第六十話 戦勝
戦いは終わった。陣幕を張り作った指揮所の中でセラムとカルロは戦後処理を指示していた。
「死体はかためて焼け」
セラムはコンテナに腰掛け息を絞りだすように言った。
「我々は急いでいるのでは?」
「使える矢は死体からでも引き抜いて使う。点呼をとり消耗した部隊は再編成する。物資を整理し負傷した者を手当する。どのみち後処理はしなければならんのだ。それくらいの手間が増えても大して変わらん。放置しておくと川の水は飲めなくなり疫病が流行る事になるぞ」
セラムの苛立った声に部下の兵は恐縮してすぐさま動く。
今回の戦闘は精神が締め付けられるようで相当に消耗した。二度と持久戦はやりたくない。殺気立った集団がじりじりと迫ってくるのも敵味方の兵が物言わぬ死体に変わっていくのを見るのも御免だ。とはいえそんな弱音を表に出す事は許されないので剣を杖代わりにして最低限の威厳を保つ。
兵達が川の死体の山をどかしている様子を見やり嫌な想像が巡る。あそこでヴィルフレドが来てくれなかったら自分はあの死体の山に仲間入りしていただろうか。考えるだに恐ろしい。
「セラム少将、ヴィルフレド大佐が来られました」
カルロの言葉に顔を上げる。青年が馬から降りて脱いだ兜を小脇に抱える。光差す金髪が風にたなびく姿が憎らしいほど様になる美形だ。
「少将、此度は命令違反をしてしまいました。謹んで処罰を受けます」
ヴィルフレドが予想外の事を言ってきた。彼がした事は戦場の現場の判断であり、間違いなく手柄だ。罰せられるような事は何一つ無い。慎み深いのはヴィルの美徳の一つだな、とセラムの中で株が上がる。
「独断専行の事か。僕は我が隊の後を付いて来いと言っただけ、必ずしも後ろにぴったりと付いて来る必要はない。あれくらいなら命令違反という程ではない。それよりヴィルのお陰で僕らは助かった。礼を言う事はあっても罰を与える事はないよ」
何故かヴィルフレドが一瞬残念そうな顔をする。
「何より川を封鎖しない判断が良かった。終始敵兵の視界外にいたから敵も川に逃げ込んだ。もし逃げ場を無くしていたら決死でこちらに向かってきたかもしれん」
「いえ、私はそれ程の事は……」
褒めているのにヴィルフレドは実に謙虚な態度で畏まる。やはり彼に一軍を任せたのは正解だったとセラムは思う。ヴィルフレドの口から「農園が……」と呟きが聞こえた気がしたが意味はよく分からなかった。
その時、死体の片付けをしている兵の中から一際大きな声が聞こえた。
「おお! この矢は俺が射たものじゃないか。こりゃあ大将首だなあ!」
「今のは?」
「……どうやら矢を回収中の兵の一人ですな。自分の矢に印を付けておいたみたいで。黙らせますか?」
「いや、いい」
そう言っている間にもその兵士が騒ぎながらこちらに向かって来た。
「ショーグン、敵の大将討ち取りましたぜ!」
「貴様、口の聞き方を……っ」
「カルロ、構わん」
激昂するカルロを制してセラムが兵士の姿を確認する。声に見合った大柄な男だった。敵将の死体を軽々と担ぎ上げ歩いてくる。セラム達の所まで来るとその戦果を傍らに置き敬礼をする。獲物を見せびらかすその姿はまるで大型の猫科動物のようだ。
「将軍職は失くなって僕は少将だが」
「すいません。癖になってまして。ええっと、タイショー」
「少将だというのに。……まあいい、名前と階級は?」
「バッカス一等兵でありマス!」
「この国では珍しい名だな」
「出身がノワール共和国でして」
正規の軍人とは思えない粗野な男だ。正直山賊だと言われても信じてしまう。寧ろその方が説得力がある程だ。
バッカスの横の死体を見る。望遠鏡のレンズ越しに見た顔だ。
「確かに敵の指揮官だった男だ。あの混戦の中、運が良いな。見たところ腕に自信があるようだが」
「自慢じゃあありませんが武芸百般、特に槍と弓には自信がありますぜ。一対一なら負けなしでさあ!」
「ほう、すまんがそれ程の者の名を今まで聞いたことがない。バッカス一等兵はいつから入隊した?」
「元は傭兵だったんですが先の大戦で所属していた傭兵団が解散の憂き目にあいまして。避難民と一緒に流れてきたんですが……その、まあ食い詰めまして。軍に入隊してノエ砦に配置されておりました」
ノエ砦。ダリオの反乱の折、籠城に使われた砦である。
「ということはあの時投降した兵の一人か」
「はい。あの時にタイショーの演説を聞いて以来タイショーにぞっこんです! もうタイショーが来てから勝ち戦ばかりで気持ちいいのなんの。傭兵してた頃なんて使い捨てられてましたからねえ」
「貴様、言葉遣いを正さんか!」
横で聞いていたカルロが我慢出来なくなったようだ。セラムはそれ程気にしないが軍隊の規律というものもある。セラムの前でなければ手が出ていただろう程カルロが怒ると流石にバッカスもしゅんとして縮こまる。その様もまた大きな猫のようだとセラムは思った。
「カルロ、そのへんで」
「はっ」
「バッカス一等兵」
「はい!」
「此度はよくやった。我々は未だ戦争の途中だ。傭兵の時のようにすぐには褒美をやれんが首尾よくヴィグエントを解放したその時、君がまだ生き残っていたら褒美は約束しよう。その時までに更なる手柄を立てるよう期待する」
「ありがとうございます!」
バッカスはそう言って再び片付けに戻る。カルロもヴィルフレドも嵐が過ぎ去ったかのように溜息をついた。
「騒がしい男でしたね」
「まったく、下士官に再教育をさせておきます」
「まあまあ、あんな男がいても面白いじゃないか。何事にも程度はあるが僕も堅苦しいのは好きじゃないしな。それに猫のようで可愛いだろう?」
「ネコって……」
「あれはむしろライオンですね」
二人にはいまいち同意を得られないようだ。呆れた顔が二つ並んでいる。
「違いない」
セラムは苦笑した。感じていた疲れは先程の嵐に吹き飛ばされていた。