第171話
異世界『ネオ・ジャパン』、南の大陸。
日本政府が建設した前哨基地『アマテラス・ベース』の一角に設けられた簡易放牧場では、今、歴史的な――そして少し微笑ましい異文化交流が行われていた。
南国の強い日差しが降り注ぐ中、柵の中では体長八メートル、体重六トンはあろうかという巨大な生物たちが、のんびりと草を食んでいる。
三本の角と、首を守る巨大なフリル。
地球の白亜紀に生息していたトリケラトプスによく似ているが、その皮膚は岩のようにゴツゴツとしており、角の先端からは時折、青白い魔力の火花がパチパチと弾けている。
この大陸独自の進化を遂げた角竜類、通称『魔角竜』たちである。
その巨体の周りには、迷彩服に身を包んだ陸上自衛隊の隊員たちが群がり、デッキブラシで皮膚を擦ったり、巨大なボールで遊んだりと、まるで休日のドッグランのような光景が広がっていた。
「……ほら、タロウ。こっちだ」
飼育担当の三等陸曹が、バケツ一杯の果物を差し出す。
『タロウ』と名付けられた群れのボス格は、「ブモォ……」と甘えたような声を出し、その巨大なクチバシで器用にリンゴを啄んだ。
「……隊長、見てくださいよ。こいつら、本当に大人しいっすね」
三曹が柵の外で見守る郷田陸将補に、声を弾ませる。
「……正直、最初はビビってましたけど、餌付けを始めて三日でこれですよ。
……こいつら、乗り手の気持ちを理解してくれるというか、言葉じゃなくて『気配』で通じ合える感じがするんです」
「……魔力感応能力というやつか」
郷田も腕を組みながら、感嘆の声を漏らした。
「……よし、じゃあ次はアレ、いってみますか?」
三曹がニヤリと笑い、背後に置いてあった特注の鞍を指差した。
三曹はタロウの背中に手をかけ、ひらりと飛び乗った。
タロウは一瞬だけ驚いたように体を揺すったが、三曹が首筋を優しく叩くと、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……よし、ゆっくり歩け」
三曹の膝の合図に応じ、六トンの巨体が静かに動き出す。
「……おお……!
……視界が高い! そして安定してる!
……隊長! これ最高っすよ!
……戦車より視界が広くて、装甲車より小回りが利く!」
その様子を柵の外から、興味深そうに眺めている一団がいた。
この基地に駐留し、日本と協力関係にあるアステリア王国の赤竜騎士団長ヴォルフガングと、エルフ族の代表である少女リナたちである。
「……ほう! 見事なものだな!」
ヴォルフガングが感心したように、豊かな髭をさすった。
熊のような巨躯を誇る歴戦の騎士団長は、自衛隊員があっさりと乗りこなしている光景に、戦士としての好奇心を隠そうともしない。
「……我々の大陸にも地竜は生息しているが、あれほど従順な種は稀だ。
……多くは気性が荒く、人を乗せるなど論外。
騎竜として調教するには、卵から孵して十年はかかると言われているのだが……」
彼は郷田に向き直った。
「……郷田殿。私も試させてもらっても構わぬかな?
……騎士として、この新たなる騎獣の背中、味わってみたい」
「……ええ、どうぞ、ヴォルフガング団長。
……彼らは友好的ですから、団長ならすぐに乗りこなせますよ」
郷田の許可を得て、ヴォルフガングは放牧場の中へと入っていった。
彼は礼儀正しくタロウの前に立ち、一礼してから、その背に跨った。
その巨体が乗っても、タロウはビクともしない。
「……ふむ。揺れが少ない。
……馬よりも背中が広く、安定感があるな。
……これなら、馬上での槍試合や弓射も容易だろう」
ヴォルフガングは手綱を操り、軽く走らせてみた。
ドスドスという重厚な足音と共に、風を切る。
「……馬力も段違いだ!
……これならば、フルプレートの重装備をした騎士を乗せても、何日でも行軍できそうだ。
……素晴らしい! まさに生ける戦車だな!」
ヴォルフガングは豪快に笑った。
一方、エルフのリナは別の方法で魔角竜とコミュニケーションをとっていた。
彼女は騎乗する前に、タロウの子供と思われる小さな魔角竜の額にそっと手を触れ、何かを囁いた。
精霊魔法による意志疎通だ。
「……(貴方の背中、とても温かいわね。……風になりたい?)」
子供の魔角竜が「キュウ」と甘えた声を出す。
リナがふわりと背中に乗ると、魔角竜は誰よりも滑らかに、そして静かに歩き出した。
「……彼らは、とても寂しがり屋で、でも好奇心が旺盛ね」
リナは魔角竜の首を撫でながら、優しく微笑んだ。
「……日本の人たちの『魔力』は微弱だけど、その分、純粋な『好意』が彼らに伝わりやすいみたい。
……敵意を持たず、仲間として接してくれているのが嬉しいのよ」
「……なるほどな」
ヴォルフガングが頷く。
「……この『竜の巣』と呼ばれる大陸は、我々の間では『凶暴な竜が住まう禁足地』として有名だったが……。
……まさか、その主たちがこれほど賢く、友好的だとは。
……やはり伝承とは当てにならぬものだ。来てみなければ分からぬな」
◇
放牧場の柵の外では、そんな和やかな光景を一人の男が、双眼鏡を片手に食い入るように見つめていた。
国立科学博物館の古生物学者、万丈目教授である。
彼は手帳に猛烈な勢いでスケッチとメモを書きなぐりながら、ブツブツと独り言を漏らしていた。
「……ケラトプス科の新種……。
魔力による皮膚の硬化、角の巨大化……。
……だが、私の興味は家畜化された彼らにはない!」
彼は視線を北の森の奥深く、青く霞む山脈の方角へと向けた。
そこはまだ誰も足を踏み入れていない、未踏の領域だ。
「……奥の肉食恐竜は、まだドローンによる遠距離からの目視でしか確認できていませんが……。
……この草食恐竜たちの様子を見ていると、彼らもまた我々の想像とは違う進化を遂げている可能性があります」
隣にいた東郷交渉官が、缶コーヒーを飲みながら気楽そうに言った。
「……そうですね。
……草食獣がこれだけ賢くて友好的なら、肉食獣の方も意外と話が通じたりして?
……この調子だと、大人しいかもしれませんよ?
……共存できるなら、それに越したことはないですし」
その楽観的な言葉に、万丈目は鋭く反応した。
「……いや! それは楽観的過ぎる!」
教授の目が学者の冷静さをかなぐり捨てて、ギラリと光った。
「……東郷さん、生態系というのはバランスだ!
……被食者(草食獣)がこれほど強靭で賢いのなら、それを捕食する者(肉食獣)は、さらに強く、さらに狡猾でなければならない!
……彼らは殺すために進化し、狩るために魔力を得た純粋な戦闘生物だ!
……大人しいはずがない!
むしろ我々が近づけば、最高の『餌』として認識されるだろう!」
万丈目は興奮して唾を飛ばした。
「……ティラノサウルス・レックス……いや、それ以上の『魔獣王』が、あの森の奥には必ずいる!
……ああ、近くで観察したい……!
……その捕食行動を、咆哮を、この目で見たいッ……!」
彼の「観察したい」という言葉は、ほとんど「食われてもいいから会いたい」という狂気じみた響きを持っていた。
郷田が慌てて釘を刺す。
「……駄目ですよ、教授。
……危険過ぎます。
……いくら学術調査でも、生身であの森に入るなんて自殺行為です」
「……分かっている! 分かっているが……!」
万丈目は地団駄を踏んだ。
目の前に宝の山があるのに、指をくわえて見ているしかない、もどかしさ。
「……なら空からだ!
……空からなら安全に観察できるはずだ!
……もっと航続距離が長くて、有人で機材を積める航空機が必要なんだ!」
彼は基地の滑走路予定地(まだただの草地だが)を指差した。
「……空から見たいですけど、航空機をゲートに通すのは、まだ無理ですね……。
……今のゲートの大きさじゃ、翼が引っかかる……」
現在の『界穿ゲート』は、幅二十メートル、高さ十メートル。
トレーラーや戦車なら余裕で通れるが、主翼のある飛行機となると話は別だ。
「……ゲートの大きさが足りない……。
……いや、翼を分解して持ち込めば?
……あるいは超小型のライトプレーンなら、行けるのでは?
……今度、本国に申請してみよう!
……『資源探査のために必要だ』と言えば、予算も降りるはずだ!」
万丈目は名案を思いついたとばかりに、目を輝かせた。
だが郷田は渋い顔をして、空を見上げた。
「……まあ、確かに航空戦力は欲しいところですが……。
……教授、空には別の問題があります」
「……問題?」
「……翼竜ですよ」
郷田は空を指差した。
遥か上空を数羽の怪鳥が旋回しているのが見える。
先日ヴォルフガングたちが撃退した群れの生き残りか、あるいは別の個体か。
「……あー……翼竜か……」
万丈目は呻いた。
「……小さい飛行機だと、彼らにとって格好の『餌』だと思われそうですね……。
……エンジン音で引き寄せられて、空中で襲撃されたら、ひとたまりもない……」
万丈目は悔しげに地面を蹴った。
空も陸も塞がれている。
その時、恐竜から降りて戻ってきたヴォルフガングが、不思議そうに口を挟んだ。
「……む。先ほどから『巨大な肉食獣』の話をされておるようだが……。
……万丈目殿は、もっと大きな獲物をお探しかな?」
「……ええ、まあ。
……この大陸の頂点に立つような生物を」
「……ふむ。ならば心当たりがあるぞ」
ヴォルフガングは神妙な面持ちで、北の山脈を指差した。
「……我々アステリアの古い伝承には、この『竜の巣』の最奥には、さらにとてつもない『主』がいると記されておる」
「……主?」
「……うむ。
……伝承では、体長が100メートルを超えた恐竜……いや、もはや生物の枠を超えた『巨神』もいるとか。
……口から青白い熱線を吐き、山をも砕く破壊の化身であると……。
……神話の時代、神々さえも恐れた存在だ」
「……100メートル……!?」
その数字に東郷と郷田は顔を見合わせた。
生物学的にありえないサイズだ。
地球史上最大の恐竜であるアルゼンチノサウルスでさえ、全長は30〜40メートル程度。
100メートルとなれば、それはもはや生物というよりは……。
「……ゴジラかな?」
郷田が思わず呟いた。
「……それは無理……。生物として自重を支えきれない……。
……いや、魔法のある世界なら、あり得るのか?
……魔力で自重を支え、熱線を吐く……。
……完全に怪獣映画の世界だぞ」
ヴォルフガングが不思議そうに首を傾げた。
「……ごじら?」
聞き慣れない異国の言葉。
「……それは貴国に伝わる神獣の名かな?」
「……ええ、まあ。
……我々の世界には『特撮』という文化がありましてね」
東郷が苦笑混じりに説明する。
「……架空の怪獣の物語でして……。
……海から現れ、都市を破壊し、そして去っていく。
……荒ぶる神の化身のような存在です」
「……怪獣?
……架空の物語……?」
ヴォルフガングは目をぱちくりとさせた。
彼らにとって魔物や巨獣は「現実の脅威」であり、命を懸けて戦う対象だ。
それを「架空の物語」として楽しむ?
「……わざわざ、そんな恐ろしいものを想像して楽しむのですか?
……ニホンの民は、随分と豪胆な精神をお持ちなのですね……。
……我々なら、そんな物語を聞いただけで夜も眠れなくなりますが」
ヴォルフガングは感心したように、そして少し引いたように言った。
リナもまた、「人間の考えることは分からないわ」といった風に肩をすくめている。
だが万丈目教授だけは違った。
「ゴジラ」という単語と、ヴォルフガングの「100メートルの伝承」を聞いた瞬間、彼の目が再び怪しく輝き始めたのだ。
「……100メートル級の巨大生物……!
……魔力による巨大化、進化の極致……!
……『怪獣(KAIJU)』の実在……!
……これは……これは古生物学の枠を超えた、惑星生物学の領域だ……!」
彼は震える手で手帳に新たな仮説を書き殴り始めた。
空想が現実に追いついた瞬間。
学者のロマンは留まるところを知らない。
アマテラス・ベースの午後は、恐竜の鼻息と、学者の絶叫、そして異文化間の奇妙なすれ違いと共に過ぎていくのだった。




