26話 お嬢様は医療魔術師を尊敬する
10年前。賢者の塔にて。
幼き日のエステルは魔術の訓練を受けていた。
「何度言ったら分かるのです、もっと私の使った魔法をよく見なさい!」
家庭教師である魔術師は、怒鳴りながら机を叩いた。
ビクリと肩を震わせ、涙を流しそうになりながら、だがエステルは唇をかみしめてこらえる。
机の上には2本の氷でできた、アイシクルダガーが置かれている。
片方が芸術品を思わせる美しく鋭い物。
もう片方は刀身が歪み、分厚くとても切れそうにない物。
エステルが作ったのはどちらだったのか、言うまでもない。
普段であればもう少しまともなダガーが生成できたのだが、エステルは、一時間前の授業で何度もマジックミサイルの呪文を使っており、すでに魔力が枯渇寸前だった。
エステルにはアイシクルダガーの魔法を制御する魔力が足りず、地上のマナをうまくコントロールできなかった結果が、この歪んだダガーだ。
「さあもう一度!」
「は、はい!」
魔力枯渇による頭痛と目眩に倒れそうになりながらも、幼いエステルは魔術書を握りしめ、魔法を唱えた。
「アイシクルダガー……!」
エステルは、普通ならかかる魔力限界のリミッターを精神力でこじ開け、もう一本のアイシクルダガーを生成する。
生成されたアイシクルダガーはいびつで無骨で美しくはなかったが、切っ先は鋭く、投げつければグリフォンの硬い皮膚だって貫いたであろうものだった。
だが家庭教師は満足すること無く、形が悪いと叱りつけた。
「なんですかそれは! なぜ教えたことができないのです! ちゃんと私の言うことを聞いているのですか!」
もしこの場にいたのがネクロノミコンであったなら、かつてオーバーロードと呼ばれていた魔力の前借りの技術を使ったことに驚き、褒めていたであろうが……残念なことに、彼女が毎日、魔力枯渇状態の苦痛に耐え続けた成果を認めるだけの知識をこの家庭教師は持っていなかったのだ。
幸か不幸か、家庭教師の罵倒をエステルは最後まで聞くことはなかった。
限界を超えて魔力を消耗したエステルは、すでに意識を失っていた。
☆☆
「あれ、ここは……」
「良かった、気がついたのね」
エステルが目を開けると、自分の部屋のベッドに横になっていた。
隣にはやせ細った身体に不釣り合いな大きな目をした女性が座っている。
「レーシー……」
「また訓練中に倒れたのよ。あまり無理はしない方がいいわ」
「ごめんなさい……」
「私はいいのよ、医療魔術師だもの。倒れた人の処置はお手の物だから。でも、あなたの身体が心配なの。あなたはまだ子供なんだから、倒れるまで魔力を使うものじゃないわ」
「でも、私魔法が上手く使えなくて。最初は上手くいくんだけど、最後の方はいつも失敗ばかり」
「そうね、でも体を壊して訓練できなくなったら、もっと悪いでしょ?」
「それはヤダ、私は一日でも早くお祖父様のお役に立てる魔術師になりたいの!」
レーシーはやさしくエステルの頭を撫でる。
「だったら、自分の限界を知って、それを少しずつ広げていくように工夫しないとね」
「分かった!」
ずっと曇っていたエステルの表情がやっと笑った。
「レーシーはまたお仕事だったの?」
「ええ、ある村で悪い病気が流行っていてね、それの処置をしていたの」
「すごい! 私ね、お祖父様のお役に立ちたいけど、レーシーのような魔術師になるのもいいなって思うの!」
「私のような魔術師に? ふふっ、私のお仕事は大変よ。休みも不定期だし、急に呼び出されたりするし。何もない時も、賢者の塔にこもって実験や研修ばかり」
「でも沢山の人達を助けているんでしょ? レーシーはすごいよ!」
「そうね、もし私のことを手伝ってくれるというのなら、そのうち私からもあなたに魔法を教えてあげるわ」
「本当!」
「ええ、医療魔術師はいつだって人手不足なのよ。可愛い新人さんは大歓迎よ」
大きな目を細め、穏やかな表情を見せるレーシー。
エステルの魔法の成績がかんばしくないのが知られるにつれ、エステルが見る周囲の大人の顔は、いつも厳つい顔か失望した顔ばかりになっていた。
その中にあってレーシーの表情は、エステルにとって救いであったかもしれない。
☆☆
ダンジョン病。
正式名称ではなく、原因も不明だが、ダンジョンが解放されたあと、付近の村でときおり発生する流行病だ。
エステルはレーシーからそう聞いていた。
レーシーの仕事の一つは、ダンジョン病への対処である。
先端に香草を詰めた鳥のくちばしのような防毒マスクで顔を覆う姿は、恐ろしくも神々しく、エステルは魔法でレーシーのものに似せて作ったおもちゃのお面を被って、よく1人遊んでいた。
エステルがレーシーの仕事の内容を知ったのは、12歳になった時だった。
☆☆
「おや、どうしたのエステル」
ダンジョン病の対処を終え、賢者の塔へ帰還したレーシーは、いつも声をかけてくるエステルの様子がおかしいことに気がついた。
「あ、あのですわ、レーシー……レーシーの仕事って、ダンジョン病にかかった人を治療することですわよね?」
「そう、誰かから私達医療魔術師が具体的に何をしているのか、聞いたのね」
「はい……ではやはり本当ですの?」
「ええ」
「本当に、本当に、レーシーの仕事は……村を焼くことですの?」
尊敬していたレーシー達、医療魔術師の仕事とは病を取り除くこと。
その方法とは、治療ではなく患者を処分すること……。
「村全体を焼くケースは少ないわ。多くの場合ダンジョン病に真っ先にかかる乳幼児、及び妊娠中の母親だけで対処できる」
「っ!?」
エステルの顔がこわばった。
ずっと、姉のように思っていたレーシーが、あの恐ろしいマスクをつけて、子供や母親を焼き殺している姿を想像してしまったのだ。
「私達がなんて呼ばれているか知っているかしら? 死神、吸血鬼、殺戮魔術師、人食い鬼……」
「違います! レーシーはモンスターなんかではありませんわ!」
「ありがとう、でもね、私達医療魔術師は、そうして人から憎まれることを誇りに思っているの」
「なんですの……」
「誰かがやらなきゃいけないのよ。病を放っておけば、もっと多くの人が死ぬ。子殺しの業を親に負わせることなく、あるいは子供たちが親や兄弟といった愛する人達を殺す業を負うこともなく、医療魔術師達が、その権限を持って業を受け取るのよ。
だから、憎まれるのも軽蔑されるのも、私達が背負う業のため、そして私達が憎まれるということは、この憎しみが友人、家族、夫婦同士に向けられなかったことを意味するの。だから私達は喜びをもって憎悪に我が身を捧げるの」
「業……」
「軽蔑した?」
「いいえ、やっぱり、レーシーは私の尊敬する、本当に尊敬する魔術師ですわ……」
「でもあなたは医療魔術師を目指すのは止めた方良さそうね」
レーシーはエステルの頭を昔のようになでた。
「憎まれるべき医療魔術師のために……涙を流せるような子は、きっと耐えられない世界だから」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
☆☆
医療魔術師。
特に危険度の高い病気やダンジョンの生物による未知の病気への対処を行う、賢者の塔直轄の部隊。
ワクチンや治療薬の開発、病人の治療などを行う。
中でも、最も重要な仕事は感染力の高い疫病が発生したことを察知する魔法的情報網の構築と、初期段階で感染者を焼却し大規模なパンデミックを未然に防ぐことである。
賢者の塔 発行
魔術用語大全17版より。
☆☆
だがエステルは、レーシー達が、そして賢者の塔が何をしているのか、本当のところは何も知らない。




