遅すぎた悔悟
「き、君は……?」
けたたましい警報が鳴り響く中、刑事は息を呑んで女性の姿を見つめていた。
黒いジャケットを羽織り、細いズボンを履いている華奢な体つきの若い女性。 彼女は胸までかかった長い黒髪を揺らしながら、ゆっくりと室内へ入って来た。
(も、もしかして……?)
刑事は驚愕して言葉に詰まった。 女性がゆっくり近づいてくる様子に目を見張っているだけで、金縛りにあったかのように逃げる事も出来なかった。
「――ヒャァァァ――♪」
アクリル板の向こうから突然響き渡る歓喜の咆吼。 女性の姿を見た政夫がまるでゴリラのように飛び上がり『ウホ、ウホ』と踊り狂っている。
「おい、コラ! 落ち着け、キサマ!」
後ろの控えていた一人の刑務官が政夫に飛びかかり羽交い締めにしようとするが、スラッとした長身の青年には興奮した猛獣を押さえ付けるには充分ではなかった。
「おい、応援を呼べ!」
だが刑務官が叫ばずとも、すでに所内の刑務官達が一斉にこちらへ向かっていた。
――
刑事の目の前に現れた女性は、許可無く面会室へ侵入した不法侵入者であった。
彼女は拘置所のエントランスから平然と入り、受付を通らずにそのまま奥へ行こうとしたところを職員に止められた。 ところが、一瞬で職員を気絶させると、鍵の掛った奥への扉を破壊して不法侵入を図ったのだ。
当然、突然の闖入者に所内は騒然となった。
警棒やスタンガンを持った刑務官が女性を止めようと立ちはだかったが、瞬きする度に一人、また一人と呻き声を上げて倒れてしまう。
仲間があっという間に叩きのめされ呆然としている刑務官達……。 すると、そんな刑務官達を一瞥した女性が、彼等に向かって言葉を投げた。
「立山政夫は何処?」
女性は美しい顔をしていた。 一筆書きの整った眉に桃の花びらのような美しい目。 だが、その瞳はどんよりと濁った灰色の瞳……。
そんな彼女の瞳を見た刑務官達は背筋が凍り付くような恐怖を感じた。
「あ……や、ヤツは面会室に……」
一人の刑務官が慄きながら答えると、女性は「どっち?」と面会室の場所を聞く。
「アッチです!!」
刑務官達は一斉に彼女の背後にある扉を指さすと、女性は「そう、アリガト」と言って、振り返った。
すると次の瞬間、彼女の姿が忽然と消えた。
「――き、消えた――!?」
刑務官達が唖然とする中、先ほど指さした扉が『ドカンッ!!』と轟音を立てて破壊され、まるで瞬間移動でもしたように女性の姿が現れた。
「えぇぇ、ウソぉ!?」
目の前に起こった異常な現象に目を丸くしてしばらく口を開けていた刑務官達。
「おい、ボーッとしてないで侵入者だ! 所轄から応援も呼んで排除しろ!」
我に返った刑務官の怒声が響くと、所内にけたたましい警報が鳴り響いた。
――
恐怖に立ち竦む刑事を素通りしようとする女性。 刑事は彼女の佇まいを見て直感した。
(……間違いない。 彼女は行方不明になっていたマサさんの娘『立山小百合』。 し、しかし……。 こ、この瞳は……まるで……)
まるで蛇に睨まれたように身が竦み、言葉を失う怨念の宿った瞳。 その恐ろしい瞳を見ると、刑事は立っているのが精一杯であるほどの威圧感を抱き、胸が苦しくなった。
顔にかけていた眼鏡はズレてしまい鼻先にかかっている。 だが、眼鏡を直す余裕などなかった刑事は声を震わせながら女性の名を呟いた。
「……き、君は……立山小百合……」
刑事の横を通り過ぎようとした女性が刑事の声を耳にした。 すると、彼女は刑事を横目で見てこう呟いた。
「……良く分かったわね。 なら、これから私が何をするか分かるでしょ?」
小百合の言葉に刑事は思わず頷いた。 この身を焼かれる程の峻烈な憎悪の炎がアクリル板の向こうで興奮している野獣に向けられている事は明白であったからだ。
「止めろ」とは言えなかった。 そんな事を口に出せるような勇気は無かった。 誰が見ても異様な殺気を放っている女性の迫力に立ち竦むしか無かった刑事。
アクリル板の向こうでは手錠を掛けられた野獣が猥褻な下半身を膨らませて、娘の名前を叫んでいた。
――
「あ、あぁ……小百合。 何してたんだい? やっと、お父さんを迎えに来てくれたんだね♡」
父との間を隔てていた強固なアクリル板は、娘によって一瞬で破壊された。 父の背後にいた二人の刑務官は娘の恐るべき力に腰を抜かし、黙って父と娘の“忌まわしい再会”を見つめているしかなかった。
服装こそ変わっていたものの、政夫は瞬時に彼女が小百合だと分かった。
「あ……嗚呼……小百合、俺の愛しい娘……。 俺の愛する妻よ!」
人間の欲望というものは恐ろしい。 美しい娘に発情した野獣は、繋がれていた手錠の鎖を邪悪な力で解き放った。 そして、驚くべき早業で衣服を脱ぎ捨てると、吐き気のするニオイが鼻をつく醜悪な“シンボル”を露わにさせた。
「フシュゥゥルル……」
そそり立つ“欲棒”に如何わしいエネルギーを充填させる野獣。
「――ブヒィィ――!!」
すると、獣は野豚のように鼻を鳴らしながら、我が子へ突進して来た!
「キィィヤァァ! 小百合、小百合ィィィ♡」
濁った瞳を潤ませて、気が触れた魔女のような金切り声を上げながら、娘の胸に顔を埋める異常な父親。
「お父さん……」
小百合は何を思ったのか、汚らしい裸体を剥き出しにして抱きついて来た父を避けるどころか、そのまま抱きしめた。
「うぅぅ……グスッ……。 やっぱりお前は俺の愛する娘だぁぁ♡」
我が子を陵辱し、暴行し、クスリ漬けにした罪深い悪魔。 我が子を支配し、服従させ、依存させようとした悪辣な企み。
『今ここに、この邪悪なる企みが成就の日を見た!』
悪魔は感極まってすでにイッてしまったのか、股間からドロドロした白い涙を垂れ流した。
「ブヒッ!?」
――だが、それは悪魔の大きな勘違いであった――
「さ、小百合……ぐ……苦じぃぃぃ!!」
小百合は父を抱きしめた。 分厚い脂肪で覆われた背骨を砕く恐るべき力で。
『ミシ……ミシ……』という背骨の軋む音が政夫の耳の中から響く。
「ギャァァァ!!」
政夫は絶叫を上げて、小百合から離れようとする。 しかし、政夫の腰に回している小百合の白くて細い両腕は、信じられない力で政夫を万力のように締め上げた。
「イタイ、イダイ……ガァァァ!」
政夫は全獣力をもって、小百合から這々の体で離れた。 腰は砕け、全身に耐え難い痛みが襲う。
「お、お前……小百合じゃねえのか?」
目の前に佇んでいる女は確かに自分の娘であった。 しかし、この恐るべき力は一体何なのか……?
(も、もしかしたら、アイツはすでに死んでいて……。 ここにいるのはアイツの……お、怨霊……!?)
娘の信じられない力を目の当たりにし、現実逃避をする父。 すると、今まで考えもしなかった恐怖が脳裏を掠めた。
「――ヒィィィ――!!」
(こ、殺される!)
政夫は初めて自分が犯した罪に対する復讐に怯えた。
――
「ひぃぃ! さ、小百合、お父さんが悪かった! だから化けて出ないでくれ、頼む!」
獣はコンクリートの床にひれ伏した。
復讐の修羅を前にして醜い裸体をさらけ出し、血反吐を吐いて怯懦に喘いでいる。
「……色。 アンタの色は恐怖と怒りに満ちている」
小百合の目には政夫から発する感情の色が見えていた。 そこに彼女に対する愛情の色は無かった。
『何故、俺がこんな目に……』
政夫の理不尽な怒りが赤色の光となって、ブクブクに太った身体から放たれている。 そして「娘の怨霊に殺される」という恐怖が、青い光りとなって小百合の身体を穿っていた。
腰を抜かして『ズルズル』と後ろへ下がる哀れな男。
「ひっ、止めて、近寄らないで!」
ゆっくりと近づく怨霊に慄きながら、女性のように哀願する男の言葉。 この言葉と同じ言葉を、何度娘が口に出した事だろうか。
『お父さん、止めて! 近寄らないで!』
涙ながらに懇願する我が子を無慈悲に強姦し、何度娘の心を殺し、絶望の淵へ突き落としたことか。
「お父さんが悪かった! 謝るから、この通り! だから、大人しく成仏して、ね!」
(今ここにいるのは小百合の姿をした怨霊だ。 もう、小百合は死んじまったんだ)
自分勝手な妄想を膨らませ『アイツが勝手に俺の事を恨んでいただけだ』と心の中で怒りさえ滲ませるクズ。
もはや救う事の出来ないこの堕落した亡者の性根は、地獄の閻魔も顔を顰める事だろう。
だが、小百合は泰然としていた。 必死に命乞いをする父の姿を見ても、心に小波すら立たなかった。
謝罪など求めていない。
悔い改める必要も無い。
この世から消えてくれるだけで良い。
――もうお前の顔など見たくない――!!
「さ、小百合――!」
父が顔を上げて“娘の怨霊”を見た瞬間だった。
『グシャッ!』
何かが潰れるようなゾッとする音が刑事の耳に聞こえてきた。
「――ギャァァァァァ――!!」
耳を劈く絶叫が、拘置所内の隅から隅まで響き渡った。
「ヒィィ、痛でぇ、痛でぇよぅ!」
小百合は父の股間を踏みつけた。 娘を散々苦しめてきた忌まわしい獣のペニスは恨みの籠もった娘の足に踏みつけられ、無残にも床のシミとなった。 痛ましく裂けた股間の奥からは異臭を放った大腸が飛び出ている……。
壮絶な痛みで気を失いかけた政夫の脳裏に、在りし日の幸福な日常が映し出された。
『――お父さん――♡』
幼い小百合が大きな父の肩に乗せられて、幸せそうな笑みを浮かべている。 父の目の前には美しい妻『美月』が微笑んでおり、彼女の腕の中では生まれたばかりの次女『有加利』が眠っていた。
幸福だったあの時が走馬灯のように蘇った時、彼は自ら歩んできた外道の道を省みた。
禁忌を犯し、神に仇をなした悪魔の所業。
幼い我が子を強姦し、死に追いやった罪深い欲望。
我が子を支配し、服従させようとした卑劣な企み。
(俺は……一体どこで道を踏み外したんだろうか……)
(俺は……何故、娘にあんな事を……?)
「……俺は……」
その瞬間、父は獣のような醜悪な顔から人間の顔に戻った。
だが、過去を思い出し、犯した罪を後悔するにはあまりにも遅すぎた。
正気に戻った父の顔面に、娘の足が迫って来た。
『――ペシャン――!』
父は我が子に頭を踏みつけられ、脳みそを飛び散らせて絶命した。
次回がこの章の最後になります。
ここまで読んで頂き有り難うございました。 引き続き、最後までお読み頂けるとありがたいです。
次回の更新は来週金曜日か土曜日です。 宜しくお願いします。




