24話 ファイアーボール
「しかし、すごい魔術書だのう」
ポン・カーティスはミュールの魔術書をじろりと見ながら言った。
ミュールは、ハカンの洞窟9でも使った、ポータルバッグの魔法で倒したモンスターを回収しているところだ。
「それがあればダンジョンから資源を回収する効率がずっと良くなる。羨ましい限りじゃよ」
「ポン・カーティスさんでも知らない魔法なんですね」
「魔法は砂漠の砂の数ほど種類がある。生涯かけて魔法を記憶しても、それは砂漠の砂の一掴みを手にしたのと同じじゃよ」
「砂ですか」
「大半は、もう使えぬものばかり。無数の砂粒の中から真に有用な魔法を見出すこと。それが一番難しい。魔術とは、そうした不毛とも思える作業の果てに、優れた魔法を記録した至高の魔術書を作り上げる。なんとも、気の長く、だがやりがいのある仕事じゃて」
話しているうちに彼の顔は、遠くを見るような穏やかなものになった。
ポン・カーティスは自分の擦り切れた魔術書を取り出す。
「我が魔術書には百余りの魔法が収めてある。どれもワシが収集した力のある魔法じゃ。ワシの人生は、この一冊を作り出すためにあった。老い先短い今となっては、そう思える……」
「ポン・カーティスさん、その本は、あなたにとって人生ともいえる本を、これからどうするんですか?」
「欲しいかね?」
「…………」
「ふふふ、ワシが死んだらの、この本は自動的に炎を吹き出し灰になるように魔法をかけておる」
「え?」
「それがワシの最期の楽しみなんじゃよ。多くのものを犠牲にして作り上げた、ワシの人生。その人生をワシの死とともに、誰にも渡さず持っていく。ふふふ……これほど痛快なものはあるまい」
「ポン・カーティスさん」
「おっと、すまん、脅かすつもりではなかった。その魔術書があまりに素晴らしいものでつい興奮してしまってのう。忘れておくれ」
ポン・カーティスの老いた顔には狂気と妄執が浮かんでいた。
彼も最初はこうではなかったはずだ。どこで歪んでしまったのかは分からない、何か挫折があったのかもしれない、だがミュールは、今ここにいるポン・カーティスは、必ず敵になると、そう確信した。
☆☆
深淵3階はファニートレントと呼ばれるモンスターが現れることが多い。
ランク0。熟達した戦士なら1人で対応できる。
ただしこれは安全なモンスターであることを意味するのではない。
熟達した戦士1人で対応できる範囲というのは、武装した人間1人や多くの獣も該当する。
ダンジョンではどんな相手であっても、危険は常に付いて回るのだ。
「ファニートレント、紙の原料にもなり、いつも一定の需要が見込まれる手頃な獲物だ」
ガジャンは、さきほどアースハンマーで倒した一匹をもって説明している。
見た目はずんぐりとした切り株に両手が生えたような姿だ。
「攻撃手段はのしかかって、両手を叩きつけてくるくらい。遠隔攻撃手段はせいぜい手頃な石を投げつけてくる程度だ。力は見た目よりずっとあるが、それでも大人の男の1.2倍くらいだな。魔法で対処すれば容易い相手だ。今日の探索は3階までにしよう。終わったら野営の準備だ」
「もう終わりなの? まだ余裕はあるけど……」
「ファニートレントをできるだけ狩っておきたい。今後不測の事態が起きて撤退することになっても、ここで稼いでおけば探索の成果としては十分なものになる」
「……分かったわ」
そろそろ仕掛けてくる。
ミュールは予感を感じていた。
だが、どうやって?
正面から攻撃してくるのか、それとも何か策謀があるのか?
初めての魔術師戦。ミュールは緊張を抑えることができない。
手には汗が滲んでいるし、足元が揺れているような気すらした。
「ミュール」
「ネクロノミコン……私」
「それでいい、存分に緊張しろ」
「いいの?」
「相手の実力も詳しく分かっておらんのだ、不安になって当然だ。これで不安にならないのであれば、それは豪胆なのではなく恐怖を知らぬだけだ。魔術師たるもの恐怖は常に身近なもの、その存在を知らずして大成することはできん」
「ネクロノミコンったらいつもそんな言い方するんだら、魔術師としての大成とか言われても私はまだ魔術師になったばかりだよ……ありがと」
「俺の主なのだぞ、歴史に名を残す魔術師くらいになってくれなければ困る」
ネクロノミコン流の励ましだろう。
ミュールは微笑むと、気を引き締め、ガジャン達の後へと続いた。
☆☆
ミュール達は1時間ほど戦った。
エステルはそろそろ魔力切れ、ラファエラもひたいに汗が浮かんでいる。
ガジャン達も随分魔法は使ったはずだが、それでも疲れた様子を見せていないのはさすがはベテランといったところだろう。
ミュールも、ある程度消耗したという演技をすべきかと思ったが、ネクロノミコンから素人演技などすぐにばれるから止めろと言われ、自然体のままだ。
「大したものね」
声をかけてきたのはレーシー。
ミュールとまともに話すのはこれが初めてかもしれない。
「新人の魔術師ならとっくに魔力が尽きて動けなくなっているところよ。あのラファエラって子もだけど、あなたはよほどマナに愛されていたのね」
「温存しているだけよ」
レーシーはぎょろりとした大きな目をミュールに向け、口元を細く広げ気味の悪い笑顔を作った。
「まぁ温存するのもそろそろ終わりよ、ガジャン達はもうしびれを切らすわ」
「え?」
ガジャンとポン・カーティスは少し離れたところにいるファニートレントを倒していた。
今いる場所は通路。
ガジャン達のいる方向は右に曲がる角になっている。その先はまだ未探索だ。
「ちっ」
こちらをちらりと見たガジャンが舌打ちした。
途端、ガジャンとポン・カーティスはすでに完成させていた魔法を発動した。
「エア・バースト!」
「ポイズンクラウド!」
ガジャンの引き起こした風の放射がポン・カーティスの有毒性の雲を乗せてミュール達に襲いかかった。
「ウィンドバリア!」
ミュールはすぐに全員分の空気の結界を周囲につくり、毒を含む風の殴打を無効化する。
「な!? ガジャン! こっちには私達がいるのですわよ! 気をつけてください!」
エステルはまだ状況を理解していない。ガジャン達が魔法を誤爆したのだと思っている。
「エステル動かないで! ラファエラ!」
「こっちは任せろ!」
すぐに状況を理解したのか素早くラファエラがエステルをかばい、風の攻撃魔法を連射する。
「ヒートサンドウォール!」
だがポン・カーティスの唱えた魔法によって作られた砂の壁がラファエラの魔法を阻んだ。
さらに攻撃を受けた砂の壁は、反射として炎を吹き出した。
次の瞬間。大気が爆発した。
「ワシのポインズンクラウドは可燃性なのじゃよ。これで終いじゃ」
ポン・カーティスは哄笑した。
これまで多くの敵を屠ってきた、ポン・カーティス必殺の魔法だ。
が、煙の中から魔法で作られた矢が飛び出し、砂の壁の半分を削り飛ばす。
「なに!?」
「その程度で勝ち誇るなんて、あなた大したことないんじゃないの?」
「あの爆発の直撃を受けて無傷じゃと!?」
ミュールのバリアは、ガス爆発の直撃を受けても一切傷つくこと無く耐えていた。
ポン・カーティスの顔が屈辱で歪む。
「大したやつじゃて」
「まっ、これくらいは想定の範囲内だ」
ガジャンが笑う。
「お前の魔術書は素晴らしい、もしかしたら俺たちも、まともに戦えば負ける可能性があるのかもしれない。だが、俺たちは深淵を知り尽くしている、言わばここは俺たちの庭だ」
得意げに語るガジャンは、今も自分たちの勝利を確信しているようだ。
「随分余裕だけど、次の魔法であなた達の守りは打ち破る。それで私達の勝ちよ」
「果たしてそうかな。深淵のモンスターは恐ろしいぞ」
「何を言って……!?」
その時、ミュール達は地響きを聞いた。
ダンジョン全体が震えているかのような音だ。
「地震?」
「ファニートレントは弱いが、一つだけやってはいけないことがあってな」
「…………」
「火だ。彼らは自分たちのコロニーに火がつく可能性を察知した時、大群となってその火を押しつぶしにくる。その暴走は、嵐で起こる洪水のようなものだ。水を止めることができないのと同様に、俺の烈風をもってしても、あれは止められん」
ミュール達は背後に巨大な気配を感じた。
振り返るとそこには、見上げるほどに大きな、うごめく壁があった。
「なっ……」
ラファエラも絶句する。
その壁はファニートレント達が重なり合ってできたものだ。
一体一体は恐ろしくもないファニートレントも、こうして重なり合うと、巨獣と対峙しているかのような威圧感と絶望感があった。
木でできた身体をきしませ、ファニートレント達は熱源であるポン・カーティスの砂の壁を目指し前進する。
「ガジャン! ポン・カーティス! 一体、なんで!!」
エステルが叫んだ。
ガジャンは呆れたように笑った。
「おいおい、お嬢様、この状況に至ってまだご理解いただけ無いので?」
「……なんで」
「あんた見たいな落ちこぼれに付き合ったのは金のため、そして報酬より儲かる手段があるのなら当然そちらを選ぶのみだろう」
「私を、この偉大なるコーレシュの孫である私を! 騙したと言うの!」
「ははっ、コーレシュの孫といっても、賢者の塔から追い出されたお嬢様にどれだけの権威があるというんだ? お嬢様が死んだことで、コーレシュも家の恥がいなくなったと喜ぶだろうよ」
「き、貴様!!!」
あまりの屈辱にエステルの顔が青くなった。
目には涙すら浮かんでいる。
「さてミュール、どうする?」
ネクロノミコンが言う。
ミュールは右手をファニートレント達にかざした。
その様子を見てポン・カーティスも笑った。
「くくく、大した魔術師だ、まだ諦めていないと見える」
ミュールには確信があった。
この状況すら、自分の魔法は突破できると。
心の中に燃え上がるものがあった。
ポン・カーティスの起こした有毒の煙を燻る暗い炎ではなく、きっとそれはエステルの瞳に宿っていた輝ける火と同質のものだと、そうミュールは感じていた。
左手に抱えたネクロノミコンがその魔力を感じ喜び、震えた。
「あとはそれを放つだけだ、現代魔術師どもに見せてやれミュール、これが本当の魔法だと」
ミュールはただ一言、その魔法を唱えた。
なんのことはないただの中級魔法。
だが、ここにいた魔術師すべてが、その魔法を生涯忘れないだろう。
「ファイアーボール」
爆発という現象を引き起こす古い魔法。
だが、その現象は爆発と表現するにはあまりに規格外すぎた。
ファイアーボールは魔法の範囲内で爆発を引き起こす。
まずそこに白い輝きが生じた。
膨大な熱量にさらされ、ファニートレントも床も壁も、えぐり取られたように消滅した。
魔法の有効範囲内で、存在できるものは何もなかった。
次に物理現象として、爆発によって生じた熱が、周囲に一気に拡散した。
空気が音速で膨張した証である雷鳴すらとどろき、後ろに控えるファニートレントや、ミュール達の後方にある砂の壁をなぎ倒した。
最後に、拡散した熱はそれでもなお膨大で、大気は物体を自然発火させるのに十分すぎる熱量を持っていた。
「ひっ、うぐぎやああああああ!!!」
ガジャン達は人間のものとは思えない悲鳴を上げる。
彼らは大気が燃えていると錯覚していた。
実際に彼らの呼吸した空気によって身体の内側から燃えていったのだから、そう間違った理解とはいえない。
二人はすぐに真っ黒に燃え尽きる。
「だから俺はあの時、そう試験の時に言ったんだよ、ファイアーボールは使うなと」
ネクロノミコンは実に楽しそうにそう呟いたのだった。
間に合わないはずだったのですが、待たれていると思うと、思ったより筆が進むものですね。
みなさんのおかげです。




