第129話
静寂なる虚空の海を、白銀の流星が征く。
新田 創の所有する恒星間航行船『テッセラクト・ボイジャー』は、現在、地球の衛星軌道上、月と地球のラグランジュポイント付近に、完璧なステルス迷彩を展開して停泊していた。
船内の時間は、地球の喧騒とは無縁に、緩やかで優雅に流れている。
広大なブリッジの中央に鎮座するコマンド・チェア。
その座り心地は創の体型に合わせてナノマシンがリアルタイムで最適化し続けており、それはもはや椅子というよりも、母親の胎内のような絶対的な安らぎの揺り籠だった。
創はその揺り籠の中であくびを噛み殺しながら、宙に浮かせた半透明のディスプレイを指先で弾いていた。
「……ふあぁ。……暇だ」
彼は贅沢な愚痴をこぼした。
目の前の画面には、地球のネットニュース、異世界からの定期報告、そして撮り溜めていたアニメのリストが並んでいるが、今の彼の心を満たすものはなかった。
究極の暇つぶしとして手に入れたこの宇宙船も、今のところは高級なホテル兼移動手段としてしか機能していない。タイムトラベルは精神的に疲れるし、宇宙探査は景色が単調すぎる。
「……なんかこう、ガツンとくるイベントはないもんかねぇ」
彼がそう独りごちたその時だった。
『――マスター。受信トレイに、優先度「最高」のメッセージが到着しました』
船の管理AI734の涼やかな声が響く。
「……ん? 誰からだ?」
『発信元は日本国総理大臣官邸、プロジェクト・キマイラ司令室。暗号化レベルは国家機密クラスです』
「ああ、あいつらか」
創は少しだけ身を起こした。
先日彼らに課した「宿題」のことを思い出したのだ。
『どんな世界に行きたいか、自分たちで決めてこい』という、あの無茶振り。
「……やっと決まったか。……どれどれ、どんな『理想郷』をご所望かな?」
彼は指先でメールのアイコンをタップした。
展開されたウィンドウには、恐ろしく長文の、そして恐ろしく詳細に書き込まれた『要件定義書』が添付されていた。
創はその内容を、上から順にスクロールしていく。
「……ふむふむ。……『重力、大気組成、物理法則は地球と同一』。……まあこれは基本だな」
「……『日本と同じ四季があり、特に稲作に適した気候』。……ブレないなあいつら」
「……『先住民族との無用な摩擦を避けるため、拠点は無人大陸。ただし資源は豊富』。……都合がいいこと言いやがって」
そこまでは予想の範囲内だった。
だが、その先に続く項目を見た瞬間、創の目が丸くなった。
「…………『近隣の大陸には友好的なエルフ、獣人(特に猫耳)、ドワーフが存在すること』……?」
彼は思わず吹き出しそうになった。
「……なんだこれ。……完全にオタクの妄想じゃねえか。……しかも『猫耳は必須』って赤字で書いてあるぞ。……誰だこれを書いたのは」
そして極めつけは最後の項目だった。
『――未開の大陸の奥地には、太古のロマンを掻き立てる巨大生物、すなわち恐竜(に類似した魔獣)が生息していること。ただし居住区への侵入は防げる環境であること』
「…………恐竜…………」
創はその単語を口の中で転がした。
そして彼の口元に、隠しきれないニヤリとした笑みが広がった。
「…………なるほどね。……恐竜かあ……」
彼の脳裏に、かつてコントローラーを握りしめて狩りまくった、あの巨大な竜たちの姿が蘇る。
大剣を担ぎ密林を駆け抜け、圧倒的な巨体に挑んだあの日々。
「…………いいじゃん。……すごくいいじゃん」
彼のゲーマーとしての血が、ドクリと脈打った。
リアルで恐竜を見る。それは男の子なら誰もが一度は抱く原初的な夢だ。
「……モンスターハンターみたいな世界観ってことだよな? ……未開の大陸を開拓しながら素材を集めて、美味い肉を食う。……最高かよ」
彼は空中のディスプレイを、勢いよく叩いた。
「……合格だ! 日本政府! ……そのふざけた欲望、この俺が叶えてやろうじゃないか!」
彼はコマンド・チェアに深く座り直すと、AIに向かって高らかに命じた。
「――734! 仕事だ!」
『はいマスター。ご命令を』
「日本政府から送られてきたこの『要件定義書』。……こいつに合致する世界を検索してくれ」
創はその条件を読み上げた。
「地球型惑星。四季あり。米が育つ。無人の資源大陸あり。近隣にエルフ・獣人・ドワーフの国あり。魔法あり。平和。……そして恐竜がいること!」
『……了解しました。検索パラメータを設定。……権能『異界渡り』を接続し、多次元宇宙スキャンを開始します』
船内の照明が一瞬だけ赤く明滅する。
それはこの船が、物理的な宇宙空間ではなく、次元の狭間にある膨大な情報の海へとアクセスを開始した合図だった。
創の脳内に、無数の世界線が光の束となって流れ込んでくる感覚がある。
無限に存在するパラレルワールド。
その中から、彼らのあまりにも身勝手で、そしてあまりにも具体的な夢に合致する、たった一つの世界を探し出す。
普通なら数億年かかっても終わらない作業だ。
だがこの船と、そして創という「特異点」にとっては、それはGoogle検索よりも容易いことだった。
『…………検索中…………』
AIのインジケーターが点滅する。
そしてわずか1秒後。
『――検索終了。……該当する世界座標を特定しました』
「…………はっ?」
創はあまりの速さに拍子抜けした。
「……もう見つかったのか? ……1秒で?」
『はい。……多次元宇宙は無限です。無限である以上、理論上存在する可能性のある世界は必ずどこかに実在します。……検索の結果、条件合致率99.98%の世界座標「GZ-9901」を発見しました』
「……すげえな、無限の可能性って」
創は苦笑した。
「……まあいい。……善は急げだ。……とりあえずその世界に行ってみようか!」
『了解。……時空連続体アンカーロック。……世界座標GZ-9901へ。……異界渡り発動します』
ブォンという重低音が、骨の髄まで響く。
ブリッジのビュー・スクリーンに映し出されていた月と地球の姿が、ノイズのように歪み、そして一瞬にして掻き消えた。
視界が虹色の光のトンネルに包まれる。
次元跳躍。
数秒の永遠のような時間の後。
光が晴れ、スクリーンに新たな光景が映し出された。
「…………おお」
創は思わず身を乗り出した。
そこに浮かんでいたのは、美しい青と緑の惑星だった。
雲の白さ、海の青さ、そして大陸の緑。
一見すると地球と見分けがつかないほどによく似ている。
だが、大陸の形は明らかに違っていた。
南半球に位置する巨大な孤立した大陸。
そして北半球に散らばる大小様々な大陸と島々。
「……到着だな」
創は満足げに頷いた。
「……734。……この惑星を全体スキャンしてくれ。……政府の注文通りか、念のため確認だ」
『了解。……惑星スキャンを開始します』
船の高性能センサーが、惑星の地表、大気、そして魔力の流れに至るまで、あらゆる情報を丸裸にしていく。
数分後、詳細なレポートがメインスクリーンに表示された。
『――スキャン完了。報告します』
AIの淡々とした声が、驚くべき、そして完璧な結果を告げた。
『……まず北半球の文明圏について。……主要種族はエルフ、獣人、ヒューマン、ドワーフその他少数種族を確認。……文明レベルは地球暦の中世から近世初期相当。……大規模な国家間戦争は現在確認されず、情勢は極めて安定的です』
「……よしよし。平和ボケしてるくらいが丁度いい」
『……魔法について。……大気中の魔素濃度は中程度。……エルフ族は生来の高い魔力親和性を持ちますが、ヒューマン及び獣人種は魔力器官が退化しており、魔法の使用は極めて限定的あるいは不可能です。……ただし、魔石やアーティファクトを用いた魔力行使は確認されています』
「……なるほど。『人間は魔法が使えない』って条件もクリアか。……これなら日本人が『魔石』や『因果律改変能力』を持ち込めば、圧倒的なアドバンテージが取れるな」
『……続いて南半球の孤立大陸について』
スクリーンに、オーストラリア大陸によく似た形をした巨大な大陸がズームアップされる。
『……面積はオーストラリアの約1.2倍。……気候は北部が亜熱帯、南部が温帯から冷帯。……日本の四季に近い気候区分が存在します。……そして知的生命体による国家及び都市は存在しません。……完全な『空白地帯』です』
「……完璧だ。……資源は?」
『……地質スキャン結果。……地表近くに金、銀、鉄、レアメタル、そして高純度の魔石鉱脈が多数確認されました。……埋蔵量は推定で地球の数倍』
「……宝の山だな」
そして創は、最も重要な質問をした。
「……で? ……いるのか? ……アレは」
『……はい』
AIが少しだけトーンを変えた。
スクリーンに大陸の奥地、鬱蒼としたジャングルや広大なサバンナの映像が映し出される。
そこには闊歩していた。
巨大な、そして圧倒的な生命力に満ち溢れた太古の王者たちが。
二足歩行で獲物を追うティラノサウルスに酷似した巨獣。
長い首を持ち悠然と木の葉を食む、ブラキオサウルスのような竜脚類。
そして空には翼竜のような影が舞っている。
『……確認しました。……大陸の約60%を占める原生地域に、地球の恐竜時代に酷似した、しかし独自に魔力進化した巨大生物群が生息しています。……その巨体と獰猛さから、北の大陸の住人たちからは『竜の庭』として恐れられ、不可侵領域とされているようです』
「…………っはー!」
創は歓喜の声を上げた。
「…………たまらん! ……最高じゃねえか! ……魔力進化した恐竜とかロマンの塊かよ!」
彼はスクリーンの映像に釘付けになった。
赤黒い鱗を持ち、口から炎を吐くティラノサウルスもどき。
岩のように硬い皮膚を持つトリケラトプスもどき。
「……これ絶対日本人の琴線に触れるぞ。……自衛隊の連中、戦車でこいつらと戦うの夢だったんだろ? ……叶えてやるよ、その夢」
条件は全てクリアしていた。
いや、期待以上だった。
「……よし。……じゃあ物件はここに決まりだ」
創は立ち上がった。
「……734。……ゲートを作るのに適した場所を探してくれ。……条件は、海に面していて、広い平地があって、水源が近くて……あと景色が良いところ」
『……了解。……候補地を検索します』
地図上にいくつかのポイントが光る。
その中から創は、大陸の北東部、穏やかな内海に面した広大な草原地帯を選んだ。
背後には森があり、川が流れ、そして遠くには雪を頂いた山脈が見える。
「……ここだ。……ここを新日本の首都にする」
彼はその場所の座標を確定させた。
「……座標メモってくれ。……よし、準備完了」
彼は再びコマンド・チェアに座り、キーボード(思考入力式)を叩いた。
日本政府への返信メールだ。
彼はもはや神としての威厳を取り繕うことさえ忘れ、ただの興奮したゲーマーとしてそのメールを綴った。
件名:【Re:要件定義書について】
本文:
『おう待たせたな。
見つけたぞ。
お主らの妄想を全部詰め込んだ、とんでもない欲張りセットの世界をな。
エルフもいる、猫耳もいる、資源も山ほどある。
そして約束通りデカい恐竜もうようよしておるぞ。
場所は南の無人大陸の沿岸部だ。
座標データと現地の地図を添付しておく。
ゲートを作る場所はここの草原がいいだろう。
かなりデカいゲートを開けてやるから、トラックでも戦車でも好きなだけ持ち込め。
準備ができたら連絡してこい。
すぐに繋げてやる。
じゃあな、ヨロシク!』
送信ボタンを、ッターン! と勢いよく押す。
「……よし! これで俺の仕事は終わり!」
創は満足げに伸びをした。
「……あとはあいつらが勝手に街を作って、勝手に交易して、俺の財布を潤してくれるのを待つだけだ。……ああ、なんて素晴らしいんだ不労所得生活!」
彼は悠々と、地球への帰還の準備を始めた。
わずか数分の滞在。
だがその数分が、人類の歴史を決定づけた瞬間だった。
◇
一方地球。東京永田町。
官邸の地下司令室は、創からのメールが届いた瞬間、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
「……そ、総理! ……賢者様から返信が!」
橘紗英が、その冷静な声を上ずらせて叫んだ。
「……な、何だと!?」
宰善総理が椅子から飛び上がる。
「……まだ要件定義書を送ってから十分も経っていないぞ!? ……もう見つけたというのか!?」
「……は、はい! ……メールによれば『見つけたぞ』と……! ……しかも添付ファイルに、詳細な地図データと現地の映像が……!」
橘が震える手でデータをスクリーンに投影する。
そこに映し出されたのは、彼らが夢想した通りの、いやそれ以上に美しく、そして広大な「約束の地」の姿だった。
青い海、緑の大地、そして……遠くの森を闊歩する巨大な恐竜の姿。
「…………おお……!」
「…………す、すごい……!」
「…………本物だ……! 本当に恐竜がいる……!」
司令室にいた全ての人間が息を飲んだ。
神風カイトが両手を握りしめてガッツポーズをする。
「……やった! やったぞ! 猫耳もエルフも確定だ!」
天城蓮が地図データを見て唸る。
「……地形も完璧だ。……天然の良港がある。……背後には資源地帯。……これは都市計画が捗るぞ……」
長谷川教授が魔素濃度のデータを見て狂喜する。
「……魔素濃度も安定している! ……これなら我々の魔法技術も問題なく使えるはずです!」
「…………十分か」
綾小路官房長官が、信じられないといった顔で呟いた。
「……我々が三日三晩徹夜して議論した内容を、賢者様はたった十分で……。……やはりあのお方の力は、我々の理解を遥かに超えておりますな……」
「……うむ」
宰善総理は深く頷いた。
彼の顔から驚きの色は消え、代わりに為政者としての鋼の決意がみなぎり始めていた。
「……感心している場合ではないぞ諸君」
彼は円卓を見渡した。
「……賢者様は仕事が早い。……ならば我々もそれに応えねばならん」
彼は机を叩いた。
「……これより直ちに『ゲート設置場所』の最終選定に入る! ……候補地は東京湾岸、豊洲の特設倉庫! ……あそこなら海路と陸路の両方から物資を搬入できる!」
「……防衛省! ……先遣隊の編成を急げ! ……相手は恐竜だ、重装備を許可する!」
「……国交省! ……現地の測量と基地建設の資材調達を最優先で行え!」
「……外務省! ……各国の目をごまかすためのカバーストーリーを強化せよ! ……幸い世界中の目は今、火星に向いている!」
総理の檄が飛ぶ。
「……アメリカと中国が赤い石ころの奪い合いをしている間に……。……我々はこの緑の楽園を完全に、そして誰にも邪魔されることなく手に入れるのだ!」
「「「おおおおおおっ!!!!」」」
司令室に男たちの野太い歓声が響き渡った。
それは日本の新たな夜明けを告げる雄叫びだった。
「……計画の名は『プロジェクト・アマテラス』」
総理は宣言した。
「……これより異世界植民計画を正式に始動する!!!」
「……幸運なことに他国は火星に夢中だ。……この隙を逃す手はない。……我々は静かに、しかし大胆に、この世界の裏口から新しい未来へと脱出するのだ!」
日本の、いや人類の運命を賭けた大移動。
その準備は、神の速さで、そして悪魔のような狡猾さで着々と進められていった。
アメリカの偵察衛星が、東京湾岸に集結する膨大な物資とトラックの列を捉えていたが、彼らはそれを「火星計画のための資材集積」だと誤認していた。
彼らは知らなかったのだ。
その物資が向かう先が空の上ではなく、次元の向こう側であることを。
そしてその先に待っているのが、彼らが夢見る火星コロニーなど比較にならないほどの真の「宝島」であることを。
日本だけの秘密の冒険が始まる。
恐竜と魔法と、そして猫耳が待つ素晴らしい新世界へ。
ゲートが開くまであとわずか。
その向こう側で、退屈した神がポップコーンを片手に、彼らの到着を今か今かと待ちわびていた。




