17.アードの癇癪
「ねえ? つまみはまだ出来ないのかい? 早く持ってきてくれよ」
普段ボソボソと話すユークが、今ははっきりと艶めかしい声を上げている。いつもはおとなしいユークが、キャバクラの個室の主人になっている様を見て、私たちは空いた口が塞がらなかった。
「ごめんなさい。でもぉ、ユーク様にはあたしたちがいるでしょう? それともぉ、あたしたちだけじゃ不満なの……」
「そんなことはないさ。君たちは十分にボクを楽しませてくれているよ」
ユークは彼に肌を寄せ、誘惑する女たちの頭を撫でて嗜める。よく見ると、ユークの顔はアルコールで真っ赤に染まっていた。
「ねぇセレナ。これってどういうこと? ユークさんってお酒を飲んだら人が変わるの?」
「わたしに聞かれても困るよ! わたしだってこんなユークさん初めて見たんだから」
個室内の艶美な光景に当てられて顔を赤らめるセレナは頭を抱えてしまった。
「とと、とにかく帰ろうよ。ユークさんが何か悪いことをしてたわけじゃないんだし」
「そ、そうね。私も人の趣味をとやかくいうつもりはないわ。それよりも、子供の私たちがこんなところで見つかる方が問題……」
カツンッ……カツンッ……。
不意に背後からハイヒールが地面を打つ音が鳴り響く。
いくら透明になっているとはいえ、今ぶつかったらバレる!
「セレナ、帰るよ」
「ちょっ……ルヴィア?」
私はセレナに囁くと、もう一度セレナをお姫様抱っこして廊下を走り抜けた。そうして店を出ると、私はすぐに黒い翼を生やしてガーランド辺境伯邸へと飛んだ。
***
「セレナ、ルヴィアさん。おはよう」
翌朝、私たちが朝食を取りに食堂に行くと、すでにアードとその護衛をするゼルとユークが食事を摂っていた。
「おはようございます」
「おはようですゼルさん、それに……ユークさん」
「……? ボクが……どうかしたか?」
普段通りの無口な黒髪の青年に戻ったユークは、言い淀んだセレナに首を傾げる。するとセレナは慌てて手を振った。
「な……なな、なんでもないですよ!」
「……? そうか……」
セレナはわかりやすいわね。……そういえば、あの話はどうなったのかな?
「ゼルさん。私と剣の手合わせをしてくれるという話はどうなったのですか?」
「ああ……そのことだが、今日の夜なんてどうだ?」
「わかりました。空けておきます」
これでようやくまともな相手で私の剣術を試せる! 今夜が楽しみね。
「おいおまえたち! 今は誰の護衛か忘れたのか? オレの前で雑事を語るとは、護衛としての自覚が足りんぞ!」
アードの癇癪にいち早く反応したのはゼルだった。彼はすぐに頭を下げて、謝罪を述べた。
「申し訳ございません」
「フンッ……わかれば良いのだ。オレは寛容だからな。許してやる。だが、失態には罰がつきものだろう?」
不吉なことをいうアードは、ノアの首についた鎖を引っ張り、苦しむノアを踏み台にして私たちを見下ろした。そして、私以外の三人は冷や汗を流し、アードの言葉を待つことしかできなかった。
「そうだな……よし、ルヴィア。今回の失態はおまえに償ってもらうぞ。オレが食事を終えたらついてこい」
はぁ……面倒なことになったな。このバカ王子に付き合わされるのか……。
「アード殿下! お言葉ですが処罰は今回の依頼で責任者になっている俺が……」
止めようとするゼルをアードが睨み、口を開こうとしたが、私はそのタイミングに合わせて返事をした。
「わかりました。殿下にお供すればよろしいのですね?」
「ルヴィア、止めたほうが……」
心配してくれるセレナを手で制止し、私はアードの元に歩み寄った。
「フンッ……確かな実力があり、物分かりもいいとは……おまえ、気に入ったぞ」
こんなに嬉しくない褒め言葉、初めてかも……。
新しい玩具を見つけた子供のような目で私を褒めるアード。私は彼に内心ため息を吐き、ノアとともにアードの後に続いて屋敷の庭に出た。
「それで、私は何をすれば?」
「フンッ……まずは適当におまえの魔法を見せてみろ」
「はぁ、わかりました」
私は手のひらを前に突き出し、屋敷の屋根よりも高い、巨大な氷塊を生成する。そして、それをウィンドカッターで両断して見せた。
「さすがはオレが認めただけのことはある! よし、おまえの魔法の威力は見たからな。次は精度の方を見せてくれ」
そういうとアードは虚な目をしたノアの鎖を引くと、私から十数メートル離れた位置に座らせた。そして、ノアの頭に赤い果実を乗せると、得意げにルール説明を始めた。
「次はこの果実を撃ち抜いて見せろ」
趣味悪いな……。
私の手元が少しでも狂えばノアが死ぬ。かと言って、アードは自らの手を汚すことはない。つまり、アードはなんのリスクもなく、命がかかった緊張感を味わえるということだ。
でも、私の魔法がノアさんに当たることなんて、万に一つもあり得ない!
私は鉛筆くらいの大きさの氷柱を生成し迷わず射出した。
ズドンッ!
弾丸よりも早い氷柱は正確に果実の中心を捉え、ノアには掠りもしなかった。だがその結果を見て、アードは不満そうに口を曲げた。
「なんだ……つまらん。まるで危なげがないではないか」
アードにつまらなそうな目を向けられたノア。彼女は私が氷柱を撃った時も眉ひとつ動かさず、全てを諦めたような目をしていた。
ノアさん、もう心が壊れかけてる……でないとあんな、顔面に向かってボールが勢いよく飛んできた時みたいな状況で無表情なんてできないよ。
私がノアに対して憐れみの目を向けていると、横からアードが何かよからぬことを思いついた声を上げた。
「フンッ……妙案が思いついたぞ。次はオレが奴隷の前に果実を幾ばくか投げる。おまえはそれを射抜け」
「……わかりました」
私が頷くのを見たアードは、すぐさま手に持った五つの果実をノアに向かって放り投げた。それらの果実とノアとの間はほんの僅かしかなく、普通に射抜けばまず間違いなくノアごと貫くことになっただろう。
まあ、氷柱の軌道を曲げることくらい簡単なんだけど、あんまり簡単そうに当てるとまたアードがうるさそう……ノアには悪いけど、薄皮一枚掠らせる。
私の指先から音速を超えた氷柱が五本、曲線軌道を描きながらそれぞれ果実を貫く。そして、そのうちの二つがノアの二の腕とふくらはぎを掠った。そのかすり傷からは血が滲んできたというのに、それでもノアはなんの反応も見せなかった。
「チッ……」
アードは無反応のノアに舌打ちし、彼女の柔らかな顎を指で無理やり持ち上げた。
「本当につまらんな貴様は……そろそろ奴隷の替え時か?」
アードは舐め回すようにノアの全身を見ると、彼女を蹴り倒して私に向き直った。
「ルヴィア、貴様はもうよい。先ほどの不敬は見逃してやる。さっさとオレの護衛を連れてこい」
私は庭にノアとアードを残して、屋敷の中へ戻った。
アードがノアさんに飽きてきているわね。おそらくアードがノアさんを捨てるのももうすぐ……そうしたら私が拾ってあげよう──滅国のためのしもべとしてね。
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