第128話
賢者・猫が日本の国家中枢に、あまりにも巨大で、そしてあまりにも魅力的な「宿題」を投げつけて去っていった後のことである。
東京千代田区永田町。
総理大臣官邸の地下深くに位置するプロジェクト・キマイラの作戦司令室は、これまでの「神話創造」や「外交戦」とは全く質の異なる、一種異様な、そしてどこか学園祭の前夜のような、むせ返るほどの熱気に包まれていた。
部屋の換気システムが悲鳴を上げるほどに充満するコーヒーの香り、焦燥感、そして濃密なオタク的知識の奔流。
巨大な円卓を囲むのは、宰善茂総理大臣、橘紗英理事官、綾小路俊輔官房長官といったいつもの顔ぶれだけではない。
本日緊急招集されたのは、日本が誇る「妄想」と「知識」のスペシャリストたち、総勢五十名余り。
ハードSF界の巨匠・天城蓮。
ライトノベル界の若きカリスマ・神風カイト。
歴史学の泰斗・渋沢正臣。
さらには国土交通省の都市計画技官、資源エネルギー庁の地質学者、農林水産省の品種改良の権威、文化人類学者、進化生物学者、そして国立科学博物館の古生物研究員まで。
彼らは皆、突然の呼び出しに戸惑いながらも、提示された議題のあまりの壮大さと、そして「自分たちの妄想が現実になるかもしれない」という抗いがたい魅力に、その瞳をギラギラと輝かせていた。
壁一面に設置された巨大なホワイトボードの前には、上着を脱ぎ捨て、ワイシャツの袖をまくり上げた綾小路官房長官が立っていた。
彼の手には黒・赤・青のマーカーが握られている。
「……皆様。時間は限られております」
綾小路の声が、司令室に響き渡った。
いつもの皮肉めいた響きはなく、そこにあるのは、未曾有のプロジェクトを進行する司会者としての、鬼気迫るような真剣さだった。
「賢者様への回答期限は刻一刻と迫っております。
我々が提出すべき成果物はただ一つ。
『我々日本人が最も幸福になれる異世界の要件定義書』。
……これよりその詳細仕様を決定するためのブレインストーミングを開始します!」
「おおおおおっ!!!」
作家陣や一部の若手官僚から、野太い歓声が上がる。
宰善総理は腕を組んでその光景を見守っていた。
彼の胃はキリキリと痛んでいたが、同時に奇妙な高揚感も感じていた。
これは国造りだ。
それもしがらみだらけの地球上ではなく、真っ白なキャンバスに理想の国を描くという、政治家としての究極の夢だ。
「ではまず【環境・物理条件】から参りましょう」
綾小路が、ホワイトボードの左端に大きく項目を書いた。
すかさず手を挙げたのは、SF作家の天城蓮だった。
彼は、まるで学会で自説を発表するかのように、早口でまくし立てた。
「大前提として、物理定数の同一性は絶対条件です!
重力加速度9.8m/s²、大気圧1気圧、酸素濃度約21%。
プランク定数から微細構造定数に至るまで、地球と完全に同じでなければなりません!」
「……その心は?」
「人体への影響です!
低重力環境下での骨密度の低下、あるいは高重力下での循環器系への負担。
これらを解消するための遺伝子操作やサイボーグ化技術が確立されていない現状、我々が生身で移住するには『第二の地球』である必要があります。
魔法があるからといって物理法則までファンタジーであっては困るのです!
水は100度で沸騰し、リンゴは木から落ちる。
この常識が通用しない世界では、我々の科学技術はゴミ屑と化します!」
「……もっともですな」
資源エネルギー庁の技官が頷く。
「エンジンの燃焼効率や半導体の動作。
全ては地球の物理法則を前提に設計されています。
異世界に行っていきなりスマホが爆発したり、車が動かなくなったりしては、文明生活が維持できません」
「よし、採用!」
綾小路がボードに書き込む。
『・物理法則、重力、大気組成は地球と同一であること』
「次は【気候】です」
農水省の専門家が、切実な顔で立ち上がった。
「日本の四季! これが必要です!
特に稲作に適した温暖湿潤気候!
ジャポニカ米が育たない土地など、日本人にとっては不毛の大地も同然です!」
「しかし、北海道のような寒冷地や沖縄のような亜熱帯も捨てがたい」
観光庁の役人が口を挟む。
「リゾート開発や多様な農産物の生産を考えれば、日本列島のように南北に長い、あるいは標高差による気候のバリエーションがある土地が望ましいでしょう」
「……贅沢を言えば、災害は少なめでお願いしたいですね」
国土交通省の技官が苦笑する。
「地震、台風、火山噴火。
……これら『日本の美しい四季』の負の側面までは、わざわざ輸入する必要はないでしょう。
地盤は安定しており、気候は穏やか。
……まあ、たまに雪が降るくらいの情緒はあってもいいですが」
「よろしい。では『日本と同様の四季と植生を持ちつつ、地質学的に安定した土地』としましょう」
「続いて【言語】の問題ですが……」
綾小路が次の項目に移ろうとすると、外務省の官僚が手を挙げた。
「先住民とのコミュニケーションコストが懸念されます。
翻訳チームの編成には時間が……」
「あ、それなら大丈夫です」
橘紗英が冷徹に切り捨てた。
「賢者様より、例の『万能翻訳機』のサンプルを頂いております。
解析班によれば、あれは脳波に直接干渉し、概念を言語化するシステムのようです。
つまり、相手が『音を発する言語』を使い、意思疎通を図る知性さえ持っていれば、日本語で会話が可能になります」
「……なんと。便利なものですな」
「では言語については、『発声器官による言語コミュニケーションが可能であること』のみを条件とします。
……さて」
綾小路は一度言葉を切り、会場を見渡した。
その目がギラリと光る。
「……ここからが本番です。【先住民族・知的生命体】について。
……どのような隣人を望むか?」
その瞬間、会議室の空気が一変した。
それまでおとなしくしていた「物語の専門家」たちが、一斉に身を乗り出したのだ。
「エルフッ!!!」
神風カイトが、開口一番魂の叫びを上げた。
「エルフです! これだけは譲れません!
金髪碧眼、長い耳!
森の奥で弓を構える高潔にして美しい種族!
ファンタジー異世界の象徴!
彼女たちがいない世界なんて、醤油のない刺身、いや炭酸の抜けたコーラです!」
「……また君か」
天城蓮が呆れ顔で言う。
「……君の言うエルフとはトールキン型か? それとも日本のアニメ的変種か?
寿命の問題や、人間との交配可能性についてはどう考えている?」
「細かいことはいいんですよ!
とにかく『美しい』! これが重要なんです!」
カイトは熱弁を振るう。
「我々日本人が異世界に行く動機、その50%はエルフの姫君とのロマンスにあると言っても過言ではありません!」
「……過言だよ」
総理がこめかみを押さえるが、カイトは止まらない。
「それに猫耳! 猫耳も必須です!」
「……猫耳?」
「はい! ネコミミです!
獣人属性は、現代日本のサブカルチャーにおける一大ジャンル。
国民の癒やし、そして明日への活力のために、猫耳美少女の存在は国家戦略レベルで重要なんです!」
「……ふざけているのかね君は」
防衛省の背広組が不快感を露わにする。
「我々は植民地の選定をしているのだぞ。そのような非科学的な……」
「非科学的?」
カイトが食って掛かる。
「賢者様を見てくださいよ! あのお方は猫ですよ!?
ということは、あのお方の創造した、あるいは管理する世界に猫の要素を持つ種族がいないわけがない!
むしろ猫耳族を要求することこそが、賢者様への信仰告白になるんじゃないんですか!?」
「……む」
その指摘に、数名の官僚が言葉に詰まる。
「……確かに。賢者様は猫のお姿を好んでおられる……」
「……猫耳族の存在を歓迎する姿勢を見せることは、外交上(対賢者様)得策かもしれませんな……」
「……だろ!? 猫耳も別に良いだろ!?」
カイトが勝ち誇ったように叫ぶ。
「……良くない!!!」
鋭い声が、カイトの勝利宣言を遮った。
声の主は、文化人類学者の女性教授だった。
彼女はカイトを睨みつけながら、しかしどこか同志を見るような熱っぽい目で反論した。
「……猫耳『も』? ……『も』とは何ですか、『も』とは!
猫耳は『ついで』ではありません!
必須です!」
「……え?」
「猫耳だけでは足りません!
犬耳、狐耳、ウサギ耳!
モフモフした尻尾!
……これら『獣人』というカテゴリーを包括的に条件に盛り込むべきです!」
彼女はホワイトボードに駆け寄り、猛烈な勢いで書き込み始めた。
『獣人の存在』。
「彼らは人間よりも身体能力に優れ、自然と共に生きる種族。
……労働力として、あるいは文化交流の相手として非常に有益です。
……そして何より!」
彼女はカイトに向き直った。
「……獣人の女の子が、人間の無神経な開発によって傷つき、『……人間なんて嫌い。でも……あなたは違うの?』ってなって、そこから種族の壁を超えた絆が芽生える……。
……そういう『曇らせ』展開、良いですよね……?」
「……えっ」
カイトが一瞬引いた。
「……いいや俺はどっちかというと、最初から友好的な方が……。
……でも、その『傷ついた獣人を癒やす』シチュエーションは確かに……良い……」
「……良い……」
会場のあちこちから、同意の溜め息が漏れる。
この会議室に集められた「専門家」たちの多くが、何らかの形で「そっち側」の素養を持っていたことが露呈した瞬間だった。
「……良くないッ!!!」
その不健全な共感の輪を、橘紗英の絶対零度の一喝が粉砕した。
「……何を言っているのですか、あなたたちは!
曇らせ反対!
悲劇的なシチュエーションなど断じて認めません!」
彼女は柳眉を逆立てて言った。
「……我々が目指すのは、平和的で友好的な交易と共存です。
……現地人を傷つけたり悲しませたりするような展開は、国家の品位に関わります。
……獣人の存在は認めますが、あくまで『幸福な隣人』としてです。
……いいですね?」
「……ちっ。過保護な……」
「……まあ公式見解としてはそれが正しいか……」
オタクたちが、しぶしぶ引き下がる。
綾小路が苦笑しながらまとめた。
「……では『エルフ』と『猫耳を含む獣人』が存在すること。……これを条件に入れます。
……ですが」
彼は地図のようなものをボードに描き始めた。
「……問題は、彼らとの距離感です。
……いきなり彼らの住む土地に土足で踏み込めば、摩擦が起きます。
……また、我々の安全保障上のリスクも高い」
「……その点についてはこうすべきだ」
外務省の戦略官が、レーザーポインターでボードを指した。
「……拠点とする場所は『無人』が好ましい」
「……無人?」
「ええ。……いきなり他国の領土内にゲートを開くのは侵略です。
……まずはどの国にも属さない、資源豊富な『空白地帯』を確保する。
……そこを我々の橋頭堡とし、そこから海を隔てた他大陸の文明圏と船で交流するのです」
「……なるほど」
資源エネルギー庁の担当者が身を乗り出す。
「……地形は平地が多く、開発しやすいこと。
……広さは、そうですね、オーストラリア大陸くらいの規模があれば、将来的な人口増加や大規模農業、資源採掘にも耐えうるでしょう」
「……気候は日本と同じで、資源は無尽蔵。
……場所は無人の新大陸。
……そして海の向こうには、エルフや獣人の国がある……」
宰善総理がその条件を復唱し、呆れたように笑った。
「……欲張りセットだな、完全に……。
……そんな都合の良い大陸があるものかね?」
「……探してもらうんですよ、賢者様に」
綾小路が、不敵に笑う。
「……あのお方なら、きっと『あるぞ』と仰るに違いありません」
「……では移動手段はどうする?」
国交省の技官が問う。
「……大陸間の移動です。……航空機を持ち込むのは、滑走路の整備や燃料の問題で、初期段階では難しい」
「……船だな」
歴史学の渋沢教授が静かに言った。
「……賢者様は先日、『木造船』をご所望された。
……あれはこのための布石だったのかもしれん。
……我々の技術で作られた、しかし現地でも修理可能なレベルの帆船。
……それを使って大航海時代のように海を渡り、エルフの国へと至る。
……ロマンがありますな」
「……異議なし」
「……では『他大陸への移動は木造船レベルの航海技術で可能であること』を追加します」
議論は佳境に入りつつあった。
「……次は【魔法】についてです」
長谷川教授が、待ってましたとばかりに立ち上がる。
「……これは重要ですぞ!
魔素の濃度、魔法体系の有無!
……これによって我々の科学技術が通用するかどうかも変わってきます!」
「……魔法はあったほうがいいですか?」
橘が慎重に問う。
「……確かに魅力的な研究対象ですが、リスクも巨大です。
……もし現地人が『洗脳魔法』や『即死魔法』のような、我々の常識を超えた攻撃手段を持っていたら?
……自衛隊の装備で対抗できる保証はありません」
「……あと技術流出も怖いっすね」
カイトが、ポテトチップスの袋を逆さにしながら言う。
「……『透視魔法』で設計図を見られたり、『念写魔法』で情報を抜かれたり。
……こちらの科学技術が、あっという間にパクられる可能性がありますよ」
「……むぅ。……では魔法はない方が良いのか?」
「……いや待て!」
天城蓮が叫ぶ。
「……エルフがいるのに魔法がない……だと!?」
「……え?」
「……エルフと魔法はセットだろうが!
……魔法を使わないエルフなんて、ただの耳の長い人間だ!
……そんなのSF的にもファンタジー的にも許されない!」
「……そ、そうです!」
カイトも同意する。
「……精霊魔法を使わないエルフなんてエルフじゃない!
……魔法は必須です! 絶対に!」
「……しかしリスクが……」
「……妥協案を出そう」
綾小路が再びペンを走らせた。
「……魔法は存在する。……だが、その使い手は限定的であるというのはどうだ?」
「……限定的?」
「……ああ。……例えば『エルフは魔法が得意だが、他の種族、特に人間や獣人は魔法を使うのが苦手、あるいは全く使えない』という設定だ。
……そしてその魔法体系も自然干渉系が主で、精神干渉のような危険なものは失伝している、あるいは禁術とされている」
「……なるほど」
公安の担当官が頷く。
「……それなら脅威度は下がるか。
……そして我々日本人だけは……」
「……そう。……賢者様から頂いた『因果律改変能力』の適性を持っている」
綾小路は、悪だくみをする子供のような顔をした。
「……これなら現地人に対して圧倒的なアドバンテージを持てます。
……『魔法を使えないはずの人間(日本人)が、なぜか強力な魔法を使う』。
……これぞまさに『俺TUEEE』の王道でしょう?」
「……さ、さすが長官! 分かってらっしゃる!」
カイトがスタンディングオベーションを送る。
「……じゃあ魔法は『あり』!
……ただし『エルフ特化』で『危険な魔法はなし』!
……そして我々は『チート持ち』!
……完璧だ!」
「……念の為『因果律改変能力の使用が可能であること』も明記しておきましょう」
長谷川教授が付け加えた。
「……魔石が機能する環境であることも必須ですからな」
「……【世界情勢】は?」
「……戦争中ではない方が良いですよね?」
防衛省の担当者が確認する。
「……いきなり戦場に放り込まれるのは、法的にも実力的にもまずい。
……平和的な交易が可能な安定した情勢が望ましい」
「……あー、その方が良いかな」
カイトが少し残念そうに言う。
「……戦乱の世を平定する『救国の英雄』ごっこも捨てがたいけど……。
……まあ今回はスローライフが目的なら、平和な方がいいか」
「……ドワーフも入れよう!」
資源エネルギー庁の技官が叫ぶ。
「……鉱山開発には、彼らの技術と労働力が不可欠だ!
……『ドワーフもいる』で!」
「……了解。ドワーフ追加」
「……【敵対存在】は?」
「……魔物は?」
「……魔物は要らんでしょ」
カイトが手を振る。
「……魔王とかもなしね。
……倒さなきゃいけない使命とか、面倒なだけだしな。
……ゴブリンとかオークとか、衛生的に問題がありそうなのはパスで」
「……でも野生動物くらいは必要でしょう」
「……そうだな。……危険すぎない程度の野生動物や魔獣は『あり』ということで」
議論は順調に(そして欲望のままに)進んでいった。
ホワイトボードはもはや文字と図形で埋め尽くされ、カオスな様相を呈していた。
だがその時。
会議室の隅で、ずっと黙って古生物図鑑を撫で回していた一人の男がおずおずと、しかし決意を込めて手を挙げた。
国立科学博物館の古生物研究員だった。
「……あのぅ……」
「……なんだね?」
綾小路がマーカーを止める。
「……きょ、恐竜……」
「……は?」
「……恐竜が欲しいんですわ!」
彼は突然叫んだ。
その目は少年のように輝いていた。いや、狂気すら孕んでいた。
「……恐竜!? ……なんで!?」
宰善総理が目を丸くする。
「……だって恐竜ですよ!?
……リアルで見たくないですか!?
……ティラノサウルスが大地を闊歩し、プテラノドンが空を舞う!
……そんな太古のロマンあふれる世界!
……男の子なら誰だって一度は夢見るでしょう!?」
「……いいや、見たいけどさぁ……」
カイトが困惑する。
「……ファンタジー世界に恐竜って、世界観ごちゃ混ぜすぎないか?
……ドラゴンと被るし」
「……ドラゴンは魔法生物です!
……恐竜は進化の奇跡です!
……全くの別物です!」
研究員は机を叩いて熱弁を振るう。
「……それに恐竜がいれば、『ジュラシック・パーク』ごっこができますよ!
……もちろん安全対策は万全にした上で!
……無人の新大陸の奥地に、太古の生態系が残された『ロストワールド』がある……。
……最高じゃないですか!」
「……ジュラシック・パーク……」
その単語に、数名の参加者(特に理系男子たち)の目が反応した。
「……ありかもな」
天城蓮が腕を組んで言った。
「……未開の大陸。……そこには独自の進化を遂げた巨大生物が生息している。
……『モンスターハンター』的な生態系だ。
……資源探査の障害としては厄介だが、研究対象としてはこの上ない魅力だ」
「……見たい」
防衛省の将軍がぽつりと呟いた。
「……10式戦車対ティラノサウルス。
……一度、シミュレーションではなく実戦で見てみたかったんだ……」
「……お前ら……」
総理は頭を抱えた。
だが彼自身の心の中にも、少年時代のワクワクが蘇ってきているのを否定できなかった。
「……ええい、ままよ!」
彼はやけくそ気味に言った。
「……入れとけ! ……恐竜もありだ!
……ただし居住区には入ってこないように、生息域は厳格に分けること!
……いいな!」
「……ありがとうございます!!!」
古生物研究員が感涙にむせぶ。
こうして、日本の、いや人類の欲望と妄想の全てを詰め込んだ、究極の「闇鍋」のような要件定義書が完成しつつあった。
『地球と同じ環境』。
『オーストラリア級の無人大陸と資源』。
『海を隔てたエルフと猫耳と獣人とドワーフの国』。
『魔法はあるが平和な世界』。
『そして恐竜』。
「……議論はまだ尽きないようですね」
橘紗英が時計を見ながら呟いた。
時刻は既に深夜を回っていた。
だが誰一人として帰ろうとはしない。
「……まだだ! ……エルフの耳の長さについて詳細な指定が必要だ!」
「……通貨制度はどうする? アイテム本位制か?」
「……トイレ事情は!? 下水道完備の古代遺跡とかないのか!?」
彼らの目は血走りながらも、どこまでも楽しげに輝いていた。
彼らは今、神に代わって「世界」を創造しているのだ。
その背徳的で、そして創造的な快楽に、彼らは酔いしれていた。
議論は続く。
夜明けが来るまで。
そしてそのカオスな熱気の結晶が、やがて神の手によって具現化され、日本という国を、新たな冒険の時代へと導くことになるのだが。
その「冒険」が、彼らの予想を遥かに超える珍道中になることを、まだ誰も知る由もなかった。
会議室のホワイトボードには、誰かが書き殴ったこんな文字が、蛍光灯の光を浴びて輝いていた。
『我々の理想郷をここに』




