった。
☆☆
「そろそろ調べ物の続きに戻るよ」
シャドウは1時間も話してしまった自分に苦笑した。
「あの」
「どうした?」
「お手伝いしましょうか? 私が手伝ってもいいものだったらですけど……資料探しならお手伝いできると思います」
シャドウは少しの間考え込んだ。
確かに手伝いは欲しい。シャドウの探し方では一体いつになったら目的である深淵の行方不明者のリストが見つかるか分かったものではない。
シャドウが行方不明者のリストを探していることを知られて何か不都合があるか……シャドウは考えたが、特に問題があるとも思えない。アカド王子とミュールのつながり自体はズーラやコーレシュにも知られているし、メラブがズーラ達とつながりはないだろう。
「分かった、もし時間があるのならお願いしようか」
「はい!」
メラブは役に立てるのが嬉しいのか、笑顔で頷いた。
☆☆
メラブが手伝いを初めて約30分。
シャドウの目の前には探していた資料があった。
「いやぁ、すごいね」
「使用人用のマニュアルとか整理してましたから」
メラブはすぐに資料がどういう並べ方をされているのかを調べ、冒険者ギルドからの報告書の写し、ダンジョン関係の書類、深淵の行方不明者のファイルと資料を探し当てた。
こういった捜し物はシャドウには初めての作業だったとはいえ、半日以上探して見つからなかったものを、こうも簡単に見つけられてしまうと落ち込むものがある。
(というかあそこは一度調べたはずなのに、なんで見つからなかったんだろう)
ちゃんと調べずに、通り過ぎていたのが原因なのだろうが、今もシャドウが散らかした資料を、最初の状態も見ていないのに、もとにあった場所へと片付けているメラブは、まるで魔法を使っているようだと、シャドウは笑った。
「さて……」
シャドウはファイルに触れる。
何の変哲もない、書類を挟んだだけのただのファイル。
しかしここには、ミュールの両親の名前が記されているかも知れない。そう思うと、シャドウは資料を見ないまま、ここから逃げ出したいような気持ちにすらなった。
「アカド様?」
様子がおかしいことに気がついたのか、メラブが心配そうに声をかけた。
何でもないという風にシャドウは手を振って応える。
(メラブがいてくれて良かったかもしれない。1人でこれを見つけていたら、本当に逃げ出していたのかも)
シャドウは一度、目を閉じ、深呼吸をしてから、意を決して資料を開いた。
そうして集中状態にあったことが幸いした。
「キィ……!」
「魔法!? バインド!!」
本の間から小さな虫のようなものが飛び出した。
小さなヤツメウナギのような虫は、魔力を持った魔法の一種だった。
シャドウは反射的に魔術書に触れ、バインドの魔法で小さな虫を拘束する。
ミュール本人とネクロノミコンのコンビなら不意を打たれても問題なかったのだろうが、シャドウにそこまでの力はない。漫然と本を開いていたら不覚を取っていたかもしれない。
☆☆
「それメモリー・イーターの魔法だ。現代魔術では残っていないと思っていたが」
シャドウの視覚情報から、ミュールによって作られた幻術の映像を見た、ネクロノミコンは真剣な様子だった。
「メモリー・イーターは罠として仕掛けられる魔法だ。扉や本など見られては困るものに仕掛け、接近した相手の記憶を奪い、偽物の情報を植え付け、相手の持っている情報は術者に持ち帰る。召喚術の一種だ」
「それって……もしかしなくても危なかったわね」
「この魔法を使える相手となると、賢者の塔の魔術師クラス以上の能力はあるはず。少なくともレーシーよりもずっと上だ」
「レーシーよりも上となりますと……」
横で話しを聞いていたエステルが口を挟んだ。
「大魔術師か、コーレシュお祖父様くらいしか」
エステルの言葉に、ネクロノミコンは頷いた。
☆☆
「コーレシュ」
シャドウは小さくその名をつぶやいた。
目の前に拘束されたメモリー・イーターをじっと睨みつける。
「そ、それは一体!? 大丈夫ですか!」
「大丈夫だメラブ。誰かが本に魔法をかけていたらしい」
「魔法を?」
分析を試みたいところだが、発動中の魔法に干渉するのは相手にも察知される可能性がある。つまり誰が発動したかを調べれば、相手にも誰が調べたのかを知られるということだ。
今のシャドウの役割は、アカド王子達が帰還するまで身代わりをすること。下手に動くべきではない。
そう判断したシャドウは、ぐっと歯を食いしばると、持っていた剣でメモリー・イーターを両断した。
「もう大丈夫だ」
剣を収めながらシャドウは言った。
メラブは混乱した様子だが、取り乱している様子がないのはさすがは王族と言うべきか。
「私達のことまでは察知されてはいないが、魔法が破られたことは知られてしまったな」
「そこまでして守られている資料って一体……」
シャドウは開かれたページに目を落とす。
その年の行方不明者のうち、女性は1人だけだった。
「レダ・ウル」
☆☆
「それが私の本当のお母さんの名?」
ミュールはその名を何度か口に出してつぶやいた。
顔も知らない人間の名前だが、どこか懐かしい気持ちをミュールは感じていた。
おそらく錯覚だろうとは自覚していたが……。
「レダはこの深淵で消息を絶った……そしてここで私を産んだ」
「だが彼女に会うことは不可能だ」
「ネクロノミコン……」
「ここにレダの亡骸が眠っているとしても、そこはレダの深淵だ。我々がたどり着くことは不可能」
「分かっているわよ」
理解はしている。だがそれでも、誰にも看取られることもなく、永遠の孤独の中にあるレダと言う名の魔術師のことを思うと、ミュールは少しだけ悲しい気がしていた。




