62話 少女/王子は王女の笑顔を見る
地下11階。
想定脅威度 ランク85。
ここは現代魔術師の夢のその先。
深淵に挑むような力のある魔術師でさえ、ここから先へは進まない。
ここからは、ほぼ賢者の塔の魔術師だけが足を踏み入れる特別な領域だ。
「とはいえ、すぐには変化はないわね」
景色は相変わらず石レンガか土壁。
殺風景な中をオレンジ色の光を放つ魔法の明かりやヒカリゴケのぼんやりとした明かりを頼りに進んでいく。
「……上!」
ミュールの魔法が敵の気配を察知した。
炎の槍が天井の暗がりを貫き、怪人が悲鳴をあげて落下する。
「チョーカーか、ここでも低層のモンスターってでるんだね」
チョーカーはランク8のモンスターで、腕の代わりに2本の長い触手がついている体毛のない怪人だ。
吸盤状になっている足で天井に隠れ、その長い触手で通りかかった魔術師や冒険者を不意打ちし、首を締めて殺害する。
ランクは8しかないが不意打ちされると熟達した魔術師であっても不覚を取ることがある。
強敵ではないが、油断できない難敵と言えるだろう。
「油断するなよ」
「ネクロノミコン……」
「低層のモンスターがより深い階層で出る場合は、大体のところ非常に面倒なことになる」
「あ、あれは……」
天井に空いた穴。
そこから無数の眼が覗いている。
「少なく見積もっても100体はくるぞ! 構えろ!」
ネクロノミコンの叫び声と共に、天井を這うように、大量のチョーカーが溢れだした。
次から次に、触手を振り回してミュール達を襲う。
「ファイアーボール!」
ミュールの魔法が一気に10体ほど吹き飛ばすが、天井の裏にいるチョーカー達には、遮蔽となって魔法が思うように届いていない。
「一気には処理できないか。上から攻められたら陣形の意味が無い! 穴の下から移動しよう!」
ラファエラはそう言うと、穴の周りに空気の刃を設置し、出て来るそばからチョーカーが切り刻まれるようにする。
勢いが削がれた隙をついて、素早くミュール達は後退するが……。
ボコンと音がして天井の一部がミュール達のすぐそばを落下する。
「どれだけいるんだ……」
常に冷静なフウゲツさえも、思わずそう呟いた。
崩れた場所は一箇所ではない、天井にいくつも穴が空き、そこから無数の眼が、ミュール達を見つめていた。
『ギュルルルルル!!』
ウナギのような丸く牙の生えた口から不気味な吠え声を響かせ、チョーカー達はミュール達に襲いかかった。
☆☆
(こりゃ、今日は12階か13階くらいまでしか進めなさそうだな)
シャドウはネクロノミコン達の様子を見て頬杖をついた。
ネクロノミコン達が深淵を進む速度は、すなわちシャドウが王子の身代わりをしなくてはいけない時間と直結する。
(とにかく、今は調べ物の続きでもするかね)
シャドウは再び書庫にいた。
ランカースは冒険者ギルドに緊急の用が入ったとのことで王宮を出ている。
護衛には代わりの冒険者を2人。どちらも対魔術師戦の訓練を受けたランカースの懐刀と言える戦士だ。
不毛な昼食会が終わった後、シャドウはすぐにここに戻ってきて作業を再開したのだが、やっぱり進捗は良くない。
「図書館のように知りたい情報に関する本が自動で分かったりしてくれたらなぁ」
文句を言っても仕方がないのだが、シャドウは不便さに辟易しながら適当に本を取り出しては、これも違うと机に置くという動作を繰り返していた。
「すみません、殿下、少しよろしいでしょうか?」
「構わん。どうした?」
「メラブ王女様がお見えになられております。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「メラブが? かまわないよ」
シャドウは作業の手を止めた。
「失礼します」
入ってきたメラブは淀みない動作で頭を下げた。
昨日は騒動の最中だったのでしっかりと見ていなかったが、ただの一礼、それだけでも彼女が礼儀作法についてよく教育されているのがわかる。
メラブの視線が、一瞬部屋の中の様子に驚いたように揺れた。
「あ……」
シャドウは自分が部屋を散らかしていることに思い立ち、頭を掻いた。
「ちょっと調べ物をしてたんだけどね。本を探すってのはなかなか慣れないね」
「本を探すのは大変ですものね」
クスリと微笑を浮かべてメラブは言った。
「失礼しました。アカド様が私のことを探していらしたと聞いたのですが」
「ああ、それでここに来てくれたのか、ありがとう。しかし私がここにいると、よくわかったね」
「はい、クリス……使用人の1人が書庫の前に冒険者らしい方が2人立っておられたと言ってましたので、多分ここにいるのではないかと」
「使用人か。確かに、王宮のどこでも働いているからな」
王族や貴族たちは王宮で働く使用人達の顔や名前をおぼえない。彼女たちを空気のように扱っている。
シャドウもアカド王子から貴族の心得を学んだ時に、知らず知らずに使用人に対する意識が抜けていたのかもしれない。仕事をしている使用人に見られているという感覚を失いつつあった自分に、シャドウは驚いた。
(少し王族側に意識を向け過ぎたか)
王族の振りをするのは必要だが、心の底から王族になる必要はない。シャドウはミュールだ。
使用人の顔も記憶していないような、そういう姿を良しとはしない。
「アカド様?」
「ああ、すまない。少し反省していたところで。気にしないでくれ……それより、君を探していたのは、少し話がしたくてね」
「私とですか? もしかして昨日の……」
「ああ。彼女は私の友人でもあったからね。庇ってくれて感謝しているよ」
「とんでもありません。私こそアカド様に助けていただき感謝の言葉もございません」
あらためてシャドウはメラブの姿を観察した。
昨日の毅然とした態度、今日の作法に熟知した動作。それをこなしているのが、14歳のミュールより幼い少女だ。
シャドウはますますメラブに対する興味が湧き上がるのを感じた。
「美しいな」
「え?」
「あ、いや、動作がね。これほど気品のある物腰をしている貴族は滅多にいない」
メラブは恥ずかしそうに、だが嬉しそうに笑った。
「お目汚しを失礼しました。アカド様に褒めていただいて光栄です。もし、私の作法がアカド様のご不快なものでなかったとしたら、それは私に作法を教えてくれた先生が良かったのでしょう」
「先生?」
「使用人の皆さんです……王族の皆様をずっと見てきた人達ですから」
メラブは少し躊躇しながらも、はっきりとそう口にした。
これは少々危険な発言だ。
なぜならば、貴族の頂点に立つ王子が褒めた作法が、実は正式な教育を受けた貴族から学んだものではなく、使用人達によって学んだと言ったのだ。捉え方によっては、作法を見る目がないと考える貴族もいる。
(メラブは賢い。そう思われる可能性を考えないはずがない。先程の僅かな躊躇がそれだろう、でも言葉にすることを選んだ。なぜ?)
シャドウは疑問に思ったが、メラブの顔を見たらその答えが分かった。
そこにあったのは誇らしさだった。
(そうか、この子にとって使用人との絆が一番大切なものなんだ。だから例えこれで私を怒らせる可能性があったとしても、自分の大切なものを褒められたことを隠さなかったんだ)
シャドウの口にも自然と笑みが広がっていた。
不条理ばかりの王宮で見たその少女の姿は、シャドウにもよく理解できるものだった。
だから、シャドウはこう言った。
「良い先生達にめぐり逢えたね」
「……はい!」
それはメラブにとって思いがけない言葉だった。
一瞬の戸惑い、そして理解者への喜び。
メラブは、年相応の愛らしい自然な笑顔を見せていた。




